タグ

近世とイギリスに関するnagaichiのブックマーク (57)

  • 「紅茶の流行」をきっかけに18世紀以降の英国人の死亡率が急激に低下!でも紅茶は関係ない? - ナゾロジー

    かつてのイギリスには、紅茶の普及が図らずも人々の命を救った歴史があったようです。 米コロラド大学ボルダー校(CU-Boulder)の研究者は最近、18世紀後半にイギリスで紅茶が爆発的に広まったことが、人々の死亡率を低下させていた証拠を発見したと発表しました。 しかもそれは紅茶の栄養効果のお陰ではなく、紅茶を飲むことで広がった”ある習慣”が最大の要因だったという。 一体紅茶を飲む習慣の何が当時の人々の死亡率を下げたのでしょうか? 研究の詳細は、2023年11月17日付で学術誌『Review of Statistics and Economics』に掲載されました。

    「紅茶の流行」をきっかけに18世紀以降の英国人の死亡率が急激に低下!でも紅茶は関係ない? - ナゾロジー
  • エルザ氏による、イギリスの道路の父、盲目のジョン・メトカーフについて

    エリザ @elizabeth_munh 白杖をついた男が街路を進む。やがて彼に馬車が追いつき、中から声が掛けられた。 「ハロゲイトに行く気かい? 丁度私も行くところなんだ。よければ乗って行くかい?」 紳士の申し出に男は少し考えた後、首を振った。 「歩いて行った方が早いですよ」 紳士は面らった。何せ男の目は閉じられていて、盲目なのは明らかだったのだから。 彼の名はジョン・メトカーフ。通称を『ブラインド・ジャック』。 後にイギリス道路の父の一人と呼ばれる男だった。 2023-12-07 19:47:27 エリザ @elizabeth_munh メトカーフはイングランド北部、ヨークシャーの温泉地、ナレスボロの貧しい馬飼いの息子で、納屋で生まれた。 4歳の頃に学校に入ったものの、6歳の頃に天然痘が辺りで猛威をふるい、何とか生き残ったものの、代わりに視力は永遠に失われてしまった。 「可哀想に、こん

    エルザ氏による、イギリスの道路の父、盲目のジョン・メトカーフについて
  • メアリー・ステュアートの暗号の手紙(1578-1584):50通以上を発見・解読

    スコットランド女王メアリー・ステュアートの50通以上の暗号の手紙(フランス国立図書館所蔵)が、筆者を含む3人の暗号研究家(ジョージ・ラスリー、ノーベルト・ビーアマン、友清理士)によって発見され、解読された。メアリーは、三度の結婚の末にイングランドで虜囚となり、幽閉生活の末、暗号の手紙が解読されてエリザベス女王暗殺を含む陰謀に加担した咎で処刑された悲劇のスコットランド女王としてあまりに有名だ。今回の手紙は、全文暗号のためいつ誰が誰に宛てて書いたかはこれまで全くわかっていなかったが、暗号解読の結果、その大半である54通はメアリー・ステュアートが1578~1584年にフランスの駐イングランド大使カステルノー・ド・ラ・モーヴィシエールに宛てて書いたものであることがわかった。そのうち1583年半ばまでの40通以上はこれまで知られていなかった手紙であり、イングランドで虜囚となっていた期間のメアリーにつ

  • 100年ぶりの大発見 数奇な人生を歩んだメアリーの暗号を解く

    1840年にアンリ・セルールによって描かれた、多くの宝石を身につけたスコットランド女王メアリー・スチュアートの肖像画。フランスのベルサイユ、ベルサイユ宮殿所蔵。(PHOTOGRAPH BY DEAGOSTINI, GETTY IMAGES) スコットランド女王メアリー・スチュアート(1542〜1587)は、秘密のメッセージを送る達人だった。暗号解読者たちは何世紀にもわたって彼女の暗号技術に悩まされてきた。彼女が残した手紙が解読されるたびに、学者たちはそこに記された情報に胸を躍らせてきた。 特に重要な手紙は、彼女がイングランドで19年にわたって幽閉されていた時期に書いたものだ。メアリーはフランスの高官に数十通の秘密の手紙を書いていて、なかには、スコットランド女王の座を取り戻し、従姉妹であり政敵でもあるイングランド女王エリザベス1世を廃位させる陰謀に関する機密情報も含まれていたと考えられている

