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medtoolzに関するshimookaのブックマーク (13)

  • 議論を尽くすのは難しい - レジデント初期研修用資料

    意見の対立を解決するための手段として、合議というやりかたはどこか危うい。 意見の対立があったところで、リーダーに対立した誰かが「じゃあ私は別の場所に行きます」といえる状況ならばまだしも、外の環境から閉じた場所で発生した意見の対立は、合議によらない、むしろなるべく理不尽なやりかたで解決することを心がけないといけないのだと思う。 合議は難しい インターネットで寄付を募ることで立ち上げられた地方紙である「大槌みらい新聞」が、3万5000円をきっかけに瓦解しかけている という記事を読んだ。 リンク先では、メンバーの意見が対立したきっかけから、最終的に歩み寄る余地のない対立に至った会議のログが閲覧できるけれど、意見の対立を解消するための手段として、合議はそもそも難しいよなと思う。 体育会の昔、会議室ではお互いに正論をぶつけあい、トイレ休憩で各大学の主将がトイレに集い、会議の落とし所は、結局トイレで決

    shimooka
    shimooka 2013/05/28
    『「頑張ること」自体が目的になってしまうと、プロジェクトが潰れることは、頑張る人にとってはいっそ本望だったりもする。』ありがちでこわい
  • 言葉の伝わりやすさについて - レジデント初期研修用資料

    とくに仕事で使うことを前提にするのなら、丁寧な言葉よりも、伝わりやすい言葉を心がけるべきなのだと思う。 伝わりやすさには深度があって、言葉の最前に動詞を持ってくるのが最初の段階、もう少し慣れたら、動詞の代わりに要約を置くことができると、言葉はさらに分かりやすくなる。自分がどうしてほしいのかではなく、自分が情報を出すにあたって相手は何が知りたいのか、聞き手にとっての「要するに」を想像して、それを言葉の最前に配置することができるようになると、言葉はさらに伝わりやすくなる。 丁寧な言葉は伝わりにくい 漠然と丁寧な言葉というものは、会話の内容が伝わりにくい。 ぶっきらぼうな言い回しよりも丁寧な言い回しは好まれて、だれでもたぶん、仕事をする人は「丁寧な会話を心がけましょう」なんて教わっているものだから、電話の冒頭はたいてい、話者の挨拶が最前に来て、「今お時間は大丈夫でしょうか」みたいな時候の挨拶が後

  • 見学は大切 - レジデント初期研修用資料

    「見て学ぶ」ことが見学だけれど、見ることは、教わらないと難しい。 見学をしているようでいて、実際に行われているのは観光にすぎないことは多いし、ちゃんとした見学の手続きを踏むことができれば、恐らくは学習の効果は高まるのだろうと思う。 新しい職場ではまずは見て記録する どこかの部署に配置された新人には、まずは記録係を任せるのがいいのだろうと思う。 右も左も分からない現場において、新人としてそこに配置された人は、仕事として行われていることの裏側にある理論を学びたいだろうけれど、見ないで習った知識や理論を身につけるのは難しい。 理論の学習を後回しに、まずは新人の目線で、そこで目にしたあらゆる物事を文章にして記録してもらうと、学習の効率が高くなる。 習ったことが一度で身につくことは少ない。習ったことを間違えることなく再現するのは難しい。見たことは、それが文章として記録されていれば、見たとおりに再現で

  • 病状説明について - レジデント初期研修用資料

    教科書どおりの治療を行ったところで、患者さんの病状は、一定の確率で悪くなる。 ご家族にとって、病状の悪化は驚きであって、驚きは怒りへと転化する。 病棟業務における病状説明の目的とは、患者さんのご家族から驚きの可能性を排除することに他ならない。 失敗を見込んだ説明に必要なもの 丁寧な説明を行なえば、患者さんのご家族は安心したり、病気に対する理解が深まったりする。そうした成果はけっして悪いものではないけれど、 それを病状説明の目標にするのは間違っている。 安心を目標にした病状説明を行った主治医が、説明の結果そこに到達できたところで、患者さんが急変すれば、ご家族の安心は吹き飛んでしまう。 患者さんの病気に対する理解がどれだけ深まったところで、たとえば誰も知らされなかった事実があとから出てきたら、主治医の言葉を信じる人はいなくなる。 先が読めない、主治医にも状況を見通すことが難しい状況においては、

