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表現の自由の戦士って、せいぜい批判は勝手にしろで、それを受けて真面目に考えるだけのことすら絶対に嫌だし、表現による被害は事実上我慢しろしか言ってないのにそこだけ口拭ってる迷惑野郎ばかりだよね。甘えるな。 https://t.co/q5ivM3BkRD
正義感は確かに危険だけど、「正義嫌い」という形をとった正義感は、自覚がない(あるいは厚い自己欺瞞の面の皮の下に隠してる)だけに一等たちが悪い。
差別発言は指摘され批判されるべきと思うけど、考えて理解して納得するプロセスのためには、考える時間を含めていろんな意味で「余地」というものが必要。糾弾には見込み違いや行き過ぎなどの可能性もある。不問にする御都合主義と糾弾の間のさまざまな態度の可能性はもっと考えられるべきじゃないか。
広域処理。大阪市の此花区民限定住民説明会。「沖縄も基地を我慢して受け入れてくれてる感謝するべき、大阪も痛み受け入れろ」という論法に怒りが倍加。理不尽が別の理不尽の正当化に使われるという無限ループ。感謝いらねえから、基地をなくせ、嘘つき市長。
「差別主義者を来る」のを排除しろとはいわんが、「登壇させる」ことは、その差別主義者が的にしてる人たちを排除してるのであって、それで「大同団結」とか笑わせるな、という話。だから、「大同団結」は、「定義により」排除的、と言ってもいい。
表現規制反対派は、いつまでヘイト・スピーチ規制をめぐる微妙な論点をネグり続けるんだろう? ヘイト・スピーチ素通しレベルの表現の自由論しかもたない社会でも表現の自由に値するのか、ということが問題。
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