品田悦一『斎藤茂吉』を読む。 著者は、『万葉集の発明』を書いた人。 前著もそうだったけど、面白い。 茂吉だけでなく、それ以外の主張も面白い。 気になった所だけ。 茂吉の訛りは酷かった(32頁)。 彼の晩年の歌の朗吟を聞けば分かるが、結構訛っている。 同じく同郷の友人たちの訛りも酷かった。 (「酷かった」という表現は、山の手中心主義な気もするけど。) 彼らは、結果的に文筆に自己表現の道を見出す。 そして、茂吉は「書く人」となった。 (ここら辺の問題意識については、小林敏明『廣松渉』における、廣松の文体と「周縁性」の問題と共に考えられるべきだと思うが、まあ、また今度考えよう。) 茂吉は、朗吟より黙吟の方が効果があると考えた(44頁)。 「肉声の干渉が回避されるという意味ではむしろいっそう純粋に感得できる」というわけだ。 肉声は時に、肉声以外の要素を、殺してしまう。 (黙吟の意義(朗吟への批判)