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マルクス主義と批評に関するlotus3000のブックマーク (1)

  • ララビアータ:江藤淳の『小林秀雄論』について - livedoor Blog(ブログ)

    私は小林秀雄も江藤淳も、あまりまじめにフォローしているわけではないが、それでも初期の小林秀雄(『さまざまの意匠』『私小説論』など)には共感を持って親しんでいるので、江藤淳のこのも特に前半は興味深く読むことができた。自然な流れとして、自分の自由論や『ヨブ記』解釈のポイントを確認しながら読むことになった。以下は、その読書ノートである。 テクストの中に自己自身を見出すという形で主体を論じること、それが私の主体理解である。言語という象徴界への参入と臣従によって主体となるのである。その原型を反復する形で、宗教的主体は教典の中に自己自身を見出さねばならない。 それとの類比で言えば、スターリン主義的主体の場合、マルクスのテクストの中に割り振られたキャラクター(革命的プロレタリアートという役割)を引き受けるということになる。 その自己の内実は空疎であり、抽象理論によって規定されたものにすぎない。農村共同

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