元プロ野球選手で野球解説者の元木大介さん(43)が11月23日放送の『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系)に出演し、プロ引退後の選手事情について暴露した。「高卒は仕事がない」のだという。 この日、番組ではアスリートのセカンドキャリアについて特集。アスリートの引退後のキャリア支援などを事業にしている株式会社アスリートサポート代表取締役・横原義人さんが、元木さんらとともにアスリートの第2の人生を紹介した。
“Appleで働くっていったいどんな体験なんだろう?” この問題の答えは、やはりAppleで今も働いている、或いは働いたことのある従業員、そしてAppleに近しい関係者に語ってもらう方が説得力があるだろう。 Appleの従業員・元従業員・関係者によるAppleでの仕事の体験や企業文化に関する証言の数々 我々はよくGoogleやFacebookでの仕事については聞くが、Appleはそれほど聞かないかもしれない。ということで、Business InsiderがAppleの現従業員や元従業員による証言・エピソード・感想などを集めているので簡単に紹介する。これによって、Appleの企業文化が垣間見えるかもしれない。 Justin Maxwell:Appleは恋愛相手との会話の内容まで制限する 「決まりの上では、Appleのそのアイデアと知識環境の保護に関しては右に出る者はいないよ。Appleのセキ
最近読んだソフトウェアエンジニアのキャリアの話が、みんなプライベートの時間も勉強しなきゃダメだという論調で、ちょっと私は疲れている。 hrnabi.com www.pasonacareer.jp paiza.hatenablog.com 曰く環境変化の激しいWeb系エンジニアは、プライベートを犠牲にして勉強しなければ最先端にはいられない。高給取りにはなれない。わりとみんな信じていることのように聞こえる。しかし本当だろうか。犠牲にするって、どのくらい犠牲にすればいいんだろう? 犠牲と比例して、技術力が伸びたり、給与が増えたりするんだろうか? あっという間に知識が陳腐化するという仮定においては、時間の自由が大きい若い人ほど先端の勉強に時間を割くことができて、もっとも有能になりやすい。実際若くて有能な人は増えているように思う。それでも、オッサンたちがマネージャーにならず、第一線で働くことは可能な
突然ですが、皆さんの周りで「男性で育児休業を取得した人」はいますか? たぶん、ほとんどいないか、あってもごく少数なのではないでしょうか。そう、2014年度の育児休業取得率は、男性だと2.30%(※1) 。前年度から0.27%上がってはいるものの、実際に育休を取得した男性というのは、まだまだ少ないと思います。 その中で、1年前に、約半年間にわたって夫婦揃って育児休職を取得したので、その時のお話を深堀りしてみたいと思います。夫婦一緒に育休するってどんなものなのか?といった生態系をわかってもらえればと思います。私自身は普通の会社員で、1歳半になる娘とサラリーマンの夫と3人で暮らしています。 どうして夫婦で育休を取ろうと思ったのか よく言われるのが、「どうして旦那さんも育休を取ろうと思ったんですか?」ということ。 1番の理由は、 子供が生まれた時に子供に不整脈が見つかり、2ヶ月間ほどの入院と、その
競技場、エンブレム問題に揺れるオリンピックですが今事務を取り仕切っている武藤敏郎さんという人は、私の出身校である開成高校の大先輩かつ、私が在籍していたときの理事長だったんですね。 というわけで武藤さんのことは高校のときから存じ上げているんですけど、この人本当に運が悪い。 武藤さんは開成高校を卒業後東大法学部に進み、国家試験を主席か次席かでパスし、さらに司法試験もパスした上で大蔵省に進んだというエリートです。 大蔵省でキャリアを順調に重ねましたが、90年代に 大蔵省の汚職事件が起きるんですね。 これはただの汚職事件ならともかく、のーぱんしゃぶしゃぶで接待していたというのが明るみになってかなり悪いイメージが付きました。当時武藤さんは大蔵省でもけっこう偉かったんですが、部下がこの事件に関わっていたというのでのーぱんしゃぶしゃぶ事件で責任を問われました。ただし、重要なのは武藤さん自身はのーぱんしゃ
