1977年9月27日、神奈川県横浜市郊外に米軍機が墜落し、三人の母子の命が奪われました。長年にわたってこの事故を取材してきた神奈川新聞社とともに、記事とコンテンツを制作、事故の経緯と関係する人々にどのような影響をおよぼしたのかを伝えます。 事故で奪われた母と二人の子の命 終戦から30年余を経た1977年。安定成長期に入り、大規模な宅地開発が進む横浜郊外の住宅地に、米軍機が墜落しました。2人の幼児が犠牲になった墜落現場に、その痕跡は残っておらず、今なお、その頭上を米軍機が飛び交います。遺族らは静かに、悲惨な事故を語り継いできました。 1977年9月27日午後1時過ぎ、在日米海軍厚木基地を離陸した偵察機(ファントム)が燃料満載の状態でエンジン火災を起こし、横浜市緑区(現青葉区)の住宅地に墜落。多数の周辺家屋を炎上、全半壊させました。ファントムの乗員2人は機外に緊急脱出し、無事でした。 市民9人