タグ

ブックマーク / technique.hateblo.jp (176)

  • 精神科病棟を、入院とはべつの賃貸物件にできるか - Freezing Point

    《精神科病床が住居に? 長期入院は減らせるか》(NHKクローズアップ現代) 精神科の関連施設をめぐる議論は、多くが規範的です(患者さんを受け入れる「べきだ」)。先日も小児科医による反対運動が問題になりましたが(参照)――この医師を「規範的に」糾弾するだけでは、具体的にどう調整していくかが見えにくい。 左派系の議論は、規範的な誤りに見えるものを凄まじい憎悪表現でぶちのめそうとするので(左派のヘイトスピーチ)、持続的な関係調整を前提にした議論になりにくいのですね。いわば、ソーシャル・ワーカー的な配慮が見られない。 「迷惑」というのは、双方向的です。 患者さんがかける迷惑もあれば、古い地域住民が患者さんにかける迷惑もある。どっちかが過剰に我慢するというのも変な話です。――ところが、これを左派的に論じてしまうと、「住民はひたすら我慢せねばならない」みたいな、一方的な議論になりませんか。*1 規範的

    精神科病棟を、入院とはべつの賃貸物件にできるか - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2019/04/10
  • 動詞的・身体的な技法の多様性 - Freezing Point

    理論と規範ではなく、技法論的な当事者性から考えたい。 そういう私の視点にとって大事な話をしている論考から引用メモ。*1 野口裕之「動法と内観的身体」(PDF)より 先人達が拓いた無形の遺範でありながら、現在は既に風化しつつあるこの伝統的身体運動を、私は〈動法〉と呼び、〔…〕日文化は動法を土壌として咲いた花である。 それぞれの文化に特有の身体運動があるなら、それは「動法の多様性」というふうに言えるんだと思う。これは民族名など「名詞の多様性」を基礎に据えるのとは別の、いわば動詞的な技法の多様性を吟味するものだろう。 私にふさわしい技法は、あなたにはふさわしくないかもしれない。それぞれに適した技法は、身体その他、さまざまな要因に規定される。運動イデオロギーで支配するような全体主義は、いわば技法論的にこそ(そのつど個人的に)修正される。そのような技法論的修正に場所を与える環境が望ましい。 野口

    動詞的・身体的な技法の多様性 - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2019/04/10
  • 和語では、動詞が名詞化されにくい - Freezing Point

    名詞で考えるのではなく、動詞中心の試行錯誤に変えてゆくべきだ ――という提案(参照)に関連して、あれこれ資料を探しています。*1 翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189) 作者: 柳父章出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1982/04/20メディア: 新書購入: 16人 クリック: 70回この商品を含むブログ (57件) を見る以下、同書からの引用。 「存在」は古く漢籍で使われているが、用例は少ない。 「英華字典」には「存在」という訳語はない。 「社会」と同じように、翻訳語「存在」は日製である、といえよう。 〔p.109〕 「存在」ということばが最初に現われるのは、私の見た限りでは、1871(明治4)年に出た、長崎の人、好樹堂(こうじゅどう)訳『仏和辞典』で、être が、「存在、形体」となっている。以後、フランス語系の訳語でよく使われていたようで、 〔後略、pp.109-110〕

  • 順応主義と、専門性ナルシシズム - Freezing Point

    シニカルな人は、専門性に弱い。 彼らが嗤うのはあくまで「知らないのに知った振りをしている」に対してであり、「専門家」には簡単に去勢される。 裏返せばそこに最悪のナルシシズムがある。 既存枠組みでの専門性は、それへの順応主義の形で窒息をもたらす。 「専門性の現状」を基点に制度分析できること、そこにこそ社会参加のために決定的な臨床的焦点がある。(転移は、その距離に対して生まれる、そのスキマに対して参加の場所が生まれる。転移とは、「自分も仕事をしていいのかもしれない」と思わせる場所のことだ。それは、専門性と無関係ではない。) 斎藤環は、「現代では成熟できない」というが、むしろ専門性への順応で「成熟できた」顔をしたがる人ばかりではないか。 世代は関係ない。 それこそ成熟できたような顔をして、「現代では成熟はできない」などと言うべきではない。 それ自体が「専門性に酔う幼児性」だ。 老人のようにメタに