    100年ぶりの大発見 数奇な人生を歩んだメアリーの暗号を解く
  • 『離婚のハードルが高いキリスト教の教えを掻い潜るため、男性が公開の場で自分の妻を売る』行為がイギリスではあったらしい

    エリザ @elizabeth_munh いんたーねっと教育ちゃんねる。人呼んでTwitterのプレシューズ。俗なイギリス好きの世界史アカ。真面目じゃないエンタメ歴史です。話半分に聞いてください。 エリザ @elizabeth_munh 男性が公開の場で女性を売り、値がつけられる。しかも、売っているのは自分の。 現代的な視点からすると身の毛もよだつような光景だけど、17世紀から19世紀のイギリスでは比較的よく見られた光景で、かつ、売られる方のも悲しむどころか堂々としたものだった。 これが、売り。 pic.twitter.com/MsQ8QTzlvt 2022-12-06 20:06:50

    『離婚のハードルが高いキリスト教の教えを掻い潜るため、男性が公開の場で自分の妻を売る』行為がイギリスではあったらしい
    nagaichi
    nagaichi 2022/12/30
    イギリスの国教会自立の経緯からして、離婚に寛容なのかと思いきや、なかなか斜め上な。
  • 世界遺産ロンドン塔はどんな場所? 王宮から牢獄まで千年の歴史

    威圧的にそびえるロンドン塔の象徴ホワイトタワー。ロンドン塔で最も古い建造物のひとつ。(LEIVA/ALAMY/ACI) 英国にある世界遺産「ロンドン塔」とは、いったいどんな場所で、どんな歴史をたどってきたのだろうか。 正式名称「国王(女王)陛下のロンドン塔の宮殿および要塞」が、この建造物の役割を的確に表している。 長い歴史の中で改築、拡大を繰り返してきたロンドン塔は、要塞であり、牢獄であり、宮殿であった。王立造幣局が置かれたり、異国の珍しい動物が展示されたりしたこともあった。戴冠宝器(王室の儀式に用いる王冠などの宝器)の保管場所となり、さらには王室が所有する6羽のワタリガラスのすみかでもある。その起源から振り返ってみよう。 テムズ川の要塞 ロンドン塔の起源は1066年のノルマン征服にさかのぼる。ヘイスティングズの戦いでサクソン王ハロルド2世を破ったノルマンディー公は、ウィリアム1世(ウィリ

    世界遺産ロンドン塔はどんな場所? 王宮から牢獄まで千年の歴史
  • 一般家庭の台所の床下から4000万円相当の金貨の山が発見される

    by Spink & Son イギリスの民家では、台所にあった陶器が2億円の価値を持つ中国・清王朝の宝物だということが判明するなどこれまでさまざまなお宝が見つかっていますが、新たに台所の床下から大量の金貨が見つかりました。 Coins worth up to $290,000 found under kitchen floorboards - CNN Style https://edition.cnn.com/style/article/gold-coins-england-kitchen-intl-scli/index.html U.K. Couple Finds Rare Gold Coins During Home Renovations | Smart News| Smithsonian Magazine https://www.smithsonianmag.com/smart-n

    一般家庭の台所の床下から4000万円相当の金貨の山が発見される
    nagaichi
    nagaichi 2022/09/09
    こういうのは隠していた金持ちのへそくりが持ち主の死によって忘れられたパターン。
  • 18世紀より前のイギリスでは「有害な治療法」ばかりが行われており、医者の治療を受けた貴族の方が一般市民よりも平均寿命が短かったらしい

    シータ @Perfect_Insider 先日読んだに、18世紀より前のイギリスでは、貴族の方が一般市民よりも平均寿命が一貫して2~3年短いらしく、その理由として「当時の医師は瀉血とか水銀投与とかの有害な治療行為ばかり行っており、そのため医師の治療を受けれた貴族の方がむしろ寿命が縮んだ」というのが有力説と出ていて驚嘆した。 2022-09-01 12:17:19 シータ @Perfect_Insider しかし、20世紀に入って、街灯がつき無線信号が空を飛ぶようになっても、薬局で売られている薬には平然と水銀やヒ素(!!!)が入っているものが多数売られていたという。 2022-09-01 12:20:06

    18世紀より前のイギリスでは「有害な治療法」ばかりが行われており、医者の治療を受けた貴族の方が一般市民よりも平均寿命が短かったらしい
  • 熱波襲来の英国、隠れていた17世紀の庭園が出現 芝生が枯れ