  • 邪悪の手軽さについて - レジデント初期研修用資料

    病院では定期的に心肺蘇生の講習会が開催されて、近隣施設の看護師や救命救急士、医師も含めて様々な職種、様々な年齢の人達が集まってくる。 講習会はチーム医療で、打ち解けるための時間は少なく、和やかな空気は切実なのだけれど、誰もが初対面の当日、実現するのはなかなか難しい。 講習会は人形相手に「どうしましたか! 大丈夫ですか! 」と大声で呼びかけたりする必要があって、やっぱり初対面のみんなを前にこれをやるのは気恥ずかしさがあって、声を出すのをためらったりなんとなく笑ってしまう。チームは和やかに打ち解ける必要があり、同時に講習会の空気は引き締まっている必要があり、これを両立させるのはやっぱり難しい。 新人でチームを和ませる 講習会半ば、講師として参加していた消防の人たちと話す機会があって、「こういう時に新人がいると便利だったよね」という部分で一致した。 見知らぬ人がたくさん集まる状況においては、参加

  • コントロールについて - レジデント初期研修用資料

    問題に対して提案できるプランがあれば、状況はコントロールできる。 問題に対して上司と部下とのチームがあって、どうすればいいのか、正解に到達するためには何が不足しているのか、上司も部下もそうした問いに答えを持っていないのならば、経験年次を無駄に費やしてしまったぶんだけ、上司の方が問題に対してより無能であるといえる。 誰だって自分の無能を認めるのは嫌だから、アイデアの不在は暴言や暴力で穴埋めされて、結果としてチームからはコントロールが失われてしまう。 経験の意識化と体系化 不明の状況に対して説得力のあるプランを提案するのに必要なのは、経験の意識化と体系化なのだと思う。 経験を体系化して持っている人は、不明の状況に対峙してもなお、自分の能力でコントロールできる部分を、不明から切り出せる。問題の大きさは切り出した分だけ小さくなるから、解決はそれだけ近づいてくる。経験の体系化が不十分だと、未知はま

  • 名付けの効果について - レジデント初期研修用資料

    医局でたまたま、免疫について話題になった。 漠然と「抵抗力」のような意味あいで使う免疫という言葉は、医療従事者も「ある」という前提で違和感なく会話をするのに、「免疫力」みたいなものをきちんと測定できるようなパラメーターが存在しない。免疫グロブリンの量を測定することはもちろん可能だけれど、それはあくまでも特殊な蛋白質の量であって、いわゆる的な「免疫力」とは少し違う。 ないものには商売の種がある 「免疫力を向上させる」と自称するオカルトグッズはたくさん販売されているし、実際よく売れている。効果を検証して反論しようにも、そもそもどんなパラメーターで「免疫力」を代表させればいいのか、グッズを売る人と反論を試みる人との間で見解が共通することはありえないだろうから、難しい。 誰もが「ある」と思っているのに測定できない何かを探し出せば、それを商売の種にすることが出来る。あるいは当然測定できると認識されて

    shimooka
    shimooka 2013/02/04
    日本人って、1つのパラメーター上で競争することが好きだよねぇ(苦笑)。新しいパラメーターを作るのには向いてない。
  • 分割すると遠くにいける - レジデント初期研修用資料

    ひとかたまりになった大きすぎる問題を解決するためには、膨大な意志量が必要になる。同じ問題を扱いやすい大きさに小分けすることができるのならば、同じ成果に到達するために必要な意思の量は少なくて済む。 問題を機械的に分割するやりかたは、画期的でもなければ根的でもない、場当たり的で部分的な解決手法にすぎないけれど、暫定的なやりかたはたいていの場合、根的なそれよりも役に立つ。 分割は意思を外部化する 強い意志の力で大きな問題を克服できる人は素晴らしいけれど、それを真似できる人は多くない。 たとえばお金を使いすぎてしまう人なら、給料を目的別に小分けしておくと、お金を使い過ぎる可能性が少しだけ減る。一升瓶をすぐに開けてしまう人ならば、買ったお酒を1日分ごとに小分けしておくと、飲みすぎる可能性が少し減る。問題の大きさを意思で克服する必要があるときには、問題を物理的に小さくすると、必要な意志量を減らすこ

