タグ

社会とアイデンティティとあとで読むに関するlotus3000のブックマーク (2)

  • ヘイト・スピーチという危害 | みすず書房

    多くの民主主義国家がヘイト・スピーチを規制する法律を持つ中で、アメリカは日と同じく法的規制がない数少ない先進国である。言論の自由の法的保護の下、ヘイト・スピーチも保護の対象とされている。では、ヘイト・スピーチの標的にされた人々は我慢すべきなのだろうか。そして、ヘイト・スピーチの標的にされていない人々は無関係なのだろうか。 そうではない。ヘイト・スピーチは社会の基盤に重大な危害を与えるものである。ヘイト・スピーチは、標的とする人々の社会的地位を普通の市民以下に引き下ろし、尊厳を危うくすることを意図する。ヘイト・スピーチは尊厳を攻撃することで、社会の基盤にある「安心」という公共財を掘り崩してしまう。 では、ヘイト・スピーチ規制と言論の自由を両立するためにはどうしたらいいか。そのポイントの一つが、尊厳と不快感との峻別である。ヘイト・スピーチ規制は、不快感から守るためではなく、個人の尊厳を守るた

    ヘイト・スピーチという危害 | みすず書房
  • 分析概念として「民族」は使えるのか?――ロジャース・ブルーベイカー『集団なきエスニシティ』 - Danas je lep dan.

    だいぶ時間がかかってしまったけれどナショナリズム論的に興味深いを読んだ。ロジャース・ブルーベイカーの『集団なきエスニシティ(Ethnicity without Groups)』。ハーヴァード大学出版会から2004年に出版された。モノグラフというよりも論文集という趣が強く,個々の章は独立で読めるものになってはいるが(その多くが他の研究者との共著論文である),全体を通しての大きなテーマのようなものも見えてくる。それは従来学術的に当たり前に用いられてきた概念の再検討ということになろう。Ethnicity without Groups作者: Rogers Brubaker出版社/メーカー: Harvard University Press発売日: 2006/09/01メディア: ペーパーバッククリック: 1回この商品を含むブログ (3件) を見る 書は次のような章立てからなる。序章(1-6頁)

  • 1