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ブックマーク / www.china-news.co.jp (22)

  • 河北省で戦国~漢代の墓を発見 | 中国通信社

    6月 29, 2011 (中国通信=東京)石家荘28日発新華社電によると、河北省武安市冶陶鎮固鎮村の邯長鉄道(邯鄲~長治)複線化工事の現場で先ごろ、保存状態が良く、盗掘されていない戦国~漢代の墓が見つかり、貴重な遺物が出土した。 専門家によると、墓は戦国晩期か秦朝のものとみられ、中原地区では珍しいものだという。印章は秦代の官印として作られたもので、文字は識別できず、墓主は秦の貴族か武将の可能性がある。 墓は竪穴式土坑墓で、遺体は四肢を曲げた状態で横向きに埋葬されており、内棺と外棺に収められていた痕跡がある。出土した遺物には青銅製の鼎、皿、壺などの器と青銅製の環、帯留め、印章、白玉の鳳凰、青玉の剣の柄、白玉の装飾品などの玉器、さらに口縁部に銀がはめ込まれた器物もあり、漆器か木器の可能性がある。このほか副葬品として土器製の壺、皿、碗などが出土した。 高さ40センチの壺は、頸部が長く、腹部が丸く

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    lotus3000 2011/06/29
  • 嘉陵江中下流地域最大の巴人墓群を発見 | 中国通信社

    1月 31, 2011 (中国通信=東京)重慶31日発新華社電によると、数カ月前に発見された重慶廟嘴墓地が先ごろ、嘉陵江中下流地区で最大の巴人の墓群であることが確認され、発掘でも大きな成果があった。 廟嘴墓地は重慶市北碚区東陽街道にあり、旧市街地再開発プロジェクトを進める過程で発見された。重慶市文物考古研究所は次のように説明した。先ごろ行われた緊急発掘では、前漢の早期から中期にかけての墓が17基見つかり、青銅器、鉄器、土器、漆器、木器など100点以上の遺物が出土した。青銅器には柳葉剣、銅矛、印章、硬貨、刀、鈴、環などがあり、鉄器には剣、ナイフ、刀があり、土器には平底罐、壺、高杯、皿などがあった。 考古学者は次のように指摘した。廟嘴墓地の発見は、嘉陵江流域の前漢早期墓葬の考古学的空白を埋めるもので、嘉陵江流域の漢代墓の分布範囲を拡大し、同地域の埋葬制度、葬儀習俗、社会生活、経済構造などの研究

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    lotus3000 2011/02/01
  • 少数民族言語・文字資源データベースの構築始動 雲南省 | 中国通信社

    9月 24, 2010 (中国通信=東京)昆明23日発新華社電によると、雲南省はこのほど、同省の少数民族言語・文字資源データベースの構築プロジェクトをスタートさせた。少数民族の言語・文字の規範化、標準化、情報化を強化すると同時に、記録し、救い、守ることを目的としている。省民族事務委員会が明らかにした。 同委弁公室の沈亮均氏は「民族言語は民間文化の一部であり、長年伝承され、豊かな文化的内容がある」と述べるとともに、次のように指摘した。2004年に発表された「中国言語・文字使用状況調査」の結果をみると、少数民族の数が多く、方言が複雑で、さらに山河で隔てられているため、雲南省は標準語で話ができる人口の比率はわずか37・84%で、全国の平均水準を大きく下回っている。 こうした状況の下、雲南省民族事務委員会は少数民族の言語・文字事業を強化し、翻訳、教材出版に取り組み、標準語がわからない、または

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    lotus3000 2010/09/25
  • 重慶で新石器時代と殷周時代の遺跡を発見 | 中国通信社

    9月 21, 2010 (中国通信=東京)重慶20日発新華社電によると、重慶市文物考古研究所は先ごろ、武隆県蒋家ハ(土へん+覇の西を雨に変える)で、新石器時代と殷周時代の遺跡を発見した。 蒋家ハ遺跡は烏江左岸に位置し、面積は約2万平方㍍で、今回の発掘では新石器時代と殷周時代の遺跡が見つかった。そのうち、新石器時代の遺跡からの出土品は夾粗砂陶と黒皮陶が中心で、表面には太目の縄文が付けられ、器形は甕が中心だった。殷周時代の遺跡には4基の住居址、11カ所の灰坑があり、1号住居址には15個の柱穴が残されていて、干欄式建物だったことがわかる。出土遺物も豊富で、夾細砂灰陶と褐陶が中心で、少量だが青銅器の装飾品と動物の骨も見つかった。 考古専門家は次のように指摘した。このたびの発掘成果は大きい。第1に、烏江下流では新石器時代の遺跡が少なく、これまでに4カ所しか見つかっていない。今回発見された新石器

