このブログにおいては、「共感」というものの虚構性・危険性について繰り返し述べてきた。それらをまとめるものとして、今回は「共感」が重要視される状況やそれがはらむ危険性などについて書いていきたい。 「共感」の語に疑問を持ったのは、「君が望む永遠」という作品の主人公に関して多くのレビューで「共感できない」「感情移入できない」という評価が見られたことに遡る。私は、プレイヤーたちが本編の内容を読み込めておらず、自分たちの理解力が及ばなかったことを単にそう表現して正当化しているだけだと批判するとともに、「『共感』という名の幻想」などの記事で「共感」なるものが本当に起こりうるのかと疑問を提示した(なお、プレイヤーの独善的・閉塞的思考については「『ヘタレ』と自己認識」や「主人公とプレイヤーの共犯関係」などでより詳細に触れている)。 そもそもの問題は、辞書的な意味と心理学における「共感」、あるいは哲学(思想