    順応主義と、専門性ナルシシズム - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2016/05/04
  • 「反知性主義」と、潜行的な知性 - Freezing Point

    上尾真道氏【《書評》:ジャック・ランシエール著、梶田裕、堀容子訳『無知な教師』】 書評文より(以下、枠線内はすべて上尾氏の文章からの引用)*1: 当代の知識人たちが寄稿するこの雑誌が、知性の代表みたいな風にして、(ポピュリズムの政治も含め)現代の民衆がいかにアホであるかについてごたくを並べていたらやだな、と思ったのだ。 左翼・リベラルの文脈で口にされる「反知性主義」という罵倒語は、 むしろ「それを口にする人の話は聞かなくてよい」の指標みたいになってますが、 この上尾真道(うえお・まさみち)氏*2の書評は、たんに他罰的な見下しとは違う、 むしろそういう「見下し」に疑問を呈する話になっています。 熟読しました。「反知性主義」について書かれた文章としては、 これまでに読んだもののうちで最も魅力的でした。 こんにちの「反知性主義」論の居心地悪さは、こうした「ほんものの知性」の擁護を、エリート主義

    「反知性主義」と、潜行的な知性 - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2015/06/25
    反知性主義批判の問題点
  • 2007-09-23

    ナルシシズムの発露とは別の、分析的な「人による議論」が必要だ。語ったり書いたりすること、それを事後的に分析することは、硬直したナルシシズムの制度から自由になることだし、そうでなければ言葉を尽くす意味がない。現状では、「語れば語るほど独りよがりになる」というタイプばかりに見える。 「状況には課題がある。ナルシシズムにかまけている場合ではない」という言い方は、それ自体が(課題の制度を硬直させたままの)ナルシシズムであり得る。自分の組み込まれた環境や、自分が生きている意識の制度への分析を欠いたまま、「やるべきこと」に没頭することでアリバイを得る。一つの分析スタイルは、それ自体が硬直した制度であり得る。その分析遂行の動機付けは、あんがいナルシシズムや私利私欲でしかない。 ナルシシズムしか許されない場は当に苦しい。その苦しさを単に人のせいにしたり、「やるべきことをやれ」とのみ言うのではなく、無

    2007-09-23
    lotus3000
    lotus3000 2015/05/14
    これかなり重要な論点を含んでいるなあ。オタ文化以外にも応用できそう。
  • 名詞形のウソ - Freezing Point

    ルワンダ虐殺拡大のきっかけとなった、HipHopラジオ RTドキュメンタリー演劇 Hate Radio URL 2014-05-09 01:35:03 via Twitter for iPad リンク先の『Hate Radio』(SPAC)より: DJは「ツチ族」との友好を否定し、「フツ族」の団結を歌った、シモン・ビキンディの『こんなフツ族は嫌だ』を流し、女性パーソナリティのヴァレリーが「ツチ女性」へのレイプを示唆した後は、ニルヴァーナの『Rape me』を流す。ベルギー人ジョルジュの伝える国際ニュースにはウィットと悪意のある“民族ジョーク”が混じり、カンタノは11歳のリスナーとの電話のやり取りで隣人を狩ることを鼓舞する。 ※現在のルワンダ政府は、「ツチ族」「フツ族」という民族の区分は植民地支配の産物であるとしている。 軽妙なジョークにおける概念操作も、私たちの感情に影響している。 武内進

    名詞形のウソ - Freezing Point
  • 2007-03-25

    『引きこもり狩り―アイ・メンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判』について 2006年4月、ひきこもりを「支援」するはずの施設で起こった死亡事件(参照)を受け、さまざまな経歴を持つ6人の原稿と、緊急シンポジウムの記録が掲載されている。 細かく読めば、論者によって主張する内容はさまざまなのだが、このの全体が、ひとつの政治パンフレットのように成立している。 「ひきこもるしかなくなってしまった人は、とにかく追い詰められているのだから、まずは全面的に肯定されるべきなのだ」と。 社会復帰を強要する、「善意」の支援の暴力性――「引きこもり狩り」――が、繰り返し批判される。 正直に言えば、積極的なひきこもり論としての内容には乏しいのだが、憎悪に満ちた「支援」論があとを絶たず、死亡事件まで起こっている現状では、「まずは無条件に肯定してみせる」という直截な素振りの政治的意義は、どうしても無視できない。 暴