  • 浙江省の竜游で青碓新石器時代早期遺跡を発見 | 中国通信社

    9月 12, 2010 (中国通信=東京)杭州11日発新華社電によると、このほど浙江省の竜游で発見された9000年前の青碓新石器時代早期遺跡は、中国が世界で最も早く水稲の栽培を始めた国家であることを改めて証明した。 浙江省文物考古研究所と竜游県博物館は8月23日から31日までの間、県内を流れる銭塘江上流の游衢江流域と霊山江流域で、考古調査を行い、青碓新石器早期遺跡を発見した。 青碓遺跡の面積は約3万平方メートルで、二つの文化層からなり、陶器と石器が大量に出土した。上山文化晩期の特徴を備えている下層の遺物は9000年前のもので、跨湖橋文化の特徴を備えている上層の遺物は8000年余り前のもの。 竜游県から約100キロ離れた浦江県にある上山遺跡は、1万1400年~8600年前のもので、長江下流と東南沿海で発見された中国最古の新石器時代遺跡。考古専門家は、上山遺跡で、長江下流地域で最も古い稲作遺跡

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    lotus3000 2010/09/14
  • 規模が秦始皇帝兵馬俑を上回る古代石像群 湖南南嶺で発見←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)長沙17日発新華社電によると、湖南省永州市道県に展開する南嶺山脈の奥地で、規模が秦始皇帝兵馬俑を上回る古代石像群が発見された。永州市で開かれた17日の湖南江西広東広西考古フォーラムで明らかにされた。 湖南省道県管理所の唐忠勇所長は「数の多さ、工芸技術の独自性、時代の古さ、内容の多さからみても、この石像群は、世界の奇跡の一つと言える」と語っている。 石像群が発見された鬼サイ(山の下に思)嶺祭祀遺跡は、湖南省道県祥霖鋪鎮田広洞村から南へ1キロ行った鬼サイ嶺(南嶺山脈の山の一つ)にある。九疑山舜帝陵から35キロのところが石像群の中心部。現地の住民が、地上と地下にある1万体近くの石像を「鬼サイサイ」と呼んでいることから、鬼サイ嶺と呼ばれるようになった。 唐忠勇所長は、次のように説明した。鬼サイ嶺遺跡は、古代の大型祭祀遺跡である。遺跡には、荒々しい様々な石俑が5000体以上もあった

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    lotus3000 2010/08/19
  • 広州で前漢墓と南朝墓を発見←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)広州16日発新華社電によると、広州市越秀区の建設現場で先ごろ、5基の漢墓と3基の南朝墓が見つかり、土器、メノウ、ガラスなどの副葬品180点が出土した。なかでの2000年前のメノウは鮮やかな色を残していた。 ある漢代の墓は長さ5・3メートル、幅2・8メートルで、深さは2・8メートルに達した。専門家によると、広州の市街地で発見されたものとしては、最も深い漢墓だという。 広州市文物考古研究所の易西兵氏は次のように述べた。これまで広州の市街地で発見された磚室墓は、盗賊による破壊が深刻だった。幸いなことにこのたび見つかった漢代墓は土と木で作られ、地表からは判別できず、盗掘されていなかった。保存状態は非常に良好だった。 この墓の副葬品は多く、べ物を盛った青銅製のキ(たけかんむりの下に艮、その下に皿=耳のついた器)、銅鏡およびメノウ、ガラス、サンゴなどで作った飾りなどが出土した。この

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    lotus3000 2010/08/18
  • 中国、2200年前に一輪の手押し車を発明←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)西安14日発新華社電によると、いまでも中国の輸送手段として使われている独輪車(一輪の手押し車)は、遅くとも秦始皇帝時代に発明され、建設工事に使われていた。独輪車発明は、西側より十数世紀も早い。専門家の最新の研究で明らかになった。 中国人民大学国学院博士課程大学院生・趙寵亮氏は、次のように説明した。秦始皇帝陵2号兵馬俑坑を発掘した考古研究者は、俑坑の門道と各部屋の地面に、車輪の跡が残っているのを発見した。この中には、単輪車(独輪車)の轍(わだち)もあった。轍の跡は、古代中国の車馬史、世界の機械発展史の研究にとって、重要な意味をもっている。 独輪車は、双輪車(二輪車)より後に発明され、広く利用されるようになった。趙寵亮氏は「独輪車は、重心の関係で、横転しやすいが、非常に機動性がある。この一輪の手押し車は、四川省の漢代の画像磚や山東省の漢代の画像石にも、使用されている状況が描か