Twitterでハッシュタグ「#naoya_sushi」が生まれてしまうほど、無類の寿司好きとして知られる伊藤直也氏(@naoya_ito)。そんな伊藤氏をホスト役とし、トップエンジニアをゲストに招いて、寿司をつまみつつホンネで語ってもらおうという、この企画。 第七回にして本対談もついに最終回を迎えることになりました。その栄えある最終回を飾ってくださるのは、あの『株式会社ドワンゴ』の川上量生氏! 創業期からエンジニアとして第一線で活躍し、現在は代表取締役会長と『象徴CTO』を兼務。そして『株式会社KADOKAWA・DWANGO』(10月1日付で社名を『カドカワ株式会社』に変更予定)の代表取締役社長、『スタジオジブリ』のプロデューサー見習い、アニメーション製作会社の『株式会社カラー』では取締役と、業界では知らぬ者はいないスーパースター。そんな川上氏が、プライベートでもゲーム仲間として交流のあ
先を歩むエンジニアへのインタビューを通してエンジニアのキャリアについて考える本連載、最終回は、広告配信会社である株式会社スケールアウトを立ち上げた山崎大輔さんにお話をお伺いしました。 [撮影:平野正樹] ネットワークの基礎を学んだ大学時代 ──山崎さんが技術に興味を持ったきっかけは何ですか? 山崎:ゲームが大好きで、ゲームを作りたかったんですが、プログラムはよくわからなかったんです。そこでコンピュータサイエンスの学科に進めばゲームを作れるようになると思い、筑波大学に入りました。でも入ってみたら学ぶのはUNIX系だったので、ゲームを作る感じではなかったんですよね。 ──大学では何を学ばれたのでしょうか? 山崎:幅広くやる学科だったので、プログラミング言語を7つくらい学んだり、実習でコンパイラや今で言うKVS(Key-Value Store)のようなデータベースを作ったりしていました。途中
Inc.:写真用品メーカーのコダックやビデオ・DVDレンタルチェーンのブロックバスター、家電販売のラジオシャックといった有名企業がどんな末路を辿ったのかはご存じですよね。いずれも無敵とされていた企業なのに、変わりゆく時代の波と市場環境に飲み込まれ、それでもかつて有効だったやり方にしがみついて、未来に向けた新たなチャンスを手放してしまったのです。 その一方で、Appleのような企業も存在します。ひと部屋分もあるような巨大コンピューターが世界中で使われていた時に、創業者のスティーブ・ジョブズは、デスクにのせられるコンピューターを作っていました。お弁当箱くらいの大きさのプレイヤーで、1時間ほどの音楽しか再生できないCDを聴いて誰もが満足していた時、ジョブズはポケットサイズの機器に、持っているアルバム全部を保存できないだろうかと考えていました。世界中のメーカーが、できるだけ小さくて軽いノートパソコ
Appleは日本を研究してiPhoneをつくった 夏野剛氏(以下、夏野):日本の通信業界って本当に世界ナンバーワンで、Googleのエリック・ シュミットにはっきり言われましたから。日本みたいな状況に世界中をしたいので協力してくれと。 ついてはそのために、Nokiaとかは言うことを聞いてくれないのでOSとソフトを全部自分たちで作って配布しようと思う、タダで。これAndroidですよね。 なんで、是非協力してくれと言われて、僕はいいよ、協力しようと言って。僕はiモードのOSをアンドロイドにするべきだという論陣を張ったんですけれども、抵抗されましたね。 まあ、それは置いといて、本当に日本がモデルになってAndroidもでき、Appleの人に聞いていただければ、日本を研究してiPhoneを作っていますからね。だから日本でそれができなかったというのは最大の失敗ですよね。 米倉誠一郎氏(以下、米倉)
photo by Jay Mantri 百貨店にいた時、「売場のマネージャーが最高の花形ポジションである」と先輩に教えられた。 が、若いころの僕には、それは一種のやせ我慢とオヤジ的な美学が言わせる願望であって、嘘い違いないと思っていた。 実際、後方部門には、「売場は嫌いだ。広報とか企画のほうが好きだ」と公言する人もいて、どちらかと言えば、僕はその話が本音だろうなと思っていた。 世の中には、リーダーとして生まれついた人がいる。 そういう人たちは、子供のころから周囲からリーダーと目されていて、自然と、遊びのリーダーシップをとったり、クラブの主将を任されたりする。 彼らは、社会人になって、はじめてリーダーに任命されても、さほど戸惑うことなく、その職務をはたしていくだろう。 しかし、僕のように、リーダーとして生まれついていないものは、どうなのか。 僕にリーダーは務まるのか、売場のマネージャーが務ま
