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批判と対話に関するlotus3000のブックマーク (2)

  • 渡部昇一よ、お前もか。『沖縄ノート』も読まずに、「万犬、虚に吼えている」というわけか(笑)。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    渡部昇一の『自由をいかに守るか……ハイエクを読み直す』(PHP新書)を、たまたま駅の売店で見つけたので、暇つぶしに読んでいるが、評判の割には思想的な中身が薄く、ちょっとがっかりである。たとえば、渡部昇一は、経済学者ハイエクの経済学という専門領域を超えた哲学的深さと広がりを強調して、ハイエクの『隷従への道』をマルクスの『資論』等と並べて20世紀の名著と絶賛した上で、その根拠を、左右の「全体主義」を批判し、人間の自由を強調したところに、たとえば、20世紀の知識人を捉えたマルクス主義的な統制経済主義の呪縛から解放したところに、言い換えれば、ソ連崩壊を導いた理論的根拠を与えたのがハイエク理論であつたところに、求めているが、この分析は、ちょつと単純素朴すぎると僕は思う。渡部昇一は、『資論』が、マルクス主義的な統制経済を主張しているかのように書いているが、ここから、渡部昇一が、マルクスの『資論』

    渡部昇一よ、お前もか。『沖縄ノート』も読まずに、「万犬、虚に吼えている」というわけか(笑)。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
  • 私は鈍感さを肯定しない - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    id:mojimojiさんが、私が先に引用した西堂行人のピンター評を批判している。 mojimoji「政治的直接性からの逃走」 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090130/p1 西堂さんは、ピンターの直接的でない政治的意見の表明を評価する。 ここでも「何も起こりはしなかった」が繰り返されている。ピンターの対応は絶妙である。決して感情的にならず、あくまで劇の対話のように、ユーモアとアイロニーを手放さない。それがために、かえってBBCの愚挙が鮮明になってくるのだ。あくまで「表現」を通しているから、その研ぎ澄まされた言葉は読者のなかに通り一遍でない感情を巻きおこす。 (http://booklog.kinokuniya.co.jp/nisidou/archives/2007/05/post_22.html) しかし、これは(良く読んでみればわかるが)西堂さんは

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