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どちらかというと偶然に読んだ本だったか、これがとてつもなく面白かった。どう面白いのかというと、多面的だが、まさにこういう本が読みたかったという思いにズバリと突き刺さる本だった。 内容は邦題が示しているように、ごく平凡な若者が、一年間の記憶術の訓練で全米記憶力チャンピオンになるまでの話を軸に、記憶術がどういうものか、また人間の記憶能力とは何か、ということだ。実に上手に描き出されている。私にとって一番面白かった点は、記憶術の歴史に関連する部分ではあったが、その他の面も面白かった。 正確にいうと、著者は「ごく平凡な若者」とは言えない。邦題どおり「 ごく平凡な記憶力」だったとは言えるだろう。だが、本書にも触れられているが、全米記憶力チャンピオンは国際的にはど田舎と言っていい。欧州のチャンピオン達にはかなわない。もっともそれでも全米一は驚くべき記憶力である。 というわけで、本書は、記憶術のハウツー本
コラムニストの、と呼んでよいのかためらうが山本夏彦氏が亡くなったのは21世紀になってから。正確には「夏彦の影法師―手帳50冊の置土産(山本伊吾)」(参照)にあるように、2002年(平成14年)10月23日午前3時50分。未明であった。87歳。彼の好きな享年でいうと88だろうか。米寿。沖縄ならトーカチ。長寿の部類であることは間違いないが、その年の彼の活躍を見るともっと生きていそうにも思えた。生涯記したメモ帳にはその月の13日に「ゲラ出る。間に合う」とあり、最後まで物を書く人であった。 本書は彼のご長男が書いたもの。伊吾氏、1946年生まれ。本書にもあるが新潮社の写真誌フォーカスの編集長をされていた。その地位にはなんとなく父親の七光りもありそうにも思えたものだが、そういうことはまったくない。では父譲りの文才であったかというと、そこもストレートに結びつくものではない。が、本書を読んでみると、ああ
このところ文語について考えることが多く、ふと、ああそうか、と思うことがある。例えば、ネットで有名な神戸女学院大学名誉教授の内田樹先生のお名前。「樹」を「たつる」と読ませる。人名はいかように読ませようとご勝手なのだが、所以はあろう。なにゆえ? 手元の広辞苑を引くと、「樹」の読みには「〔音〕ジュ(呉)〔訓〕き・うえる・たてる」とある。訓に「たてる」があるので、さてはこれを古語にすれば「たつる」であろうなと想像は付くってなのはググレカスみたいな現代人であって、普通はあれを思い出す。 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ 教育勅語である。 訓ずるに、「ちんおもーに、わがこーそこーそ・くにをはじむること・こーえんに・とくをたつること・しんこーなり」である。 して「樹」とて何を「たつる」かといえば、德である。人徳である。現代語訳すると、かく。 私の記憶がたしかなれば、私のご先
「正法眼蔵随聞記」は不思議な書物である。これに魅せられた人は生涯の書物とするだろうし、私も40歳を過ぎて絶望の淵にあるとき、ただ読みうる本といえば、この本だけでもあった。この本から生きることを学びなおした。 「正法眼蔵随聞記」は鎌倉時代の僧・懐奘が師・道元の教えを記した書とされている。懐奘にこれを公開する意図があったかはわからない。現在の「正法眼蔵随聞記」という書名があったわけでもない。それでも「正法眼蔵随聞記」という書名は、道元の主著「正法眼蔵」を連想させ、その正法に「随い聞く」という主旨が反映されている。 懐奘が30代半ば、新しく得た、そして真実の師である道元の教えを書き出したのは、その学び始めのころ、文暦元年(1234年)ごろとされている。北条泰時執権の時代である。書き記した文は、懐奘の死後、その弟子によって書写されていたが、広く世間に知られるようになったのは、現在の岩波文庫が採って
