写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ A.宇沢弘文追悼 ぼくの学生時代までは、大学で習う経済学というものは、ざっくり分けて「マル経」と「近経」というふたつがあって、どっちを学ぶかによって学問上の立場だけでなく、現実社会に対する見方、基本的なスタンスが違ってくるといわれていた。「マル経」つまり「マルクス経済学」ではカール・マルクスの『資本論』が必読で、そこからさまざまな経済理論が導かれるとされるから、「交換価値」と「使用価値」とか、「原始的蓄積」とか下部構造と上部構造とか、主要な用語はすべてマルクスの原典に拠って、経済現象は説明されるはずだった。そういうものを少し囓っていくと、「マル経」のなかにもいろいろ立場があって、たとえば日本では「宇野派の三段階論」とか「構造改革派の修正理論」だとか、「講座派」とか「労農