    (CNN) このほど英国全土を襲った熱波の影響で、ダービーシャー州にある歴史的邸宅チャッツワース・ハウスの芝生が枯れ、17世紀に存在した観賞用庭園の遺構が現れた。邸宅を管理する団体が明らかにした。 同団体によると、観賞用庭園の輪郭は1699年にさかのぼるものだという。 史料の絵を見ると、当時は広大な庭園であったことが分かる。この庭園は1730年ごろに置き換えられた。 今後再び雨が降り、芝生が伸びるにつれ、庭の輪郭は少しずつ消えていく見通し。 同団体によると、チャッツワース・ハウスはデボンシャー公爵一家の自宅で、16世代にわたり受け継がれてきたという。

    熱波襲来の英国、隠れていた17世紀の庭園が出現 芝生が枯れ
    nagaichi
    nagaichi 2022/07/27
    気象災害が原因で発見される歴史的遺構って、ときどきあるのよな。こないだミタンニの遺跡が旱魃のおかげでクルディスタンから出てきたみたいに→ https://www.businessinsider.jp/post-254997
  • 「英国の歴史変えた」340年前の沈没船を発見、未来の国王が乗船

    リンカーン・バーンウェル、ジュリアン・バーンウェル兄弟は2007年にH.M.S.グロスター号を発見したが、ずっと秘密にされていた。「ある日、潜ってみると、海底に大砲が散乱していたのです」とリンカーンさんは振り返る。「忘れられない光景です」(PHOTOGRAPH COURTESY NORFOLK HISTORIC SHIPWRECKS) のちに英国王ジェームズ2世となるヨーク公を乗せて340年前に難破した英海軍のH.M.S.グロスター号を発見したと、英イーストアングリア大学の研究者らのチームが6月10日に発表した。 「文字通り、歴史を変えるきっかけになった沈没船です」と、海事の歴史を専門とする同大学のクレア・ジョウィット氏は語る。未開封のワインボトルなどがすでに見つかっており、優雅な旅と歴史を物語る遺物の発見への期待が高まっている。 1682年、50門の大砲を備える英海軍のフリゲート、グロス

    「英国の歴史変えた」340年前の沈没船を発見、未来の国王が乗船
  • 黒人と白人の女性が並ぶ、希少な17世紀絵画が輸出禁止に

    黒人女性と白人女性をペアで描いた17世紀の絵画について、英当局がこのほど、国外流出のリスクを減らす目的で輸出禁止措置を講じた。 作者不詳のこの絵画は英デジタル・文化・メディア・スポーツ省(DCMS)の今年12月10日の声明で「極めて希少」と評され、評価額は27万2800ポンド(約4200万円)に上る。輸出禁止措置は来年3月9日まで続くが、その後は英国内の買い手が購入しない限り、国外に流出する可能性がある。 絵のタイトルは「2人の女性の寓意(ぐうい)画、英国派」。黒人女性と白人女性のモデルを同じような衣服、髪型、宝石、化粧をまとった2人1組の存在として描いた。 1650年代の絵画で黒人女性がモデルとして描かれる例は珍しかった。従属的な立場にいる子どもではなく、成人の黒人女性が描かれるのは特に珍しく、同省の声明では「当時の人種とジェンダーについて重要な議論」を喚起するものだとしている。 この絵

    黒人と白人の女性が並ぶ、希少な17世紀絵画が輸出禁止に
    nagaichi
    nagaichi 2022/01/01
    当時としては、かなり公平に描こうとしていたのだろうな。
  • 英エリザベス1世の顧問が使用した「霊視鏡」、アステカ起源と判明

    ジョン・ディーの黒曜石の鏡を持つ研究員/Stuart Campbell/Antiquity Publications Ltd (CNN) 英女王エリザベス1世の顧問、ジョン・ディーが16世紀に使用していた「霊視鏡」はアステカ文化の産物であったことが、新たな研究で明らかになった。大英博物館に所蔵されている黒曜石の鏡など4点を分析したところ、メキシコ由来のものと判明した。 ジョン・ディーはエリザベス1世が女王に即位した1558年から1570年代末まで顧問を務めた。占星術師として女王に仕えたほか、科学に関する相談相手にもなっていた。論文を執筆した英マンチェスター大のスチュアート・キャンベル教授によると、ディーは新天地発見のための航海や植民地の設立、航法の改善などを提言したという。

    英エリザベス1世の顧問が使用した「霊視鏡」、アステカ起源と判明
  • 中世から近世の法的文書に羊皮紙が使われていた理由とは?

