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読み物と建築に関するcastleのブックマーク (1)

  • 巨大ターミナル「新宿」を迷路駅にした数奇な歴史

    1日の利用者数が300万人を超える新宿駅。そんな巨大駅は、歴史的な経緯から主に東側に開発リソースが注ぎ込まれてきた。 江戸時代に宿場町の「内藤新宿」としてにぎわったのは、現在の新宿3丁目付近。明治・大正期には東京市電(後の東京都電)が都心部から延びてきたが、昭和に入っても元私鉄(西武軌道)の都電14系統を除けば、新宿駅の東側で路線は終わっていた。令和の現在からは想像できないことだが、新宿駅東口が東京の端といえる状態だった。 なぜなら、新宿駅西側には淀橋浄水場と大蔵省専売局(現・JT)の工場が立地していたからだ。専売局の工場は戦前の1936年に移転したが、1898年に稼働した淀橋浄水場は戦後も都民の水がめとして機能した。浄水場なくして東京都民の生活は成り立たない。このため移転には時間を要し、新宿駅西口はほぼ手付かずのまま戦後を迎えた。 新宿駅の開業は1885年 新宿駅は、上野駅をターミナルに

    巨大ターミナル「新宿」を迷路駅にした数奇な歴史
    castle
    castle 2021/12/29
    「新宿駅西側には淀橋浄水場と大蔵省専売局の工場~1898年に稼働した淀橋浄水場は戦後も都民の水がめとして機能」「東京五輪を機にした都市インフラの整備が始まる」「都庁舎の移転は“平成のミニ遷都”と呼ばれ」
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