SEは年齢と共に成長しなければならない。すなわち、SEは20代、30代、40代、50代とその年齢相応の 仕事ができなければならない。そうでないと日ごろイキイキと働けないし、会社から見ると給料を上げるわけにはいかない。 こんなことを言うと、20代、30代半ばくらいまでのSEの方は「そんなことは当たり前ではないか」と思うだろうが、 SEの世界ではそれが当たり前とは言えない。事実、それで苦労しているベテランSEが日本のIT業界には少なくない。 SE人生は30代半ばまでで約4分の1(25%)、それ以降が4分の3(75%)である。多くのSEは30代半ばまでの 4分の1ではどんどん成長し、毎日イキイキとモラール高く働く。しかし残りの4分の3もそのまま成長すれば良いが、 必ずしもそうではない。どんどん成長してリーダーシップを発揮し、イキイキ働いているSEはもちろんいる。 だが、そうでもないSEも少なくな
秋の人事異動の季節だ。いつも突然で恐縮だが、もしあなたが今の職場を離れ、2年後に戻ったとしたら、周囲は拍手喝采で迎えてくれるだろうか。そして、より厳しくなるかもしれない条件で、あなたは、誰よりも成果を出すことができるだろうか。 実は、つい最近、プロサッカーでそれに近い状況があった。2年ぶり(3シーズンぶり)に英国のマンチェスター・ユナイテッドU(マンU)から、ドイツのドルトムントに復帰した香川真司選手だ。8万人超のファンとチームメートが復帰を祝う中、復帰戦でいきなり「マン・オブザ・マッチ」に選ばれるという大きな成果を出したのだ。 香川選手をビジネスシーンでの職場復帰に置き換えれば、その難しさはよくわかる。このところ筆者は、アジアを中心に企業の戦略転換の決断を論じてきたが、今回は、人事異動のシーズンでもあり、時間を経ても周囲から信頼され、成果を出せる、「出戻り」の秘訣を考えていこう。「真司で
ひとつの会社に19年勤めて脱サラし、現在はICHIROYAというアンティーク・リサイクル着物の販売会社を経営しているIchiro Wadaです。日々感じたこと、19年間の会社勤めで感じたことなどをブログに書いていますが、僕が感じた悩みは多くの人に通じるものでもあるようです。 photo by By Jon Phillips (UNSPLASH) 僕は19年間ひとつの会社にいて、たくさんの方の退職の挨拶を聞くことになった。 自ら大海原に向かって大冒険に船出するように辞めた方もいたし、やむなく会社を去ることになった方もいる。もちろん、定年まで勤め上げて退職される方もいた。 退職の挨拶では、辞める理由がなんであれ皆一様に会社や仲間への感謝の言葉を述べる。そして、「自分の会社人生は幸せだった」と言われるものと決まっていた。 さすがに「あの時の上司の評価のせいで、私の会社人生は狂ってしまいました」と
Apple Store店員→米Appleでジョブズと仕事→Evernoteへ。ある日本人デザイナーの立志伝【特集:New Order】 2014/04/30公開 1986生まれ、米シアトル育ちの日本人。シラキュース大学で約1年間エンジニアリングを学んだ後、日本の上智大学へ。在学中からApple Store銀座で働き、ある日iPhone/iPad各種のハードウエア開発をしていたマイケル・ローゼンブラットと出会ったことから、2000年代後半に渡米して米Apple本社へ勤務。New Technologies TeamやiPod UI Design Teamなどを経験した後、2013年8月からEvernoteにジョイン プログラミングやUIデザインの実務経験は皆無。Apple Store銀座で働いていた若者が、のちに米Appleで故スティーブ・ジョブズともミーティングを共にするチームで仕事をするこ
UI研究者 増井俊之 1959年生まれ。54歳。慶應義塾大学環境情報学部教授。東京大学大学院修士課程卒業後、富士通、シャープ、ソニーコンピュータサイエンス研究所、産業技術総合研究所を経て、2006年から2008年まで米AppleでiPhoneの日本語入力方式の開発に従事。2008年より慶應義塾大学。 慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)にある増井俊之の研究室は、混沌とした楽しさが感じられる場だった。まず、ドアの開閉の方法からして違う。「NFC対応のスマートフォンをかざして回す」操作で解錠する仕組みが作り込まれている。ドア解錠の機構から伸びるケーブルの先には、ガジェット作りでは定番のマイコンボード「Arduino」がある。ユーザインタフェース研究者である増井の研究成果をドア解錠の機構に組み込んでいるのだ。 研究室の入り口には、研究室メンバーが「ニコニコ学会」で大賞を獲得したときの副賞のだ
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