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考え方とwebに関するshimookaのブックマーク (5)

  • これはウェブページです。

    たいしたページではありません。 あるのは言葉だけ。 それをあなたは読んでいます。 オシャレなデザインや、レスポンシブなレイアウト、魔法のようなスクリプトに私たちは魅了されてしまいました。 でも、ウェブで一番強力な道具は、今も昔も言葉です。 私が書いた言葉を、あなたが読んでいる。これこそ魔法です。 私はブリティッシュコロンビア州の小さな都市にいますが、あなたは別のどこかにいることでしょう。私は2013年6月20日の早朝にこれを書きましたが、あなたは違う日時にこれを読んでいることでしょう。私はノートパソコンでこれを書きましたが、あなたは携帯電話でこれを読んでいるかもしれないし、タブレット端末やデスクトップ端末で読んでいるかもしれません。 私とあなたがこうして繋がることができたのは、私が書いた言葉をあなたが読んでいるからです。ウェブとはそういうものです。場所や端末、タイムゾーンが違っても、このシ

  • 三木谷発言を否とするのは「誌面」という枠が崩壊しているから - novtan別館

    ウェブ時代になって、情報発信については難しくなった面もあります。特に既存のメディアにおける発信力のある人ほど。それは、「読み手を選べない」ということです。 3流ゴシップ誌ならゴシップ誌なりの、スポーツ紙ならスポーツ紙なりの、写真週刊誌なら写真週刊誌なりの、それぞれの読者がいて、多少おかしなことを書こうが読者がそれを期待していて、所詮その読者の人数分にしか影響力がない、となれば大した問題ではなかった、というのがウェブ以前。ところが、そういう紙面という「枠」ではなく、記事単体、ともすればセンテンス単体がみんなにシェアされてしまうというのがウェブ時代。 そんななかでは、新聞記事やビジネス誌もその例外ではありません。 みんな朝日だ産経だなんだといいますけど、ウェブ時代以前に所要新聞の方向性を把握していてそれぞれについて批判できた人ってどのくらいいるんでしょうかね。 さて、楽天koboをめぐる三木谷

    三木谷発言を否とするのは「誌面」という枠が崩壊しているから - novtan別館
    shimooka
    shimooka 2012/07/30
    『そもそもこんな問題以前に楽天のイメージがわる(以下略』
  • [回想] メディアの「入れ物」をめぐる試行錯誤 - ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート

    インターネットとWebの時代、メディアはどのように変化するのだろうか? そして自分は、どのようなメディアを作るべきなのだろうか? 2006年から2009年にかけて、こんなことばかり考えていた。「メディアのアーキテクチャ」について試行錯誤することに、自分の能力と資源を費やした。その思考と模索の過程を、少しずつ公開してみようと思う。 自分の考えの出発点は「メディアの入れ物」に注目することだった。 メディアとは何か? 「入れ物」と「内容(コンテンツ)」のセットだ。ここで「入れ物」の変遷を、ごくラフに記すと、次のようになる。 ◎文字記録のメディア 古代バビロニアの粘土板 古代エジプトのピラミッド文書(ピラミッドの石の壁に刻まれた文字記録) 古代エジプトのパピルス 古代中国の木簡 古代ローマの時代に発明されたと伝えられる「綴じたノート」 古代中国の製紙術 中世の写 印刷術により大量生産された書籍(

    [回想] メディアの「入れ物」をめぐる試行錯誤 - ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート
  • インターネットはバーベキュー場である。オーナーはグーグル様である。きょうも狩人たちがせっせと肉を焼いている。さて高級焼肉店のあなたはどうやってビジネスを進めるか。 - 東京エ

    出版業界にせよ、放送業界にせよ、市場規模がシュリンクすることはもう避けられない。それはもう決まったことだと僕は見ています。 (略) これは、僕らがデジタルというパンドラの箱を開けてしまった以上、不可避なんです。 (略) 結局、コンテンツ産業はタイムラグの中で商売していただけなんじゃないでしょうか。コピーがタダでできる、抵抗感なくできる、そういう技術が登場するまでのタイムラグにはビジネスチャンスがありますが、もう技術が追いついてしまいました。だから、もうそういうタイムラグを前提にした商売は、手じまいしないといけない。そうでないと、大勢の人間を乗せたまま、タイタニック号みたいに沈没することになるでしょう。 オタキング岡田斗司夫さんと、弁護士の福井健策先生の対談ですが、オタキングによるこのタイタニック号にしがみつくのはあきらめよう宣言を読んで、ああそうか、ただのタイムラグだったのか、と考えたら

  • モノや知識が「タダ」になる理由。ネット社会と、コミュニティ ~2006年のコラムから~:イメージ AndAlso ロジック:オルタナティブ・ブログ

    このコラムは、2006年に出版した書籍「Visual Studio 2005 ASP.NET 2.0 Webアプリケーション プログラミング・テクニック(PROJECT KySS著)」の付録として執筆し、収録した長文コラム「Web2.x以降のWeb社会を読み解くためのヒント」からの、一部抜粋です。 2006年に、3年後(2009年)以降の社会について書いた記事、という前提でお読みください。 これからの「Web社会」については、多くの識者が方向性を示してくれている。それでもあえて筆者が書くのは、立場が違うからである。 筆者は地方在住であり、Web社会には非常に縁遠い層の人々と直に触れ合ってきた。 これから 「Web社会」を牽引するのは、ITに関心のある技術者やビジネスマンではなく、一般の生活者である。また、大都市に居住する者だけではない。それ以外の地域にも多くの生活者がいる。 この層の価値観

    モノや知識が「タダ」になる理由。ネット社会と、コミュニティ ~2006年のコラムから~:イメージ AndAlso ロジック:オルタナティブ・ブログ
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