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思想とひきこもりに関するlotus3000のブックマーク (3)

  • 分析的な 《つながり方》 を設計するために - Freezing Point

    以下の酒井泰斗氏のご指摘は、さまざまな関係者にも読んでいただきたく、まとめてみました。 直接には私へのレスポンスですが、「これにどうお答えするか」というのは、 技法のもんだいとして、時間をかけて議論したいです。 ●「分析にあたっては、継続的な修正のできるやり方が必要」(酒井〔contractio〕氏) 以下、現時点で答えられることにお返事してみます。 《当事者》枠とディシプリン 【1】 「A:苛立ちの分析」は──「苛立っているひとの分析」ではなくて──、「それが生じる状況-に参加している人たちが-何をどのようにしたか-についての分析」を必要とするでしょう。 2012-11-16 22:07:19 via HootSuite @ueyamakzk ところで、そうしたことと、「B:悩んでる人、弱い立場の人を一方的に《当事者》と名詞化するのではなくて、…、分析してもらえませんか?」というお願いの

  • 「当事者」を、名詞形で言うのをやめませんか。 - Freezing Point

    いちど孤立した人が居場所を作ろうとするとき、つながれたかどうかだけでなく、《どういうスタイルで繋がるか》が問われる*1。 しかし孤立する恐怖は、つながりそれ自体を強迫化する。 あるつながりを、そのスタイルを問わずに絶対化する。 《当事者ナショナリズム》な同一化が、人を迫害するフレームになる。 “健常者” は、自分が健康だと思う社会性のスタイルを《ひきこもり当事者》に押し付ける*2。 最初はおっかなびっくりだった《ひきこもり当事者》も、これでいけると思い始めると、「あいつは社会性がない」と非難を始める。 ひきこもり問題は、「逸脱者を歓待すればよい」というだけの話ではない*3。 ある社会性の方針は、“臨床的な” 方針をすでに含みもっている*4。 人をカテゴリー化することで、あなたは一定の《社会性=臨床方針》を生きる(参照)。 「ひきこもり当事者」という名詞形の自己確認で、ようやく居場所を得たと

    「当事者」を、名詞形で言うのをやめませんか。 - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2010/12/11
    重要な指摘。とくに左翼の陥りやすい罠についてわかりやすい形で示している。しかしこれ、本当に乗り越え可能なのか難しい。アイデンティティとはまさしく名詞化することではないのか。
  • つながりと実存、社会化と承認をめぐるメモ - Freezing Point

    《社会参加臨床》を考えるなら、ここらへんの原理論をやらない人は、ご自分の思い込みや党派性に巻き込んでいるだけです。 うかつに臨床を語れば、ベタな医療目線に終わってしまう。 ある議論事業には、コミュニティ形成機能がある*1。 議論事業の措定が、実存を安定させ、コミュニティをつくる。 議論事業の枠内にいるかぎり、その前提部分は見えてきにくい。 「感染」を説く宮台真司と、嗜癖的な没頭を推奨する斎藤環は、処方箋として同じ話をしている*2。 ご自分を「成功した側」に置き、「対象は何でもよいから、魅惑されなさい」。 ここでは、《入門》という苦痛に満ちた境界線がモチーフにならず、「成功した入門後」*3は分析されない。 コミュニティについても実存についても、反復される「内側からの制作過程」*4が主題にならない。 「結果的に成功した状態」が範例として示され、「あんなふうになればいい」とのみ推奨される。 これ

    つながりと実存、社会化と承認をめぐるメモ - Freezing Point
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