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マヌケと基本ができてないに関するMidasのブックマーク (9)

  • 欧米諸国が歴史的に犯した「二つの誤り」〜だからテロリストは今日も生まれる(内山 節) @gendai_biz

    文/内山 節(哲学者) パリのアラブ人街にて パリに足を伸ばしたとき、私には一度は必ず出かける場所がある。そこはベルヴィルという地区で、昔は貧しい労働者たちが暮らすパリの場末の町だった。 ルネ・クレール監督の映画『天井桟敷の人びと』の舞台になったのもこのあたりで、映画のなかでは貧しかった娘が金持ちの家に嫁ぎ、豪邸のベランダに立って遠くにかすむ労働者の町の灯をみながら、あの暮らしの方が人間的だったと振り返るシーンがある。 私がこの地区に出かけるようになったのは35年ほど前で、その頃はアラブ人街になっていた。フランスは主として1960年代に労働者不足を解消するために外国人労働者を呼び寄せた。彼らはフランスの底辺の労働をにない、パリの最下層の町で暮らすようになった。いまにも崩れ落ちそうな3階建てくらいの古い建物が並ぶ場所だった。 だがここでのアラブ人たちの暮らしは長くはつづかなかった。1980年

    欧米諸国が歴史的に犯した「二つの誤り」〜だからテロリストは今日も生まれる(内山 節) @gendai_biz
    Midas
    Midas 2015/11/23
    「世界には色々な価値観がある。西欧は己を普遍だと強要するな」は実は典型的なオリエンタリズム。そうではなくイスラム世界が(西欧が行ったような発想のもと)独自の普遍性を追求した結果生まれたのが問題の原理主義
  • いのちの授業を否定しないけど何か足りない。 - 別館.net.amigo

    佐世保の事件に関してはいろいろと思うところがある。 衝動的な殺人に動機があるのか 人にもわからないのではないか。(あくまでも憶測) ただ、佐世保市教委が 「(2004年の事件以降)いのちの授業を通して、命の重さについて考えてきたのに それが伝わっていなかったとしたら残念だ」という旨のコメントを出していたので、ちょっと書いてみる。 いのちの授業(道徳)とは(一例) 小学校 動植物のお世話、育、友達への思いやり、 自分の生い立ちを振り返る、高齢者とのふれあい(老人ホームなどへ行く) いじめ対策(←曖昧な気がするし授業時間もそんなにない場合が多い。 具体的には、週末に「今週はどんな気分で過ごせたか」プリントを配布。 にこちゃんとか困ったちゃん怒ったちゃんのイラストからひとつ選んで丸付け(低学年) いやなことがあった場合具体的な記述ができるのは中学年以上。 でも書かない生徒が多い。言葉は悪いけ

    いのちの授業を否定しないけど何か足りない。 - 別館.net.amigo
    Midas
    Midas 2014/07/30
    皆「なぜ給食に毒を?」と言うが命の教育『誰かを理解するとは許す事』は『理解するとは殺す事』と同じ(我々は許し合わねばならないから)。ここから殺しあい(戦争)までほんの1歩。「殺してみたかった(理解」はこの帰結
  • ろくでなし子さんの件から、表現の規制とかの話 - 仮想と現実

    ろくでなし子さんの逮捕が2014年7月12日だったが、たまたまその少し前、僕はこういうツイートを書いている。 性器の表現は、18禁、一般紙問わず解禁してほしいなあ。あんなん風呂やトイレで毎日見るもんじゃん— 後藤寿庵 (@juangotoh) 2014, 7月 2 異性の性器とか、結合してる性器は自分一人の生活じゃ普通にはみられないかもしれないけど、恋人や配偶者ができたら一気に「割と普通に見られるもの」になるわけだしねえ— 後藤寿庵 (@juangotoh) 2014, 7月 2 僕はエロ漫画家なので、性器とかも絵として「うーん、なかなかいいちんこ描けた」などとやってるわけだが、もちろん出版時にはモザイクなどで消されてしまう。それが法律なのでしょうがないのだが納得行かないモヤモヤした気持ちはどうしてもある。 もちろん「消されるのわかってるなら最初から性器とか描かなきゃいいじゃん」という意見

    ろくでなし子さんの件から、表現の規制とかの話 - 仮想と現実
    Midas
    Midas 2014/07/27
    猥褻とは簡単にいうと『過剰な禁止(非難』『過剰な励まし(命令』『過剰な擁護(抑制』のこと。例えば一般的に「医学用図像は猥褻でない」「金銭を対価に性器を晒すのは猥褻」と判断されるのはそれゆえ>id:juangotoh
  • 「伊藤計劃以後」の耐えられない軽さ - 脳髄にアイスピック

    http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20140323/1395596751 「伊藤計劃以後」という言葉が嫌いである。毛嫌いしている。 正確には「伊藤計劃以後」という言葉を使う批評家連中が嫌いである。 理由を挙げようとすると色々出てくるのだが、端的に言うとその「雑さ」が腹立たしい。 独自性を持つそれぞれの作家をまとめて「伊藤計劃以後」とひとくくりにしてしまう杜撰さ、のサブタイトルにまで使っておきながら「伊藤計劃以後」という言葉をろくに定義づけもしないまま援用する適当さ、人の死を贈与扱いし、さらに死者の遺志を読みとって色々と好き勝手に代弁してしまう無神経さ。 その雑な手つきにとことんうんざりする。 出版社がの帯に「伊藤計劃」の四文字を入れたがるのはわかる。伊藤計劃をきっかけにSFを知り、次に手に取る作品を探す読者には最適だろう。 作家の生涯ばかりにフォー

    「伊藤計劃以後」の耐えられない軽さ - 脳髄にアイスピック
    Midas
    Midas 2014/03/29
    物語消費の意味が解ってない。物語消費は「聾なのに素敵」単なる享楽でなく『物語を消費する者は自らも物語的な結末(報い。あの場合「騙された!」)に巻き込まれる』。自業自得。放置できないお前も同じ穴の狢>id:Lobotomy
  • なんでロボットに性別つけるんですか!

