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社会と勉強と環境に関するlotus3000のブックマーク (2)

  • 交わることのない学歴層 - 金田んち

    「ドラゴン桜」が書かない当の日の底辺 : 人類応援ブログ 読みました。 学力の二極化はずいぶん前から言われてた問題で聞いたことがあったけど、上記リンクの記事中に「当の底辺層は可視化されていない」という部分にはっとした。 でも良く考えると、底辺層の人からしても高学歴層の人の実態については見えていないんじゃないかと思う。 だって高学歴層の人たちの姿ってテレビなんかで取り上げられて見える化してるとはいっても、それはテレビの中の話であって日常生活の共通体験みたいなのが何一つとして存在しないから。 俺は生まれも育ちも田舎者なんですけど、そこに住むほとんどすべての人たちは教育環境に選択の余地がほとんどないと言っていい。 保育園や幼稚園を卒園すると、それぞれの校区の公立小学校に入学し、また既定の公立中学に進学する。 高校受験でやっと選択の余地が出てくるけど、ほとんどは地元の公立高校(5校くらい)か

    交わることのない学歴層 - 金田んち
  • 「学歴」って・・・

    ちょっと目からウロコだったので増田にメモ。解ってる人には百も承知なんだろうから恥ずかしいけど、知らなかった人の目に留まればと。 学歴って、あくまでもその学歴を持つ個人のステータスというか頭の良さというか努力できるキャパというか、そんな尺度に使うものだと思っていた。みんな必死に頑張ったり、浪人したり、場合によっては裏口からとか、受験失敗してになっちゃったり、自殺しちゃったり、学歴1つの為にもう必死になる。それだけ学歴って個人にとって大切。自慢したり見栄張ったりといった事にも使われる。 けど、学歴って、いざその学歴を使おうとする時、他人に公的に評価されるとき、その学歴を持つ個人そのものの事なんてどうでもよくなっちゃうんだなという事を気付かされた。例えば東大を出た人間がいたとして、その人間そのものを評価するというよりも、東大に入る為の様々な環境を維持してきた両親の子供だということ、実家が地方で

    「学歴」って・・・
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