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    lotus3000 2010/08/18
  • 広東省広州市で三国時代の珍しい磚室墓を発見←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)広州10日発新華社電によると、中国の考古研究者が最近、広東省広州市で、三国時代の珍しい磚室墓を緊急発掘し、完全な形で残っていた青釉器5点と銅鏡1枚を発見した。この2000年前の銅鏡は、いまも光を反射することができる。 考古関係者は「広州で三国時代の墓が発見されることは非常に珍しい。使われているレンガから判断すると、この古墓は、西晋、東晋、東漢(後漢)時代の墓と異なっており、三国時代の磚石墓と断定した」と語った。 古墓は、長さ約3メートル、幅1メートルの細長い形をしており、墓室の大部分は、梯形のレンガを積み上げたもので、レンガの色は、赤色と黄色。考古研究者は「この古墓のレンガの形は、非常に珍しい」と述べた。 広州市文物考古研究所の専門家・易西兵氏は、次のように説明している。この古墓は比較的小さいが、盗掘にあっていない。基的に完全形の構造が残っており、副葬されていた5点の青

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    lotus3000 2010/08/13
  • 河北省で開元通宝1万8000枚が出土←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)石家荘11日発新華社電によると、ある建設会社は先ごろ、河北省沙河市の工事現場で大量の古銭を発見した。考古関係者が調査した結果、これらの古銭は状態が良いものが1万7000枚、一部が破損したものが1000枚で、すべて唐代の「開元通宝」だった。河北省ケイ(刑のりっとうをおおざとに変える)台市文物管理所が10日、明らかにした。 ケイ台市文物管理所の石従枝副所長は次のように述べた。古銭が出土した地層は地表から約3メートルの場所で、古銭が入っていた器はショベルカーで破壊されていた。土器片から分析すると、二つの大型の甕と一つの小型の甕に納められていたと考えられる。これらの古銭は形がそろっており、つくりが精巧で、文字もくっきりと残されている。直径は2・4〜2・5センチで、重量の合計は約71キロだった。 考古関係者は、これらの貴重な古銭を調査したあと、すべてを沙河市の文化財保護施設の倉庫に

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    lotus3000 2010/08/13
  • 9〜11世紀のボン教の写本、甘粛省で発見←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)蘭州17日発新華社電によると、チベット文字で記された9世紀から11世紀にかけての貴重なボン教の写が甘粛省で発見された。蘭州大学西北少数民族研究センターのチベット学の専門家がこのほど、甘粛省の隴南を調査していたときに、現地のチベット族住民の家で発見したもの。 このチベット文字で記されたボン教の写は、500部余りにのぼる。古代のチベット文字で記されており、文字もはっきりしている。 文字の特徴、写の形式、言葉づかい、紙などを根拠に、専門家は次のような考えを明らかにした。これらの文書は、9世紀から11世紀にかけてのボン教の写である。ボン教の法師が唱える経文、各種の祭祀の儀式に唱えられた経文、古代チベット族の社会生活、風習などが主に記されている。 専門家によると、チベット文字で記された、このように貴重なボン教の写が1カ所で集中的に発展されるのは、非常に珍しいという。これら

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    lotus3000 2010/07/21
  • 陝西で2000年前の「冷蔵庫」を発見←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)西安26日発新華社電によると、陝西省の考古関係者は先ごろ、千陽県で試掘を行い、秦漢時期の皇帝巡行宮殿の建物遺跡を発見した。また宮殿遺跡では土器で囲まれた2000年前の物を冷やして保存するための「古代の冷蔵庫」を発見した。 遺跡は千陽県南寨鎮馮家堡村に位置し、東はケン(さんずいの右に干を二つ)河支流の澗口河に面し、南側には開けたケン河の河岸段丘が広がっている。2006年、現地の村人が採土していた際、大規模な版築遺構と土器で囲まれたスペースが見つかり、それを重視した現地の文化財主管部門が保護措置を講じていた。 土器で囲まれたスペースは直径1メートル10センチ、高さは33センチで、筒状に作られ、底には排水管があって谷のくぼみにつながっていた。 発掘調査を率いた陝西省考古研究院の田亜岐研究員は次のように述べた。発掘調査の結果、土器で囲まれたスペースは、宮殿建築内の版築遺構の中間