    なんでロボットに性別つけようとするんですか!女がダメだから男とかそういう発想はなんなんですか!ロボット差別じゃないんですか! ロボットは性別無いからいいんじゃないですか!性を感じさせない無機質な外見がすばらしいんじゃないですか!なんで人間みたいにしようと思うんですか!ロボット差別じゃないですか! 奴隷みたいにかわいい女の子作りたいならロボットじゃなくていいじゃないですか!ロボット差別しないでくださいよ! 人工知能だって性別なくていいじゃないですか!Siriだって声は女だけど性別はないじゃないですか!それがいいんじゃないですか!英語版のSiriにしたら男声でしたよ!なんかちょっと小生意気な感じでかわいかったですよ!でも性別ないんですよ!それがいいんじゃないですか! 人工知能とかロボットっていうのは人間とは違うからいいんじゃないですか!人間みたいにかわいいロボット作りたいならほかのことやったほ

    なんでロボットに性別つけるんですか!
    Midas
    Midas 2013/12/27
    あれはロボットでなくアンドロイド。両者は別。アンドロイドは有性生殖でない手段で増殖する知性。ロボットは機械(単純労働力)。アンドロイド(単為生殖)は女(「メトロポリス」のマリア)。あれを差別と言ってる奴がアホ
  • 「生産性の概念の欠如」のホントの話

    誰も生産性なんて測れないから ……だけだとあんまりにもアレだから補足するけど、つまり成果主義じゃないんだよな ちきりんの話(火元)「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131015 どっちかってーと、追記のほうが質がギュッと詰まってるからそこだけ読め 今日のエントリに関して、「生産性を上げても、給与が上がるわけじゃないから(生産性が)上がらないのだ」という意見も多いけど、そうとは 思えない。だって、生産性の概念がきちんと根付いてる日の製造部門だって、生産性上げても給与はあがらないでしょ? 2013-10-15 09:25:16 via HootSuite そうね。 なぜなら、製造部門の指標は誰が観ても判りやすく数値にできるから。しかも同じ内容の繰り返しだし。 定性評価と定量評価の違いってヤツね。 1時間に1000個

    「生産性の概念の欠如」のホントの話
    Midas
    Midas 2013/10/18
    経営者が目標設定するのは社員をできるだけタダ働き(生産性向上名目で毎年『前倒し』で働かせる)させねば儲からないから。最も効果的な方法は皆を洗脳し意識の高い自分の頭で考えてるつもりの名ばかり管理職にする事
  • 津田氏、ツィター画像うp炎上問題について

    忘れられる権利も紹介するよ まとめ人の私見ですが3つの種類の流出が問題 タイプ1 線路に立つなどの若気の至り写真 タイプ2 リベンジポルノ<※現行法で対応可能 タイプ3 デマに利用されつづける写真 続きを読む

    津田氏、ツィター画像うp炎上問題について
    Midas
    Midas 2013/10/14
    間違ってる。Twitterは「パブリックとプライベートが混ざってる」のではなく『私的空間が肥大し公共を飲み込んだ』もの。「発覚しなければ謝らない(行為についての謝罪ではない)」のはそれゆえ(公がなければ秘密もなく
  • nix in desertis:会田誠展雑感

    会田誠展に行ってきた。どちらかというと例の批判に対して言及したくて行ったのだけれど,行けば行ったなりに展覧会そのものにも感想は出てくるものだなと。少し会田誠に対する評価が上がった。現代芸術に対する批評は苦手分野だが,まあ。要点は2つ。 まず,会田誠の作品というと絡みたい対象がわかりやすく,よくも悪くも薄っぺらい印象を与えるものであったが,これは自覚的に行われていたということだ。まんま人が「質ではなく表面を描く」と言っていた。しかし,その薄っぺらさが不思議と現代日社会を映しているように感じなくもない。これは現代社会が薄っぺらいというのではなく,現代社会の雑多さを一面的に切り取ると確かに薄く感じられるように加工することは可能ということで,会田誠はこの「雑多さ」自体にも注目した作品がいくつかあった。 一番わかりやすかったのが戦争画returnsのシリーズで,これは正直に言っておもしろかった

    Midas
    Midas 2013/02/12
    近代以降の芸術の基本である異化作用(何かが別のものに見える衝撃)はそもそも叙情的認知から派生した手法なので「感傷的」と言っても何をいったことにもならない。
  • 長文日記

    Midas
    Midas 2013/01/26
    『来る』目的←違う。立地の悪い店がダメなのは辿り着くのが困難だからでなく用事が終わったあと帰るのがツラいから。人生でも何でも本当の「締めくくり」は帰り道。この立地はイベントで盛上げても客は1回こっきり
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