私が「荒川洋治の三大批判」とかつてに名づけてゐる批判のうち「 宮澤賢治批判 」と「 ボランティア批判 」を取り上げたまま、最後の一つを忘れてゐた。 「宮澤賢治批判」のところで荒川洋治さんが朗読を批判してゐることだけは書いておいた。 「朗読と名のつくものを、すべて否定する」のは荒川さんだけのやうだが、「だとすると、あきれた話である」(「声」 『夜のある町で』所収、 218頁)。 現代詩作家の荒川さんがなぜ朗読を否定するのか。それは、 「すぐれた詩には、その文字のなかにゆたかな音楽が、音楽性がある。それで十分」であり、「明確なイデオロギーを伴わない『声の回復』」は「いろんないきさつの末に文字言語を選び、たたかってきた詩にとって自殺行為でしかない。朗読が命よりだいじならきっぱりと文字要素を捨てた物理的な音だけの詩を書くべきだし、朗読が評価基準になるなら、朗読の関心のなかった詩人たちの作品や活動を