プラトンは、精神を「欲求的部分」「気概的部分」「理性的部分」に三分した。前二者を理性的部分が統御すべきものとされる。欲求的部分を理性がコントロールするというのはわかりやすい。これはフロイトの快楽原則と現実原則のようなもので、快楽を最大化するためにも、理性は欲望を統御しなければならない。だから欲求的部分と理性的部分の間に不整合は存しないはずだ。 しかし気概的部分と理性との間はどうか? ソクラテスは、恐れるべきものを恐れ、恐れる必要のないものを恐れないことこそ、真の勇気だとした。(『国家』430)。したがって、何を恐れるべきかを知ることこそが、気概を導かねばならないわけである。 しかし、危険の範囲があらかじめ知られているのなら、何を恐れる必要があろうか?次にどんなことが起こるか予見できるのなら、恐れも勇気も必要ない。 コロンブスは、インドをめざして大西洋を西へ西へと進んだ。すぐに故郷の港は水平