    ヒツジの皮から作られる羊皮紙や、ウシの皮から作られるベラムなど、植物の繊維を絡ませながら平らに成形した紙が発明されるまでは、さまざまな種類の動物の皮が筆写に用いられてきました。エクセター大学で考古学を研究するショーン・ドハティ氏率いる研究チームが、中世から近世にかけて作成された法的文書の大部分が羊皮紙を用いていたことを発見し、ヒツジの皮が法的文書の記載に適していた理由を考察しています。 Scratching the surface: the use of sheepskin parchment to deter textual erasure in early modern legal deeds | Heritage Science | Full Text https://heritagesciencejournal.springeropen.com/articles/10.1186/s

    中世から近世の法的文書に羊皮紙が使われていた理由とは?
    nagaichi
    nagaichi 2021/03/28
    「1582年から1940年にかけて」だと、「近世から近代の」というほうが適切ではなかろうか。
  • エディンバラ城――スコットランド王家歴代の居城の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    エディンバラ城(Edinburgh Castle)はスコットランドの首都エディンバラ市にある中世の城。スコットランド王歴代の居城であり天然の要害に立つ堅固な要塞である。「翼の生えた岩の城」「乙女の城」(注1)とも呼ばれ、「英国史上最も包囲を受けた城」と評される(注2)。ユネスコ世界文化遺産「エディンバラの旧市街と新市街(Old and New Towns of Edinburgh)」を構成する建造物の一つ。 城が建つ岩山「キャッスル・ロック」は古くから砦として利用されていたが、エディンバラ城の築城は十一世紀頃とみられている。1130年頃に建てられた城内の「聖マーガレット教会堂」を除くと、現存する城の古い部分は1430年頃から1588年頃にかけて築かれたものが中心である。 エディンバラ城(Edinburgh Castle) © Ronnie Macdonald from Chelmsford

    エディンバラ城――スコットランド王家歴代の居城の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • アントン・ハウズ「国家の作り方:中世イギリスに王として転生したあなたは、近代国家を作ることができるだろうか?」(2020年8月28日)

    How to build a state Words by Anton Howes, Works in progress, 28th August 2020 歴史を通じて、国家は、権力の維持に苦闘している。資金を調達したり、市民を統治するためには、民間の護衛官 [1]訳注:主に近代国家以前に、国家によって限定的に権力を与えられた準官吏や民間人のこと や〔民間人の〕用心棒に頼らざるをえなかったのだ。国家は、どのようにして今日の形態に移行したのだろう? 人は、政府が今日のような官僚制度をずっと昔から備えていたと簡単に想定してしまう。17世紀における〔特定利権者への〕独占権の広範な付与や、強大な権力を備えた領土保有貴族のような政治制度は、今より腐敗していた単なる時代遅れの異物のように見えているだろう。19世紀半ばになるまで、政府が医療や教育にほとんど関与していなかった事実は、人々の脳裏からは欠落

    アントン・ハウズ「国家の作り方:中世イギリスに王として転生したあなたは、近代国家を作ることができるだろうか?」(2020年8月28日)
    nagaichi
    nagaichi 2020/11/28
    ↓郡県制を基盤とする官僚制のもとは戦国時代にすでにあって、始皇帝が一から作ったわけではないけどな。
  • 『<海賊>の大英帝国 掠奪と交易の四百年史』薩摩真介 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    英国史上有名な「海賊」というと誰が思い浮かぶだろうか?アルマダの海戦を戦ったジョン・ホーキンズやフランシス・ドレイク、財宝伝説で知られるキャプテン・キッドことウィリアム・キッド、大海賊バーソロミュー・ロバーツや黒髭エドワード・ティーチ、女海賊アン・ボニーとメアリ・リードなど、冒険活劇の主人公として描かれることも多い名前が挙がるかもしれない。しかし、上記で挙げた中には実は「海賊」とは呼べない人物もいる。ジョン・ホーキンズやフランシス・ドレイクなどは「私掠」船の船長であった。では「海賊」と「私掠」はどう違うのだろうか。 海上での掠奪行為を行うのが海賊だが、海上での掠奪行為を行うものがすべて海賊であったわけではない。中近世ヨーロッパでは掠奪は経済行為と結びついて商人や農民などから王侯貴族に至るまで掠奪行為は一般的に行われていた。近世になって掠奪に関する法整備が始まり、合法な掠奪と非合法な掠奪への

    『<海賊>の大英帝国 掠奪と交易の四百年史』薩摩真介 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 「失われた北斎作品」 大英博物館、103点を入手

