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光市母子殺害事件に関するlotus3000のブックマーク (3)

  • 「天国からのラブレター」、絶版になってたのか…。 - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。

    「天国からのラブレター」*1、いつの間にか絶版というか取り扱い中止のような状態になってるみたいなんだな。いろいろあっただけに、思うところがたくさんある。 このは「それが拘置所に差し入れられた」結果、被告人が「7年で仮釈放できる」と思ってしまったりといろいろとあるだったが、いつの間にか入手不可能になってたとは…。文字通り「役割を終えた」と判断したんだろうな新潮社は。でもそうやって「なかったこと」にしていいのかねえ。 村さんはこの件についてどう思っているんだろうか。 関連記事 ■「天国からのラブレター」に「7年で仮出獄」と書いてあった? http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20070915/1189860653 ■光市事件の元少年が書いた「手紙」について2 http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20081013/1223

    「天国からのラブレター」、絶版になってたのか…。 - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
  • 「忘れる」という権利 (Dead Letter Blog)

    前回のEntryでは、被害者が非の打ち所のない・何も責めを負うべきところのない人間であったとしても、彼らが共感・同情心を世間から調達し続けられる保証はない、従って「被害者の人権の保障」を巡る「ゲーム」は被害者にとって苛酷である、という主張をした。 今回はもう少し踏み込んでみる。 藤井誠二はこのようなことを言っている。「愛する家族が殺されたら、復讐したいと思うのは当たり前」であり、それは「ごく当たり前の人間の感情や情緒」であると。 ここで先に結論を言っておく。僕は「そうは思わない」。 なぜなら人間は「忘れてしまう」生き物だからである。激しく恋焦がれる「感情」も月日と共に消え去っていくのが普通だし、愛する人が目の前で死ぬ絶望感のそのありありとした生々しさでさえ時間が奪い去ってしまう。憎しみも感情である以上またそうである。藤井が「人間としてそれが当たり前」という論理で押し通そうとするのなら、僕

  • 子供ばかり責められるのはなぜか | 井上靜 網誌

    少年事件のたびに疑問なのは、どうして被害者と社会一般の多くが、子供を責めて親を責めないのかということだ。 あたりまえのことだが、子供のことは親が責任を持つものだ。だから、未成年者に違法行為があった場合、親が責任を問われ、子供は罰するより更生させるようにするというのは世界の常識であり、日の法律でもそう規定されている。 親の責任を追及したうえ、それでもまだ子供にも責任を問うべき部分があるというならともかく、ほとんどは子供ばかり責める。 光市事件なんてその最たるものだ。親や地域社会や社会制度の問題を充分に追及したうえでの話ではない。 報道は煽りばかりが目立つため知らない人も多いが、犯人の父親は、子への暴力が日常茶飯事だった。団地住まいであるため泣き叫ぶ声などから近所中に知られていた。幼い息子の目の前でその母親を執拗に殴り、怯える息子も見かねて止めに入ると今度は息子をぶちのめしたうえ風呂場へ引

    子供ばかり責められるのはなぜか | 井上靜 網誌
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