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    lotus3000 2010/05/28
  • 河北元氏常山故城遺跡付近で西漢時代の井戸を発見←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)石家荘10日発新華社電によると、中国の考古専門家が最近、南水北調(長江の水を水不足が深刻な中国北部に導水する事業)河北区間にある小留墓地の緊急発掘を行い、1万平方メートル足らずの沙地で、40余りの西漢(前漢)時代の井戸を発見した。専門家は保存状態の良い陶製の井戸の発見について、漢代の水利施設の建設技術の研究に手がかりを提供するものだと語っている。 西漢時代の井戸は、全国重点保護文化財に指定されている元氏県常山郡故城遺跡付近で発見された。専門家が現地の住民から得た情報によると、周辺の区域では、かつて30余りの同じような遺構が土を掘る過程で破壊されている。 現場で六つの陶製の井戸を発掘した専門家によると、井戸は西漢時代のもので、40余りにのぼる。1万平方メートル足らずの区域に同じ年代の井戸が今回のように集中していることは、全国的にみても非常に珍しい。 河北省文物研究所の専

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    lotus3000 2010/05/15
  • 四川省と雲南省で大量の秦代五尺道を発見←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)成都25日発新華社電によると、中国の考古専門家10人余りからなる調査隊が15日にわたる調査を行い、中国西南部で秦代の五尺道を大量に発見した。 四川省宜賓市で開かれた五尺道の考古学調査に関する会議によると、国家博物館、四川省文物考古研究院などの単位からなる考古学調査隊が行った調査は、五尺道に対する史上最大の総合的考古学調査で、四川省の慶符、高県、キョウ(王+共)県、雲南省の塩津、水富など、古道が走る16の市と県を訪れた。踏破した距離は約900キロ。 秦始皇帝は紀元前221年に中国を統一してから、雲南省に郡と県を設置し、四川省の宜賓から雲南省の曲靖近くまでの区間に道路を建設した。道幅がわずか5尺だったことから「五尺道」と呼ばれた。五尺道は秦の首都咸陽と雲南省東部を四川省経由で結んだ。秦漢時代は、五尺道と延伸道路によって、成都とベトナム、ミャンマーがつながり、さらにはインド、ア

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    lotus3000 2010/04/30
  • 成都で大規模な殷代の墓葬群を発見←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)成都23日発新華社電によると、成都市文物考古研究所は22日、同市青白江区で大規模な殷代遺跡を発見したと発表した。現在も発掘調査が行われているという。 成都市文物考古研究所の楊占風氏によると、この遺跡は青白江区弥牟鎮三星村に位置する。昨年12月末、成綿楽都市鉄道(綿陽〜成都〜楽山)の建設に合わせて緊急発掘が開始された。発掘予定面積は3000平方メートルで、これまでに2000平方メートルが発掘され、30カ所の灰坑、1カ所の住居址、35基の墓が見つかった。 墓は主に殷代と新石器時代晩期の長方形土坑墓で、人骨の保存状態も良好だった。多くは単独埋葬の一次葬で、ほとんどが仰向けで手足を伸ばして葬られており、子供の墓の割合が高かった。2人の合葬墓も見つかり、背の高い人と背の低い人が腕を組んだ状態で埋葬されており、夫婦合葬墓だとみられる。 楊氏は次のように述べた。遺跡からは大量の土器片と

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    lotus3000 2010/03/24
  • 甘粛省で春秋戦国時代の古城遺跡を発見←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)蘭州5日発新華社電によると、第3回全国文化財調査において、考古関係者は先ごろ、甘粛省玉門市で春秋戦国時代の古城遺跡を発見した。 この古城遺跡は玉門市柳湖郷の古董灘に位置し、数千年にわたる風雨による浸と人為的な破壊の影響を受け、来の古城の城壁はほとんどが損失し、東西方向の壁の一部だけが残されていた。 玉門市博物館の伍東民館長は次のように述べた。現存する古城の城壁は長さ84メートル、高さ約2メートルで、周囲はタマリスクに覆われていた。地面に残されていた土器片、灰層などから、この古城遺跡の建造年代は春秋戦国時代だろうと判断された。 玉門市が位置する甘粛省の河西地区は、現在でも確認できる古城遺跡が多く、古くは魏晋南北朝時代から、新しいものでは明清時代のものまで見つかっている。なかでも最も有名なものは瓜州の唐代鎖陽城遺跡だという。 伍館長は、より多くの考古学的資料により、玉門古

