タグ

心理と宗教に関するsotokichiのブックマーク (8)

  • 「エホバの証人の活動のなかで、最もつらかったこと」元信者が告白(いしいさや) @gendai_biz

    漫画家・いしいさやさんの著作『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』が話題だ。エホバの証人の母のもとで育った彼女の、壮絶な体験談が反響を呼んでいる。前回記事では、エホバの証人の全容を紹介した。今回は、信者時代の生活を中心に話を聞いた――。 (前編はこちらから http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54011) 取材・文/伊藤達也 同級生の家に勧誘しに行く 「信者の人が宗教勧誘で自宅に訪問に来る」って、みなさんも覚えがあるかと思うんです。でも、私は「来る」んじゃなくて、「行く」側の人間でした。 それも、自分で「宗教を広めたい」と思っているわけじゃなくて、母親に連れられていくだけでしたから、当に憂でした。イヤでイヤで仕方がなかった。子どもでしたから、当は休みの日は絵を描いたり、友達と遊んだりしたかったです。 訪問して話を聞いてくれる人なんて、優しいお

    「エホバの証人の活動のなかで、最もつらかったこと」元信者が告白(いしいさや) @gendai_biz
  • 「エホバの証人」元信者女性が自分の体験を漫画にした理由(いしいさや) @gendai_biz

    「子供の頃、母に連れられて「勧誘」に行くのは、とても憂でした。いい顔されることはまずないですから……。それでも、まだ幼い私がパンフレットを差し出すと、それだけは渋々受け取ってくれる。すると、母や兄弟姉妹が「えらいね」って言ってくれるんです。子供ですから、褒められるとやっぱり喜んじゃうんですよね。 「エホバの証人」は争いを禁じているので、伺ったお宅でいくらなじられても、喧嘩になることはありません。それに、人たちは「自分たちが唯一正しい宗教」と信じています。どれだけ拒否されても「あの人は楽園にいけないね」と、むしろ心配に思っているんです――。」 そう話すのは、漫画家のいしいさやさん。エホバの証人の信者である母のもと、「二世信者」として育ったいしいさんは、幼い日の体験を8ページの漫画で描き、ツイッター上で公開した。 その漫画は瞬く間に話題を呼び、3万5000回以上のリツイートを記録。「応援し

    「エホバの証人」元信者女性が自分の体験を漫画にした理由(いしいさや) @gendai_biz
  • 40年以上もシベリアの奥地でひっそり暮らし第二次世界大戦の存在すら知らなかった「ルイコフ一家」

    1930年代にソ連当局からの迫害から逃れるために、人里離れたシベリアの森の奥深くに逃げた「ルイコフ一家」は、40年以上の間、世界とのつながりを一切絶った状態でひっそりと生活を続けていました。過酷な環境の中、世間と隔絶した生活は、深い信仰心がもたらしたようです。 For 40 Years, This Russian Family Was Cut Off From All Human Contact, Unaware of World War II | History | Smithsonian http://www.smithsonianmag.com/history/for-40-years-this-russian-family-was-cut-off-from-all-human-contact-unaware-of-world-war-ii-7354256/ 1978年、ロシアのシベ

    40年以上もシベリアの奥地でひっそり暮らし第二次世界大戦の存在すら知らなかった「ルイコフ一家」
  • まあ聞いてくれ。信仰心などはじめからなく、純粋に飯を食う為だけに聖職者となった人間からのアドバイスだ

    http://anond.hatelabo.jp/20140217163811 まあ聞いてくれ。信仰心などはじめからなく、純粋に飯をう為だけに聖職者となった人間からのアドバイスだ。 その宗教を客観視できるのならば、入信するのはやめておけ。 祈るだけならばイワシの頭に対してだってできるし、 祈るだけならば他者は必要ない。 あんたがそこで見た他の連中は、あんたの持ってない信仰心を持ち、あんたの知らない生き方をしてるわけではない。 信仰心が強いのではなく、ただ単に、現状の生活において他の逃げ道がないだけだ。 信仰心は依存心と何も変わらない。依存の対象が人ではなく神となるだけであって、精神的自立には結びつかない。 ただそれでも傍から見れば、“信仰厚い人”という評価がなされ、“神への感謝と敬意を忘れない人”という見方がなされてしまう。 通常の価値観の持ち主なら当然、それのどこがいけない?と思うかも