    2007-03-25
  • 批評が臨床であり、責任を問われていることを真に受けるために - Freezing Point

    行ってきました。大阪です: ★『むかしMattoの町があった』自主上映会 特別企画(参照) イタリア精神保健改革をもっと深く知りたい! 理念的な目標については、映画を観てペッペ・デッラックア氏の講演を聴きに来た時点で、あるていど共有されていると思うのですね。「患者さんを人間扱いする」とか、「精神科病院なしでやっていけるはずだ」とか。 それをイベントで反復するだけでは、左翼のイデオロギーを仲間内で確認しておしまい、みたいなことになりかねない。その意味で、「前提のスローガンはもういいから、具体的な細部の話をもっと最初からしてほしかった」という感じはありました。 介入の思想と実務 ペッペ氏はいくつも論点を出されましたが、*1 決定的だったのは、地域住民とのかかわりや、強制治療に関しておっしゃった、次の点です(大意): 交渉と関係性のゲームをやる 強制的な治療や注射が、必要なこともある。けれども、

    批評が臨床であり、責任を問われていることを真に受けるために - Freezing Point
  • 練習と稽古 - Freezing Point

    先日のエントリのことでお話をご一緒していたら、 精神科医・美術批評家の三脇康生氏より 試合より、練習のほうが重要 というアイデアを頂いて、そこからずっと考えています。 練習というのは、非常にふしぎな概念です。 たんなる精神でも、たんなる身体でもない。 概念はふつう、一挙に丸ごと手に入るものですが、練習というのは、時間的なことを設計しなおさなければならない。概念そのものに、素材と時間要因が同時に含まれています。*1 イタリア精神保健のイベントで感じたことでいうと、 いくら素晴らしい議論を誰かがしても、それを受け止める準備ができていなければ、なんだか綺麗ごとの理念で終わってしまいます。だとすると、重要な議論をそれとして持続できるようになるためには、それに応じた、集団的な《練習》が必要にもなるでしょう。 ――長い時間をかけて、いろんな方とご一緒したいような、議論のふくらみを感じています。三脇氏が

    練習と稽古 - Freezing Point
  • 「孤立無業」についてのメモ - Freezing Point

    玄田有史 《孤立無業者(SNEP)の現状と課題》(PDF、2013年1月) 論文を引用しながら、概念の位置づけや数字などを確認しておく。*1 孤立無業者〔Solitary Non-Employed Persons: SNEP(スネップ)〕とは 「20歳以上59歳以下の在学中を除く未婚無業のうち、 ふだんずっと一人か一緒にいる人が家族以外いない人々」 60歳未満 未婚 無業者 の推定人口を2011年時点で求めると、255.9万人となる。うち先の定義に基づき孤立無業者の推定人口を計算すると、その数は162.3万人に達している。 逆にいうと、未婚で無業でも「孤立はしていない」というかたが、結構いらっしゃる(93.6万人)。 厚生労働省は労働力調査を用いて2011年時点のニート人口を60万人とする*2。さらに2011年時点のフリーター数について同省は176万人と試算する。 《孤立無業》は、表現とし

    「孤立無業」についてのメモ - Freezing Point
  • 「生まれてこないほうが良かった」について - Freezing Point

    はてブ:《子供を作るのは鬼畜の所業。それか馬鹿。》 【メタはてブ】  【さらにメタ】 与えられた生を引き受けられないと感じたときに、 どうしても直面させられる(参照)。*1 ひきこもる人の一部は、 勝手に産んだのだから、親は俺の面倒を見る義務がある という論陣を張る。それをバカにすることはできても、 この言い分が生を引き受けられずにいる姿そのものであるという事実は残る。*2 「結論」を知的に出せるかどうかはともかく、 生まれてしまったものを引き受けられない弱さは、 事実として対処を迫られる。 生を肯定することが哲学で問われるのは、それほどまでに肯定が難しいから。知的というよりも、具体的な処方箋や技法として。世界を肯定することが(石ころのように)自明なら、問いや技法は必要ない。 《引き受けられない》という、そのこと自体がヒトの事実性になっている。*3 「肯定しろ」と外在的なお説教しかできない