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    lotus3000 2010/03/07
  • 湖北省の墓から竹簡が出土←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)武漢20日発新華社電によると、考古関係者は20日、湖北省沙洋県の厳倉古墓群を発掘し、カン子塚椁室(カン=灌のさんずいを豸にする)から竹簡、青銅製の鏃とナイフおよび頭蓋骨の一部を発見した。 湖北省文物考古研究所厳古墓群考古隊の宋有志隊長は次のように述べた。考古隊は16日からカン子塚の発掘作業を開始した。18日に木棺のふたをはずし、棺の中の汚泥から竹簡を発見した。製作年代が古く、墓室内の構造と環境が悪かったため、竹簡は非常にもろかった。作業員は竹簡をしっかりと梱包しており、竹簡の数と書かれている内容は研究室での調査が必要で、調査を通じて墓主の身分が明らかになることを期待している。 作業員は棺内から青銅製の鏃とナイフ、楚国の蟻鼻銭を発見し、西側からは比較的保存状態の良い頭蓋骨も発見した。この頭蓋骨は墓主のものと考えられている。 このほか、現場からは木器と鉄器も見つかった。側室か

  • 湖北省で楚の指揮戦闘車発見←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)荊門16日発新華社電によると、中国の考古学関係者が湖北省沙洋の厳倉戦国古墓群のカン子塚車馬坑(カン=灌のさんずいをけものへんにする)で、6台の車と14頭の馬を発掘した。うち2号坑で1台の車と2頭の馬が出土し、車輿の中に旗竿、兵器の銅戟(ほこ)と銅戈、軍楽器の銅鐃(どら)など組み合わせの完全な器物があった。考古学関係者は、この車は典型的な指揮戦闘車で、楚の国の車馬坑から発見されたのは初めてと話している。 厳倉古墓群は湖北省荊門市沙洋后港鎮にあり、紀南城を中心にした高規格墓地を構成する一部で、楚の国の貴族墓群である。2009年10月、南水北調(長江水系の水を水不足の華北に送る事業)の引長済漢(長江の水を漢江に引く)工事に合わせて、湖北省の文物官庁は厳倉古墓群の中で規模が最も大きいカン子塚と付属車馬坑の緊急発掘を行った。カン子塚の盛り土、埋め土と車馬坑の整理はすでに完了している

  • 山東省で大規模な古代製塩業遺跡群を発見 - 中国通信社

    中国通信=東京)済南4日発新華社電によると、中国文化財調査部門がこのほど、山東省のイ坊経済開発区で100余りの製塩業遺跡からなる大規模な製塩業遺跡群4カ所を発見した。そのうちの86カ所は東周時代の製塩業遺跡。数の多さ、規模の大きさは、東周製塩業遺跡の中でもまれにみるもの。 イ坊市の文化財部門によると、この4カ所の大型古代製塩業遺跡群は東西16キロ、南北3キロの区域に集中している。遺跡同士の距離は2〜4キロで、100余りの古代製塩業遺跡が発見された。内訳は竜山文化時代の遺跡が1カ所、商代から西周時代早期の遺跡が14カ所、東周時代の遺跡が86カ所、金元時代の遺跡が8カ所。規模が最も大きく、数が最も多いのは東周時代の製塩業遺跡。 歴史書によると、東周時代の渤海南岸地区は斉国さらには全国の有名な製塩業拠点で、斉国は塩の民間生産、政府による徴収、塩の政府による輸送・専売、人口に基づいて塩を

  • 4000年前の建築用石灰を発見 甘粛省庄浪県←中国通信社:文化・科学・スポーツ

    中国通信=東京)蘭州8日発新華社電によると、石灰を貯蔵した珍しい灰坑が先ごろ、甘粛省庄浪県で発見され、4000年がたっても、内部には未使用の石灰が残されていた。 この石灰を貯蔵した灰坑は、新たに見つかった大嘴梁遺跡の中心部で発見され、灰坑内には高さ40センチ、幅30センチの石灰が堆積していた。見つかった石灰は粒子状で、黄白色で、固く締まっていて、現在の建築材料の石灰と基的に同じだった。 庄浪県で第3次全国文化財調査を行った李暁斌隊長は次のように述べた。これらの石灰は、当時の住民が住宅の表面を白色に仕上げるための材料で、未使用だ。堆積状態からみて、この地で焼成されたものとみられ、今から約4000年前には、ここで生活していた住民はすでに石灰焼成技術を掌握していた。 大嘴梁遺跡は庄浪県岳堡郷に位置し、今年11月の文化財調査で発見され、面積は約50万平方メートル。李隊長によると、この遺跡は仰韶