平戸城天守図、17世紀 平戸城の航空写真 (1977年撮影・国土航空写真) 平戸城(ひらどじょう)は、長崎県平戸市(肥前国松浦郡平戸[注釈 1])にあった日本の城。江戸時代には平戸藩松浦氏の居城であった。別名は亀岡城(かめおかじょう)、日之嶽城(ひのえだけじょう)。 概要[編集] 平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。 三方を海に囲まれ天然の堀としている。丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。 最初は安土桃山時代の末期に松浦鎮信(法印)によって築かれたが破却され、江戸時代中期になって再建された。再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされたという。平山城では唯一の山鹿流による城郭である(平城である赤穂城も赤穂市の発掘調査によりその可能性が考察されている[1])