2009年11月02日13:03 文章を書く力をつけたければプログラミングをやれ カテゴリFlashアニメtips jigokuhen Comment(1)Trackback(0) 最近、国語力っていうのが注目されていて、国語力検定なるものもある。要は読解力ということなのだが、こういう本を読んでみる。まあ、書いてあることは中学校とかで習ったような内容に、抽象的や具体的など文章の仕組みが載ってる。そこで「絶対的と相対的」という項目で重要なことに気づく。文章って「オブジェクト指向のプログラミングだ」。まさにスクリプティングは直訳すれば文章を組み立てる意味。変数は代名詞とも言えるし、フラグ(ブールン値の変数)は物語の複線。 なるほど、俺が20代後半を超えて急に文章が読めたり書けたりするようになったのは、FlashのActionScriptを覚えてたおかげなのか!空拳徒手でとにかく本を読めなんて子
属性ってお化粧だから、窮地になるとはがれて宿命が見えてしまう(女だから、とか呪いだからとか、人種だからみたいな)しまうもろさが必要。窮地になるとか弱い女の子にみえるような感じが萌えポインツ 長編を書くのに必要なのは技術よりモチベーションであるので 書きたいシーンをご褒美にしながら小出しで物語の時系列順を気にせず 好きな部分から書いていくといい。 好きな部分を書いてモチベーションが上がってるときに、どうでもいいシーンもついでに書いてしまうような気持ちで。 ▼オススメの伏線術。 先に書きたいシーンを用意する。そして、普通に書いていって、日常会話にその行動暗示するような言葉を入れておく。 順番に書こうとするとテンションが下がって疲れるから、パーツごとに飛び飛びで書く、方法論大好きな初心者なら最初にプロットを作りそれを地図として参考に使って、書きたいシーンから書いてあらかじめ大まかな
典型的な設定厨アイデア厨だったおれが、 なんとか物語らしきものを作れるようになったコツ。 誰かの役に立つかもしれんのでメモがてら残しておく。 物語の最小構成は「成功するか分からない目標に向かう主人公」だ。 わかりにくい書き方ですまない。ただ、起承転結とか序破急とか専門用語はいまいち何いってるのか分かんないんで、 それ系の参考書とか読みながら、たどり着いたシンプルな結論がこれなんだ。 オリジナルな考え方とかでもなく、専門書ならもっと詳しく丁寧に説明してくれてると思うんで興味があったら色々読んでみてくれ。 ざっと机にあった漫画とかDVDとかを例にあげてみる。 鋼の錬金術師:禁忌を犯して身体を失った主人公達が、自分たちの身体を取り戻そうとする話(最終的に身体が取り戻せるかどうかわからない) 大正野球娘:自分たちを女だからと馬鹿にする男達に野球で勝とうとする話(最終回まで、勝てるかどうか分からない
はあ? 何を言ってるんだお前? 梅田望夫氏の「残念発言」はもっともだ 「ネット敗北宣言」の本当の意味【1】 http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20090624/162684/ ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書) (新書) http://www.amazon.co.jp/dp/4334035027 当然、題名は釣りに過ぎないんですが、アソシエで何か中川淳一郎氏が普通に良記事を書いておられます。氏が上梓された「ウェブはバカと暇人のもの」も、内容は非常にまっとうでありまして、なぜ出版界や新聞社などで評価があまり高くないのか不思議なぐらいです。勿体無いですね…。 正直、この辺は本気で議論したいところなんですが(世辞抜き。私が世辞を言う人間に見えるか?)、ウェブも10年以上経過して、理想と現実とのギャップがようやく浸透してきて、どうにもならないウェブの
キーボードショートカット一覧 j次のブックマーク k前のブックマーク lあとで読む eコメント一覧を開く oページを開く ✕
個人的に考えてみた。 抑えるところを抑えながら、全体の雰囲気を構築していく能力。またはそういうものを選べる力。 バランス感覚だとか、人と多少違い且つよい物を選び取る技量。 Early Adopter、またはConnoisseurの性質を持つ人々。 爆発してしまったセンスについては最先端または独創的の系統で且つ耐えられるという意味か。
No.01 「プロダクションとクリエーターは対だと思う」 No.02 「理想の現場を先に作ろうという意識は無いんですよ」 No.03 「僕は即答で攻殻機動隊をやります、と答えた」 No.04 「消化試合でノーヒットノーランを見せてやるよ」 No.05 「泣こうが、喚こうが、右」 No.06 「あそこに集まれば面白いことができそうだ」 No.07 「証拠さえありゃあいいよ」 No.08 「人力が資源だとするならば」 No.09 「この柱は僕が造りました!」 No.10 「闘う価値はある」 No.11 「だけど船倉に穴は開いているんだよ」 No.12 「到達目標は持つべきだと思うんだよね」 No.13 「虚無僧なのかよお前は!」 No.14 「パリーグがそうであるように」 No.15 「Jリーグみたいな結果になるよ」 No.16 「ナベツネの大号令でレアルマドリードが」 No.17 「俺の組み
世の中には議論に強い人間と弱い人間がいて、弱い人間はかならず強い人間に負ける。これは議論の真偽とか正否にかかわらず、そーゆーもの。そして、議論に強い人を1とすると弱い人は酢小さじ二分の一20くらいか。 かくして結論はかなり一つに絞られる。 つまり、議論をしないこと。 議論に勝ったのに近似でかつ可能な状況を求めること。なにかのための議論であるなら、そのためを実現するために議論をできるだけ回避すること。議論の場からは逃げろである。弱い者の唯一の戦略は逃げることのみ。 それでも議論という時は、メモを取ること。こちらからできるだけ発言しないこと。相手の矛盾とかめっけてもそれを攻撃材料に使わないこと。そんな状況が窮地なるような人間が議論が強いままでいられるわけないじゃん。議論が強いというのがそいつの人生の正体なのである。ふんなものどだい人間じゃないぜ。熊に一撃で勝てる人間がわずかなのと同じ。 なので
先日ある宴席で、同僚の女性にこんなことを言われた。「先生って、あんまり勉強しなくても成績良さそうなタイプですよね」と。そんなふうに実際に言われてみると、それはそれで悪い気はしない。もちろん、そういう言葉にはイヤミとしてのニュアンスが含まれている場合も多いのだが、彼女はそんな感じで言ったわけではなさそうだし。 そんなふうに言われて、むろん悪い気はしない。そうか、そんなに頭良さそうに見える?なんて、心の中でニヤついていたりして。 でもまあ結局、僕と彼女は似たような偏差値の大学を出て、一緒に働いているわけであり、僕としては、「いや、自分なりに勉強したつもりなんだけどねえ」なんて答えたのだけれど。 僕の学生時代は「勉強ができる人たち」と過ごしていた時期が長かった。「天才的にできる人たちばかり」という領域ではなかったけれど、「天才的から中の上くらいの偏差値」の人たちばかりが、僕の周りにはいたわけだ。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く