昨日尖閣沖衝突事件の中国側の背景について触れたが、もう一点補足と関連の話をしておいたほうがよいかもしれないとも思った。なぜこの時期に中国は領海問題というタッチーな問題で騒ぎ出したのか、そして、なぜ胡錦濤政府は過剰なまでに強行的な立場を取るのか。 9日のことだが広東省広州市の日本総領事館外壁に中国人男がビール瓶投げつけ公安当局に取り押さえられた(参照)。また12日には天津市の日本人学校のガラス窓が撃ち込まれた金属球で割られる事件が発生した(参照)。こうした絵に描いたような反日運動誘導的な事件だが、時期的に今回の尖閣沖衝突事件の文脈で報道された。 実際には、柳条湖事件から79周年を迎える9月18日にちなんだ、予期された反日活動の一環でもあった。むしろ、尖閣沖衝突事件の中国社会での受け取り方には直接的にはこちらの文脈に置かれている面もあった。19日付け時事「日の丸燃やし抗議=柳条湖事件79年「国
太平洋戦争が1945年に終わり、二、三年後、ベビーブームと呼ばれるが、新しい日本人が多く生まれた。その子供たちが青春を迎えた1960年代後半は、日本の歴史においても特異な時代となった。戦後のリアルな貧困は体験しているものの、戦争を知らずに育った多数の若者たちは、その時代、親の世代や、因習と米国に盲従する日本というシステムに反抗した。 戦後世代の反抗。そう概括することはたやすい。現在からあの時代を記録のような大著にまとめることも、簡単とは言えないまでも、難しい作業とは言い難い。難しいのは、あの時代に生きて、その反抗の総括をその後の人生において成し遂げること。「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!(加納明弘、加納建太)」(参照)は、その見事な達成だった。 昨今のネット時代では、1957年生まれの私なども爺扱いされ、団塊世代とごっちゃにされることがあるが、私はポスト全共闘世代で、それなり
15日、韓国の光復節(参照)の記念式典で、韓国・李明博(イ・ミョンバク)大統領が、南北朝鮮の統一時に必要とされる費用捻出のために、統一税を提言し、大きな波紋を呼んだ(参照)。 李大統領は南北朝鮮統一にかかる費用の参考として、東西ドイツ統一に20年間で2兆ユーロ(約220兆円)を要したとの推定を含めた(参照)。ドイツでは、統一後、統一連帯賦課金が導入されたので、それを模したいという含みもあるだろう。 南北朝鮮統一にはどの程度の費用が掛かるだろうか。韓国政府としては、今後30年間に渡り、最大2兆1400億ドル(現行レートで約182兆円)と推定しているようだ。年間では、84兆ウォン(約6兆447億円)の財政支出が30年にわたって継続することになる(参照)。その倍の5兆ドルとする推定もある(参照)。財政的に非常にきついと思われる。その事態になれば、おそらくその少なからずを日本が負担することになるだ
パリスとヘレンといえば、そうだブラッド・ピットがアキレスを演じていた2004年のハリウッド映画「トロイ」(参照)を見ようと思って見逃していたことを思い出し、見た。160分もあった。どうせといってはなんだけど、大人の紙芝居なのだから、もう少し短くてもよかったのではないかなとも思ったが、ブルーレイのディレクターズ・カット版(参照)だと196分あるらしい。元の話は日本でいったら大河ドラマみたいなものだから、そのくらあってもいいだろう。イリアス(参照)では、トロイ戦争はこんな短期間の戦争ではない。 トロイ戦争の始まりだが、ギリシア神話「キュプリア」では、主神ゼウスは戦争によって地上にあふれる人間を減らそうとテミス女神と図ったことだ。まず諍いのきっけかを作る。それには、不和と争いをもたらすエリス女神をパーティのメンツから外して怒らせることだった。エリス神は「一番の美女にこれあげるわよ」と黄金の林檎を
