特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言
kentarotakahashi @kentarotakahash あの言葉は日本では、やや誤解されているのではないかと思う。ペンは剣よりも強し、的な意味で語っている人が少なくないのではないだろうか。でも、あれはウッディ達の「転向」宣言でしょう。 twitter.com/discusao/statu… 2016-12-13 08:32:53 もうれつ先生 @discusao そういやデイヴ・ヴァン・ロンク本では、ウディ・ガスリーのギターの this machine kills fascists ってフレーズに冷ややかな反応でしたな…。 twitter.com/kentarotakahas… 2016-12-12 20:21:00 kentarotakahashi @kentarotakahash ウッディがギターにThis Machine Kills Facistsと描いたのは1941年。
ボブ・ディランがこの「Masters Of War(戦争の親玉)」を作ったのは21歳の時だったという。 それはキューバ危機によって冷戦の緊張が高まった1962年から1963年頃のこと。 この楽曲は2ndアルバム『The Freewheelin’ Bob Dylan』に収められ、ディランが初めて“はっきりとしたメッセージを込めたプロテストソング(政治的抗議のメッセージを含む歌)”として知られている。 同アルバムのトップを飾る「Blowin’ in the Wind(風に吹かれて)」の方が、プロテストソングとして世界的に有名になったが、そのメッセージは暗喩によるものがほとんどだった。 それに比べてこの「Masters Of War(戦争の親玉)」は、明らかに人の命を代償に金儲けしている“戦争商人”を痛烈に非難した歌であり、ディランの楽曲の中でも最も攻撃的だと言われている。 世界は混沌とした時代
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