    「生まれてこないほうが良かった」について - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2013/07/03
  • レヴィナスの動詞論 - Freezing Point

    私は、名詞形の「当事者」概念に疑念を持ち(参照)、 なんとかそれを動詞形で扱えないかと試みているのですが、 「レヴィナスが、《名詞ではなく動詞を》という話をしている」 というご教示をいただきました(参照)。 ネット上に引用されていたレヴィナスの文章:*1 ...de l’apparition même d’un existant, d’un substantif au sein de cette existence impersonnelle que – à parler rigoureusement, on ne peut nommer, car elle est pur verbe. 〔…〕 ...la fonction du verbe ne consiste pas à nommer, mais à produire le langage, c’est-à-dire à appor

    レヴィナスの動詞論 - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2013/05/01
  • 「やりかた」の試行錯誤と、分析のプログラム - Freezing Point

    あらためて、ツイッターでの議論をこちらに掲載します。 直前の大まかな流れは、 「上山・酒井問答3に対するつぶやき」(togetter) をご覧ください。 @ueyamakzk @ashibumi68 まとめ更新しました。URLこの「名詞的/動詞的」という分類は、名詞的なのでしょうか。動詞的なのでしょうか。 2012-11-24 13:20:21 via HootSuite to @ueyamakzk @ueyamakzk @ashibumi68 むしろこうしたスコラ的区別(悪い意味で)が出てくるのは、具体的な現象についての分析が提示されないからではないでしょうか。(分析を進めるかわりに「メタ語りはよくない」というメタ語りを延々と続けてしまっていませんか?) 2012-11-24 13:22:43 via HootSuite to @ueyamakzk スコラ的区別というのは、「どうでもいい

  • 必要な論点は、どこにも書かれていない - Freezing Point

    これもほしい。対策急務。 RT @contractio: 『なぜあの人たちは書いてないことが読めるのか』(河出書房新社) 2013-03-26 10:55:04 via twicca to @contractio これは話が逆で、むしろ この人たちは、なぜ自分が「書かれたことしか読み取っていない」と言えるのか。 社会生活は、つねに「書かれていないこと」の読み取りを強制されていて、 うまく参加できない人は、そこでつまずいている状況があります。*1 「書かれてあることを読み取っている」については、文字や音声の物証を挙げて、目の前で説明できるので、わかりやすいでしょう。ところが、 「書かれていないこともすでに読み取っている」 については、説明が抽象的にならざるを得ません。 「書かれていないこと」の中身は、即物的に提示しにくいからです。 すでにやっていること、なのに 一部の方々は、「書かれたことし

  • 内在性ゆえの、当事化の必要 - Freezing Point

    当事「者」という名詞形の問題が大きすぎるので、以下では当事化と、動詞形にします。その意味するところは、少しずつ考えてゆきます。 思想研究では、研究者じしんの《当事化》を義務づけるべき 「当事者=弱者」じゃなくて、そういう要因も含んだ上で、 自分たちの状況を確認したり、言説そのものの前提を確認したりするのでなければ、思想言説じしんが、状況の再生産に加担してしまう。 メタで高尚な話をする一方で、「自分の話」を始めた瞬間、ベタな自分語りしかできない こういう幼稚な状況を、何とかしたい。*1 どういう立場であれ、議論は内在的でしかあり得ない。 言葉は身体から離れては存在しない。 内在性を免除される分析なんかない。 内在性という思想用語がありますが*2、これは単に居直れば良いのではなくて、 その内在が問題にならざるを得ない ということではないんですか。 「当事者発言」とか、「当事者研究」という言葉が

    内在性ゆえの、当事化の必要 - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2013/04/06
  • 観念論における、「技法問題の最終的解決」 - Freezing Point