昨日のエントリの続きみたいなもの。昨日のエントリも、もう少し整理してもよかったのだけど、とりあえずそこまでは書いておくかな、さてその先はどうしようかなと少しためらっていた。 くだらない話から簡単に先につづけると、自由の女神は日本全国ラブホの象徴だろという話だが、それは知っていた。というかそれが普及するのは吉祥寺の像の移転の時期と重なるのではないか、という時代の問題の端緒として考えてみたいかなというのがあった。 さて続きだが、「アメリカ的進歩(American Progress)」の女神について、「あるいは、これは自由の女神とは別なのだろうか。だとすると、それは何か(たぶん次回に続く)」ということだが、絵のタイトルのなかに答えは隠れている。 「アメリカ的進歩」と訳すと誤訳ではないがわかりづらくなる。"American Progress"は、「アメリカなるものの前進」で、この女神がアメリカなの
インフルエンザは宇宙からの影響力? インフルエンザにもう少しこだわる。インフルエンザ(Influenza)という言葉は、18世紀にイタリア語から英語に入ってきた外来語だが、意味は英語の"influence"(影響)と同じ。現代人からすると、インフルエンザはウイルスの影響と考えたいところだが、当時はなぜか宇宙にある天体の影響と考えられていた。 インフルエンザ(Influenza)という言葉が英語に入ったのは1743年のこと。全欧を覆った流行性感冒が"influenza di catarro(咽喉・鼻粘膜炎症のインフルエンザ)"と呼ばれた。人間の病気が、天体によって起こるという考え方は現代からすると奇妙だが、当時は広く受け入れられていたようだ。 典型例には、1493年にスイスのアインジーデルンで生まれたパラケルスス(Paracelsus)の医学論がある。彼は各種の病気は、天体がもたらす毒が原因
医師サミュエル・ハーネマン(Christian Friedrich Samuel Hahnemann)は 、1755年4月10日、現在のドイツ、ザクセン州マイセン郡に生まれた。11日だったという異説もある。なお、ドイツ語読みではザムエルだが、英米圏での話題が多いことから英語読みとしておく。 同年に生まれた有名人にマリー・アントワネットがいる。つまりルイ16世は一つ年上である。同年はルソーが『人間不平等起源論』を書いた年でもあった。同時代に近い日本では、医師でもあった平賀源内が1728年の生まれ、同じく医者でもあった本居宣長が1730年の生まれである。 サミュエルの父は画家でもあり、また親族にはマイセン磁器の絵付け師も多かった。だが彼は芸術の道には進まなかった。子供の頃から語学の才能があり、英語、フランス語、イタリア語に習熟した。ギリシア語やラテン語は当然できた。さらにアラビア語、 シリア語
⇒はてなブックマーク - 僕は今まで世界史を全く勉強せずに生きてきました.大学受験時代は,ただの丸暗記教科と見ないしていて興味がわからなかったのです. しかし,今は,現代というものがどう.. - 人力検索 元⇒僕は今まで世界史を全く勉強せずに生きてきました.大学受験時代は,ただの丸暗記教科と見ないしていて興味がわからなかったのです. しかし,今は,現代というものがどう.. - 人力検索はてな 各種書籍の勧めがあり、それぞれいいんじゃないかとも思うし、一般的に言って、世界史に関連する書籍は良書ほど読みづらい。 私が思うのは、世界史を知る必要が出てくるのは、40歳半ばではないかと思う。自分という人間が僥倖ありて半世紀も生存し、そのなかに歴史が溜まってくるなかに、きちんと日本史や世界史というものが目覚め始める。 質問者は「しかし,今は,現代というものがどういうコンテキストの中に埋め込まれているか
このところ、江藤淳の痛みのようなことをぼんやりと考える。彼も自決だった。そして、その自決は三島由紀夫と同質でもあったかもしれない。 江藤は32年生まれ。昭和7年だ。三島は1925年(大正14年)。私の父が26年生まれ。 父は大病で結果的に戦死を免れ、私がこの世にいる。彼の兄、つまり私の伯父はインパールで戦死した。つまり、殺された。父は私をその兄に似ていると見ていたふしがある。私は伯父の転生かもしれない(冗談ですよもちろん)。 三島も実質戦争を免れた。そのことを内心、忸怩たる思いがあっただろう。彼は団塊世代の上にあたり、GHQの所作も見てきたし、戦後日本の欺瞞も見ていた。耐えられなかったというのはわからないでもないが、それより、自身の確立がGHQなるものとそれに結託する日本的なるものに耐え難かったのだろう、というのはわからないでもない。天皇崇拝みたいなものは、偽悪的に言えば、そうした仮託の偽
