タグ

明治と国家に関するlotus3000のブックマーク (2)

  • 外見的立憲主義型市民憲法としての明治憲法の限界 | Kousyoublog

    近代市民憲法は、権力の濫用を阻止し、人権の享有を確保することを課題とする。憲法という名称の法典が存在しているにもかかわらず、その課題にこたえる内容を欠いている市民憲法を「外見的立憲主義型の市民憲法」という。「外見的権利保障」は、憲法の保障で国民の権利が保障されているにもかかわらず、権力に十分に対抗できない権利の保障をいう。(注1) 十九世紀、市民革命と産業革命によって市民憲法を整え、資主義経済を浸透させた英米仏の国力は他を圧倒しつつあった。後発国としてそれを追う立場のプロイセンは革命を経ずに近代化を行う「上からの近代化」路線を取る。 「封建的土地貴族のイニシアティヴにより、封建的土地貴族と農奴の関係をそのまま資・賃労働関係に再編成し、政治的にはそれに対応する外見的立憲主義の憲法によって立憲体制の外見をほどこすという、近代化のしかたである。」(注2) そのため、可能な限り旧い原理が温存さ

    外見的立憲主義型市民憲法としての明治憲法の限界 | Kousyoublog
  • 伊藤博文の「皇太子は操り人形」発言と明治国家の儀礼の創造 | Kousyoublog

    先日の記事「近代日、海水浴の誕生」で明治時代に日の医療制度の確立に多大な影響を与えたドイツ人医師エルウィン・フォン・ベルツについて紹介したが、そのベルツの日記に、彼が侍医を務めた皇太子嘉仁(後の大正天皇)の結婚に関するエピソードとして、伊藤博文の発言が紹介されている。明治三十三(1900)年五月九日の日記より。皇太子の結婚は翌日五月十日のこと。 『一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく「皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいながら伊藤は、操り人形を糸で躍らせるような身振りをして見せたのである。――こんな事情をなんとかしようと思えば、至極簡単なはずだが。皇太子を事実

    伊藤博文の「皇太子は操り人形」発言と明治国家の儀礼の創造 | Kousyoublog
  • 1