    「観念論:唯物論」 ≒ 「規範論:技法論」 観念論(イデア主義) と 唯物論(もの主義) の争いを(参照)、 規範論と技法論の対立として、位置づけ直せます。*1 これは、ロールズ、ノージック、ローティ等を対比させる議論とも、問題設定の焦点が違うはずです。既存の規範論や政治理論は、技法論の中に位置づけ直す必要があります。 実務上こまるのは、技法論的な試行錯誤は、「〜べき」の狂信性に、とりあえず負け続けるしかないこと。言葉のチェックと「〜べき」の反復で正当性を確保できる(とされる)規範論は、狂信的居直りをしやすく、動員がかかりやすいため、集団的現象として直面したときには、歯止めがありません。 いっぽう技法論は、主観性や集団を生産過程として(つまり、これまでに取り沙汰されたのとも違うタイプの唯物論として)理解する文脈が根付いておらず、さらに実証には何年も掛かることが多いため、規範論の狂信性にうま

    観念論における、「技法問題の最終的解決」 - Freezing Point
  • 「診断されたがり病」と、診断マニュアル依存症 - Freezing Point

    マンガで分かる心療内科・精神科in渋谷《自己愛性パーソナリティ障害》 人格障害という診断カテゴリは、すでに「でたらめ」と宣告されています。 以下、「DSM-5 ドラフトについて」より: 正常人格機能と人格障碍との間には質的な区別がありそうにみえない。 また、それぞれの人格障碍間にも質的区別がありそうに思えない。 WIRED.jp 《精神疾患のマニュアルが改訂:病気の定義とは》 《診断する》という振る舞いそのものを考え直さないと、 これでは社会が、医療目線の護教論ばかりになります。 あるいは専門家に対して、「診断マニュアル依存症」という“診断”が必要でしょう。*1 冒頭のマンガもそうですが、ユーザーの側でも、 自分のことを正確に言い当ててもらいたい という、《診断され願望》があるんではないでしょうか。 占いにハマるみたいな。 「医者が言ってるから正しい」 「マニュアルに書いてある」 「お前は

    「診断されたがり病」と、診断マニュアル依存症 - Freezing Point
  • 被差別男性に、セクシュアリティを論じる権利はあるか - Freezing Point

    クリスマス・イヴにふさわしい話題を。 @ueyamakzk / 《被差別民の男に、セクシュアリティを論じる権利はない》とい... ここからの問題提起です。 現状では、 セクハラの訴えがあったら、男性側には反論の権限がない のが通例のようです。 被差別男性の与える不快感が、実際に不当なものになっていることはあり得ます。 もちろんそれについては、改善の努力をすればいい。 問題は、経歴で自動的に嫌悪感をもたれるケースです。*1 差別的嫌悪感は、嫌われた側に努力のしようがありません。 それも「男だから、反論は許さない」というなら、社会生活ができません。 私は猥談がろくにできませんが、*2 まじめなセクシュアリティ論をしてすら、セクハラ扱いされかねない。 ましてデートや交際を申し込めば、 「ひきこもりのくせに、性的なモーションを起こした」 として、社会的に抹殺されるでしょう。*3 バカバカしいと思わ

    被差別男性に、セクシュアリティを論じる権利はあるか - Freezing Point
  • カント「Realität」誤訳問題をめぐって - Freezing Point

    ハイデガー拾い読み (新潮文庫) 作者: 木田元出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2012/08/27メディア: 文庫 クリック: 25回この商品を含むブログ (8件) を見る 以下、鮮烈な印象を受けた Realität 誤訳問題と、 その周辺をめぐる木田元氏の説明(に対する私の理解)を、要約してみます。 マルクス「フォイエルバッハ・テーゼ」にある、 《唯物論(Materialismus)》 と 《観念論(Idealismus)》 の対比 は、哲学科の教員たちからは逸脱とされるらしい。 しかし木田氏は、そういう教科書的な理解そのものを問題視している(p.203)。 つまり哲学科の教師たちは、 《唯物論(Materialismus) ⇔ 唯心論(Spiritualismus)》 が 【存在論】 《実在論(Realismus) ⇔ 観念論(Idealismus)》 が 【認識論】 ――という

    カント「Realität」誤訳問題をめぐって - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2012/12/21
    概念の変化と誤訳について。