昨日のエントリ”極東ブログ: 国民による国民のための国民の政府”(参照)でいろいろ愉快なコメントをいただいた。歴史認識についてはゆるりと議論すればいいし、他の意見の相違の類は面々のおんはからいにするがよろしかろう、多事争論ではあるが、にしても基本的な部分でテキストが読まれてないっていうか、昨今の人は言葉の持つ歴史の感覚っていうのはなくなっているのかなと思うことはあった。特にこれ。 どうせ「人民はアカっぽい」とかいう意図を込めてるんだろうが、ミエミエ。finalventなんてミラーワールドでモンスターに喰われちゃえ。 妄想メソッドやんとか言わない。左翼って私の知らない本心とか批判してくださるのがテンプレだし、その土俵は野暮過ぎ。そんなことはどうでもいいのだけど、”どうせ「人民はアカっぽい」”という発言にちとびっくりこいた。エントリを読んで貰えばわかると思うけど、「これは近代日本の造語ではない
ここですね⇒Remarks by the President at the Acceptance of the Nobel Peace Prize | The White House And yet too often, these words are ignored. For some countries, the failure to uphold human rights is excused by the false suggestion that these are somehow Western principles, foreign to local cultures or stages of a nation's development. And within America, there has long been a tension between those who
文藝春秋の今月号でも紹介記事があったが、新刊の「ヒトラーの秘密図書館(ティモシー・ライバック)」(参照)を読んだ。内容に間違いがあるというのではないし、トンデモ本ということでも、まるでない。が、一種、微妙に、変な本であった。 読みながら、こういう本って他にあるだろうかと、なんどか思った。書かれている事実や考察は、普通に興味深いのだが、ふと、奇妙に、なんか変だなあ、という印象を残す。おそらくそれは通念としてのヒトラーと絶妙にズレた何かを読み解くことが可能なエピソードに満ちているからだろう。さらにそのズレは、およそ読書家というものの本質に関わるものであるように思えてくる。読書家を密かに自認する人ならば、自虐的な意味を込めて、本書は必読書である。読むと、痛いよ。 邦題は「秘密図書館」になっているが、オリジナルタイトルは「Hitler's Private Library: The Books Th
いや、ごくちょいと。 昨日のこれの続きのような話。 ⇒ちょっと野暮なツッコミしとくかな - finalventの日記 関連は。 ⇒[書評]「はだかの王様」の経済学(松尾匡): 極東ブログ ⇒World 3.0 という雑想: 極東ブログ ほいで、ちょいとというのは、マルクスは市場をどう考えていたのか。 一般的に社会主義と市場主義(?というのは新自由主義とか同じで定義が意味不明っていうか新自由主義とかいうやつノータリンじゃないのか)というのは対立して考えられている。そして、一般的によくあるおサヨクさんは、市場主義(?)や市場社会、市場経済を否定しちゃう。それこそ、格差の原因だとかぬかして。 おサヨクさんがそうなっちゃうのは、前のエントリでもそうだけど、吉本隆明がすぱっと言ったように「右翼とか左翼かというのはスターリンの作った概念」でしかない。で、レーニンにも責任があるんだけど、日本とかにうじゃ
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