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経済学とマルクスに関するlotus3000のブックマーク (2)

  • 『マルクスの使いみち』を読んだ。 - Sleeping Sound with Swinging Sounds

    ゼミの友人が勧めていた『マルクスの使いみち』(稲葉振一郎・松尾ただす・吉原直毅著、太田出版、2006年)を読んだ。とても面白かった。そして大いに反省させられた。経済学に疎く、かつ左派的価値観を持つ私のような人間が陥りやすい、新古典派経済学に対するわず嫌い的な偏見を、このは見事に払拭してくれた。 主な内容は「分析的マルクス主義経済学入門」といったところだろうか。数式を全く使わないため、私のような門外漢にも何とかついていける。同時に他のマルクス主義諸派に対する方法的批判と、左派の立場にとってのミクロ経済学の意義について多く論じられている。 このを読む前は、私は新古典派経済学の「需給一致の原則」だとか「自己利益最大化を合理的に追究する個人や企業」といった想定を、そのまま新古典派の経済学者が持つ資主義経済観だと思い込んでいた。だから「権力関係とか人間の非合理性とかを無視する(新古典派)経済

    『マルクスの使いみち』を読んだ。 - Sleeping Sound with Swinging Sounds
    lotus3000
    lotus3000 2010/08/29
    ちと古いけど。
  • 「疎外」「物象化」をめぐってあれこれ無秩序に - shinichiroinaba's blog

    考え方はいろいろあって、まず「マルクスの思想は現代経済学ゲーム理論と整合的である」という大前提から出発する。そうするとここで「だからマルクスも再読に堪える」という考え方も出てくれば、逆に「だったらマルクスイラネ」という考え方も出る。この違いはどちらが正しいか、という問題ではない。要はそれぞれの受け手の側での事情の違いである。マルクスを含めた「思想」によりなじみの深い人文系インテリにとって「だからマルクスも再読jに堪える」という結論には十分に意味がある。こうした層にとってはマルクスと併せ読むことによって、現代経済学ゲーム理論の理解がはかどる可能性があるからだ。 ただそれだけで済ますわけにもいかない。 山形の場合も「だったらマルクスイラネ」という結論は、何の気なしに出されているわけではない。マルクスには激烈な副作用があり、その副作用を勘案するならば、なくてすませられるなら敬して遠ざけるに越

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