    大英博物館が入手した葛飾北斎作品。同館提供(2020年9月3日公開)。(c)AFP PHOTO / THE TRUSTEES OF THE BRITISH MUSEUM 【9月3日 AFP】大英博物館(British Museum)は3日、葛飾北斎(Katsushika Hokusai)の「失われた作品」とされる103点を入手したと発表した。 北斎は、冨嶽三十六景の神奈川沖浪裏(The Great Wave)などの作品で国際的に高い評価を得ている。 今回同館が入手したのは、1829年に70歳の北斎が手掛けた未完の挿絵。1948年に競売にかけられた記録が残っており、昨年フランス・パリで再発見されていた。 日国外では北斎作品を世界で最も多く所蔵する同館によると、私的な問題が続いた後、創作活動が滞っていた頃の作品で、特に意義深いものだとしている。 作品群はオンライン閲覧が可能で、将来的には無

    「失われた北斎作品」 大英博物館、103点を入手
    nagaichi
    nagaichi 2020/09/04
    3枚目の絵に「狄義命民以米汁醸酒」とあるが、狄義は「儀狄」のことだな。儀狄は中国の伝説上で初めて酒を造ったとされる人。
  • なぜイングランドでは数世紀にわたりオックスフォード大学とケンブリッジ大学以外の大学が設立されなかったのか?

    by llee_wu ヨーロッパでは中世から近世にかけて多くの大学が設立されましたが、グレートブリテン島の3分の2を占めるイングランドでは、19世紀初めまでオックスフォード大学とケンブリッジ大学の2校しか大学がない状況が続きました。一体なぜこのような複占が続いたのかについて、歴史学者のウィリアム・ホワイト氏が解説しています。 The Medieval University Monopoly | History Today https://www.historytoday.com/miscellanies/medieval-university-monopoly 1686年、チャールズ・モートンという聖職者がイングランドを逃れ、アメリカへとわたりました。当時60歳だったモートンはある訴訟を回避するためにアメリカへと脱出したのですが、なんとモートンが犯した罪とは「ロンドン北部に住む人々に講義を

    なぜイングランドでは数世紀にわたりオックスフォード大学とケンブリッジ大学以外の大学が設立されなかったのか?
  • nix in desertis:「イギリス農業革命」の記事の落ち穂拾い

    はてブでめちゃくちゃ反応があって,「この記事そんなに伸びる要素あったっけかな」と思いつつ,ブコメを読んでいくつか記事の補足をしておく。 >骨肥料の誕生と刃物産業の関わりの伝承はナイフ好きには分かりやすいがほとんどの人にはわかりにくい。 骨肥料と刃物産業の関わりの逸話はこれに記載がある。このコメントは,記事に「農業革命とは,狭義には農業技術の革新である。細かく言えば農具の改良や土壌改良手法の確立等もあいまって全般的に改良されたようなのだが」と書いたのを補足していくれていて助かる。実際に骨粉を撒いての土壌改良は18世紀の農業技術の革新の一つで,19世紀に骨粉が供給していたのはリンと特定されて,帝国主義時代の欧米諸国はリン鉱石と「海鳥の糞」を求めて世界中を駆け回ることになる。 それはそれとして,牛骨の利用というと個人的にはやはりボーンチャイナを連想するところで,18世紀のイギリス人の牛骨活用が

  • チリンガム城”Chillingham Castle”~英国屈指の人気幽霊城の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    イングランド王国の北辺、スコットランド王国との境界近くに位置するチリンガム村は古くから両国の対立・紛争に巻き込まれてきた。チリンガムを領したのはチリンガムよりさらに北にあるヒートン城”Heaton Castle”を守るグレイ” Grey”家で、彼らによって十三世紀頃、チリンガムに城が築かれた。1297年、スコットランド軍に包囲されて多くの犠牲者を出し(注1)、1298年、イングランド軍がスコットランド軍を破りスコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスを捕らえたフォルカークの戦い(1298年7月22日)に向かうイングランド王エドワード1世がチリンガム城に滞在した記録が残る(注2)。 現存するチリンガム城は十四世紀に築かれたもので(注3)、1344年、イングランド王エドワード3世よりヒートン城主トマス・グレイ” Thomas Grey”に対し、チリンガム城の築城とクレネル化(注4)の許可が下され

    チリンガム城”Chillingham Castle”~英国屈指の人気幽霊城の歴史 | Call of History ー歴史の呼び声ー