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ブックマーク / kousyou.cc (5)

  • 公共の利益を理由とした背信と殺人の正当化についてのバークの批判 | Kousyoublog

    『公的な恩沢を掲げて背信と殺人を正当化するうちに、やがては、この公的な恩恵が単なる口実になって、背信と殺人が目的となる。やがては、強奪、悪意や報復、さらには報復以上に由々しいそれらへの恐怖心が、彼らの倦くなき欲心を満足させるに至る。これこそは、これら人間の権利の凱旋行進の光輝に溺れて一切の善悪の自然感情を見失ったことの結果に他ならない。』 中野好之 訳「 フランス革命についての省察〈上〉 (岩波文庫) 」P150 保守主義思想の父として名高いバークが二百数十年前に痛烈に批判したその振る舞いを、主に保守を自任する人々が率先して行おうとする姿は喜劇と言うには余りにも残酷で笑えない、と思う今日この頃だが、バーク的な保守というのは米国でラッセル・カーク的保守が保守流の地位を新保守主義に取って代わられたように断絶して久しい・・・というか、そもそも日では受け継いですらいない、ということを考えれば、

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  • 生贄(スケープゴート)の構造 | Kousyoublog

    先日紹介した民俗学者赤坂憲雄の著書「 境界の発生 (講談社学術文庫) 」に「人身御供譚の構造」という生贄・供犠のメカニズムが分析されている章がある。それによると、まず人柱など神話や伝承などで語られる人身御供譚の定型は以下の通りだという。(P230) (A)毎年、人身御供をもとめる邪神がいる。 (E)邪神・イケニエ・異人は神となる。 ヤマタノオロチ伝説などに見られるように、大蛇など異形の怪物の姿をした邪神への生贄として未婚の美しい娘が捧げられるが、その救済者として神的英雄や旅の僧侶、都よりの貴種など異人が登場して邪神を退治し、異人はその娘と結婚して人身御供の風習は止み、邪神や生贄となった娘・異人は神として祀られることになる、というのが大方の人身御供譚の定型となる。 様々な伝承で語られる人間を生贄として殺害する人身御供の風習については、そもそも伝承であって実際は行われていなかったとする説や、最

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  • 実在の力士名に基づいた艦娘番付表作ったよー | Kousyoublog

    先日谷風が実装されて艦娘と力士の四股名の一致が話題になっていたこともあって、艦娘と同じ名前の力士を調べてみました。 ・大相撲力士一覧 – Wikipedia ・横綱一覧 – Wikipedia ・大関一覧 – Wikipedia ・関脇一覧 – Wikipedia ・小結一覧 – Wikipedia これらから艦娘と名前が完全に一致する力士、および艦娘名+αの力士を抜き出したのが以下。 ■横綱 明石志賀之助、谷風梶之助、不知火諾右衛門、不知火光右衛門、朝潮太郎、曙太郎 ■大関 朝潮太郎×3人(初代、二代、四代)、霧島一博、不知火光右エ門、谷風梶之助 ■関脇 大潮清治郎、大潮又吉、金剛正裕 ■小結 大潮憲司 ■幕内 天津風武藏、天龍源一郎、大和剛 艦娘名+α ■横綱 武藏山武、羽黒山政司、双羽黒光司、武蔵丸光洋 ■大関 伊勢ノ濱慶太郎、雷電震右エ門、雷電爲右エ門、若

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  • PC遠隔操作事件・片山祐輔被告の保釈について | Kousyoublog

    パソコン遠隔操作事件 元社員保釈 NHKニュース 「自由というのは眩しいものだな」PC遠隔操作事件・片山祐輔被告が保釈会見 | ニコニコニュース この事件については、以前も何度か紹介した十八世紀イタリアの法学者チェーザレ・ベッカリーアが当時の欧州司法制度を批判して書いた「犯罪と刑罰」(1764年)の以下の部分を引用するだけで足りると思っている。 『拘禁は、訴追をうけたある市民が有罪かどうかの判決を受けるまでの間、その身柄を確保しておくための手段にすぎないのであって、ほんらい、なさけない、ざんこくな手法なのだから、その期間はできるだけ短く、またできるだけそのきびしさを緩和してやるようにつとめなければならない。逮捕された市民は、審理の手続きに必要な期間以上留置されるべきではない。また先に逮捕された者から裁判に廻すべきだ。 拘禁中の被告人の身柄の拘束は、彼が逃亡し、証拠を隠滅することをさまた

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    FFF
    FFF 2014/03/07
  • 何故、モニターの中は整然としているのに部屋は汚いままなのか | Kousyoublog

    意外ではないだろうと思いますが、僕の部屋は常に混沌の世界の中にあります。なんということでしょう。生まれてこの方、部屋が完全に整理整頓されたのは星の瞬く時間ほどもありません。僕の中では、片付けた、とは、それほど散らかっていない、とほぼ同じ意味で認識されています。これについて、名著として名高いメアリ・ダグラス「汚穢と禁忌」のこの部分が示唆に富んでいるのでちょっと引用します。 『あるものを汚いと判定する根拠は何か。それは一般に行われている分類作用である。この点について、バジル・バーンスタインは説得力のある批評を書いてくれた。われわれの生活では、ある領域は清潔できちんと整頓されているが、別の領域では乱雑をきわめていてもそのままで満足している、というのである。どこまでも整然たるやり方、すなわちさまざまな側面できちんと分類したやり方を守って、毎日生活している人もいる。だが例えば、何かにとりつかれてしま

    FFF
    FFF 2014/03/02
    単に空き容量の問題、片付けるにも空間は必要なのです
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