田中館愛橘・タイプライタ・日本文化 山 田 尚 勇 東京帝国大学教授田中館愛橘(あいきつ)博士(1856-1952)は物理学者であると同時に、政府の政策にも深く関わって貴族院議員も務め、日本の国語国字問題にも深い関心を持ち、日本語のローマ字表記の推進に力を注いだ熱心な運動家でもあった。特にこの最後のローマ字運動は、国語の平易化と文書作成の高能率化が大衆の政治への参加や経済の発展などに重要な働きをすると信じてのことであった。したがって博士は、日本文のためのタイプライタの普及と活用にも大きな関心を持っていた。 そもそも文章作成用のタイプライタというものは、1874(明治7)年にアメリカでレミントン(Remington)社による工業生産が始まると、アメリカにおいても始めはゆっくりと、そしてその利便性が認識されてからは、急速に普及し、ビジネスの在り方や勤労者の生活を変えていったのである。 一方日本