    まあ聞いてくれ。信仰心などはじめからなく、純粋に飯を食う為だけに聖職者となった人間からのアドバイスだ
  • 生きるのに資格なんていらん。

    生きるのに資格なんていらん。 お前はもう赦されてるから勝手に生きろ、と神は言われた

    生きるのに資格なんていらん。
  • もはや宗教とも言えるスマートフォン選び。 | ふじさわブログ

    [ad#ad-up]いらっしゃいませ! iPhone愛用中ドコモ店員です。 今日は、最近、僕の中で大きな結論が出た、 「この考え方があればかなりの物事がうまくいく」 という発見を紹介しようと思います。 もうタイトルにスパーンと書いているのですが、 「もはやスマートフォン選びは宗教と化している。」 という話についてです。 僕はiPhoneを愛用していますし、この世からiPhoneが消えない限り、iPhone以外の機種をメイン機種にする日はこないと思います。 それは、元々は「かっこいいから」で、「なめらかだし」「画面もキレイ」だったからなんですが、 今やドコモショップの店頭に置かれている GALAXY S3 αやXperia Zなら、↑ の条件は、ほぼ満たしています。 iPhone4Sまでのかっこよさは圧倒的でしたが、iPhone5になってわずかに下がったように思いますし、 Xperia Zの

  • 日本人は自らの宗教性にいいかげん気付くべき - 狐の王国

    多くの日人が、日は無宗教で自分は無宗派だと思い込んでることは、たびたび各所で指摘されている。実際そう感じてる人が多いのだろうなとは思う。 だが事実はそうではない。日はとても宗教的な国だし、日人はすごく宗教的だ。 もちろん特定の宗教団体に帰依してるわけではない。帰依するだけが信仰ではない。もっと原始宗教に近いものを、日人は持ち続けている。 たとえば因果応報という考え方。これは仏教の教えだが、多くの日人がこの考えに沿って行動倫理を律している。良いことをすれば幸せが訪れる、悪いことをすれば不幸になる。なんとなく多くの日人はそう思って生きてる。 万物に魂が宿るというのも、非常にアニミズム的であるが、多くの日人はなんとなくそれを感じ取っている。物を大切にしなさいと教え教えられるとき、道具の手入れを怠るなと言い言われるとき、日人はそこに宿るべき魂を感じ取っている。 なんとなく身につけ

    日本人は自らの宗教性にいいかげん気付くべき - 狐の王国
  • 信奉者の説得についての経験談と思うこと - 僕と懐疑の関係

    何度か語っていることではあるけれど、僕は超常現象信奉者として、後には超常現象懐疑論者として掲示板上での議論を続けていた。話題は超常現象だけにはとどまらず、俗にいう「ニセ科学」の議論になったことも沢山ある。 そういった歴史の中で、信奉者に説得を行ったことも少なくない。オープンの場で行ったこともあるし、メールでのやり取りのこともある。これから、何度か説得についての僕の思いを書いていきたいと考えているのだけど、はじめに、僕が信奉者の説得についてもっている印象を書いてみたいと思う。当然、客観的事実とか普遍的な原則とかを話したいわけではなく、あくまで経験談であり、印象論にすぎないことには注意してもらいたい*1。 説得の受け入れやすさ 僕は傲慢にも「科学的考え方の啓蒙をするんだ」という思想を持っていた*2。だから、信奉者とのコミュニケーションが説得になるのも自然なことだった。結果、様々な人に対して説得

    信奉者の説得についての経験談と思うこと - 僕と懐疑の関係
  • 1