  • 選択肢について - レジデント初期研修用資料

    たとえば当直業務を始めるときには、その日に使えるカードのことを考える。 オンコールの技師さんをすぐに呼べる状況ならば、重たい患者さんを引き受けても対処ができる可能性が高くなるし、空きベッドに余裕がある状況ならば、入院の閾値を下げて外来を回すことで、安全マージンを稼ぐことができる。近隣基幹病院にどの程度の余裕があって、自分の施設では引き受けられない患者さんが発生した時に、どのぐらいの確率で患者さんを引き受けてくれるのか、そんなことも考える。 手持ちのカードが多い状況、自分の選択肢に余裕のある状況ならば、追い込まれてもどうにかできる。選択肢に余裕のない状況、「がんばる」ことでしか難しい状況を抜け出すすべがないときには、たぶんその人は自分で考える以上に追いつめられている。 「イエス/ノー」の質問には意味がない いじめを受けている子供に対して「いじめられていないか ?」と尋ねたところで、その生徒か

  • 暴力の工学的な側面 - レジデント初期研修用資料

    顧問の体罰が集中して、キャプテンの学生が亡くなった事例は、あれは「暴力を用いた統治」というものを考えると、ひどい事例とはいえ、工学として理にかなっているようにも思えた。 暴力は疲れる。暴力を行使する側は、「統治」という目標を達成するために投じる暴力量は、できることなら減らしたいだろうから、そこには「効率」の考えかたが入ってくる。説得みたいなやりかたは、暴力を好む人には甘すぎるように見えるだろうから、たぶん最初から選択肢に入らない。 選択枝を持たない人を探す 生徒を死に追いやった顧問の先生は、キャプテンに対して体罰を集中したらしい。 暴力を統治の道具として行使するときには、「選択枝を持たない」人間を選ばないと意味が無い。暴力というのは不快なやりかただから、その人に付き従う以外の選択肢がある人に暴力を振るったところで統治は達成できないし、警察に通報されれば詰んでしまう。 「いつでもやめられる」

  • 制約を身につける - レジデント初期研修用資料

    「ここまでは得意ですが、ここから先はできません」という制約を持つ人が得意分野に熟達すると、その人は専門家と呼ばれるようになる。 「得意不得意こそありますが、私は基的になんでもやります」という人が全方向に頑張ると、その人は「熟達した使い走り」になってしまう。 制約は知恵を引き出す たとえば300文字程度の考えを文章化しようと思ったときに、Twitter はいい道具になる。簡単なサービスだからすぐに書けるし、つながった誰かの反応をもらうこともできる。何よりもTwiter には「140文字しか書けない」という制約があって、アイデアを文章化するときには、こうした制約が役に立つ。 アイデアを文章化するのに必要なのが300字なら、Twitter ではそれを2回に分けて書く必要がある。ベタ打ちしたアイデアを途中できるのはみっともないから、思いついた何かは必然的に、140字で語れるだけの大きさに分割され

    shimooka
    shimooka 2013/01/08
    『制約が明示されることで、ユーザーは考えることを強制される。そうした習慣の押し付けが、結果としてユーザーに変化をもたらす』『便利は舌打ちされる』これは深い
  • 危機対応について - レジデント初期研修用資料

    危機とは何か 予測できなかったテロや自然災害は、当事者にとって危機であるといえる。同じ災厄であっても、警察や消防が正式な手続きに基づいてその対応を要請された場合には、彼らにとってその災厄は「急を要する平時」であって、危機ではない。 たとえば戦争というものは、政府や軍隊にとっては「危機ではない」のだと思う。戦争は手続きに基づいた暴力であって、軍隊もまた、「戦争という平時」に対応するために訓練を行い、装備を整える。 同じ暴力であっても、たとえば軍隊の目の前で乗用車同士が衝突し、誰か急を要するけが人が発生したら、軍隊にとってその状況は「危機である」といえる。無視して通り過ぎることは難しいだろうし、かといって軍隊の手続きに基づいた組織の運用を行おうと思ったら、目の前のけが人には時間がかかりすぎてしまう。 危機とはたぶん、災厄の大きさそれ自体が定義に寄与するところは少ない。同じ災厄であっても、それを

  • ulog.cc - ulog リソースおよび情報

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