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地域と生き方に関するmekurayanagiのブックマーク (2)

  • 「やっぱり愛していたからね」ベトナム難民の定住を支え続けた一人の女性の半生|ニッポン複雑紀行

    1990年代以降、日有数の外国人集住都市として知られるようになった静岡県浜松市。だが、実はそれよりも随分前から浜松市がベトナム難民の集住地だったという歴史まで知っている人はあまり多くないかもしれない。 1975年に終結したベトナム戦争とその後の社会主義国化によって発生したたくさんの難民たち――彼らの多くは欧米諸国に移り住んだが、日に定住した者も少なくない。なかでも浜松市は神戸市などと並んでベトナム難民にとって主要な定住先のひとつとなり、その後家族の呼び寄せも行われた。さらに、現在では難民のルーツを持つ人々に加えて留学生や技能実習生として来日するベトナム人も増えており、2019年8月時点で市内に3,000人弱のベトナム人が暮らす。 当時ボートピープルとして日への仮上陸を許可された難民たちは、まず長崎県大村市にある「大村難民一時レセプションセンター」を経由したのち、国際連合難民高等弁務官

    「やっぱり愛していたからね」ベトナム難民の定住を支え続けた一人の女性の半生|ニッポン複雑紀行
  • ただの住宅地「新川崎」に住んでいたら、勝手に7年が経った(寄稿:やしお) - SUUMOタウン

    著: やしお 気付いたら新川崎に7年住んでいる。人生で7回引越しているが、居住年数の最長記録を更新している。でも「この街が大好きだから」長く住んでいるわけじゃない。 例えば、CoCo壱番屋に行くと「ロースカツカレー+チーズ」を毎回注文してしまうし、すき家に行くと「高菜明太マヨ牛丼の中盛」を毎回注文してしまう。メニューを開いて、期間限定の新メニューもチェックして、真剣に比較検討して「何が一番いいだろう」と考えた末に結局、また同じものを選んでしまう。 真剣に考えれば考えるほど、現状を追認しただけの選択をする。家選びにもそれと全く同じことが起きていて、新川崎に7年住んでいる。26歳で引越してきて、自動的に33歳になった。 2年ごとのアパートの更新が近づくたびに、引越しを真剣に考える。もう少し駅に近いほうがいい、もう少し防音のしっかりした部屋がいい、もう少し広い部屋がいい、もう少し景色のいい部屋が

    ただの住宅地「新川崎」に住んでいたら、勝手に7年が経った(寄稿:やしお) - SUUMOタウン
    mekurayanagi
    mekurayanagi 2019/02/21
    あー夢見ケ崎 のヘラジカ死んでたか…まぁ年だったけど、死ぬ前にもう一度見に行きたかった。
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