タグ

歴史と歌に関するja_bra_af_cuのブックマーク (3)

  • 第2回 ひとりぐらいはこういう馬鹿が | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社

    第1回はこちら 承前:連載の意図 連載で私が試みるのは、演歌(というよりここはあえて「艶歌」と表記したい)を、「北島三郎的なもの」として再想像、もっといえば再創造する、ということだ。 北島三郎が演歌歌手なのは当たり前だ、何をいまさら、と思われるかもしれない。そうではなく、北島三郎を論じることを通じて、私がかつて明らかにした演歌ジャンルの枠組を、かなり根底的に修正し、あるいは転覆させようという大それた野望を持っているのだ。 つまり、演歌ジャンル確立期のいわば原義である夜の巷の流し、つまり艶歌師とその歌を体現する存在として北島三郎をとらえ、それを、1970年代以降の演歌ジャンル(のみならずアイドルを含む日の大衆歌謡のかなりの部分)において強い規範、または呪縛となってきた「五木寛之=藤圭子的な演歌(艶歌、怨歌)像」に対するオルタナティヴとして提示する、というのが連載における私の目論見だ。

    第2回 ひとりぐらいはこういう馬鹿が | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2022/11/10
    近代的・商業的レコード流行歌を"「流し」の経験に基づいて、いわばハッキングするような形で土着化させた北島三郎の音楽〔……〕「日本に限らず世界中の庶民の、強さと、豊かさと、陽気さと、賢さ」を体現〔……〕"
  • ナット・キング・コール〜20世紀を代表する偉大なシンガーは、もともと“歌わないはずの”ピアニストだった

    1965年2月15日、20世紀の音楽シーンに偉大な功績を残した男が、サンタモニカの病院で家族に看取られながら静かに息をひきとった。 14歳だった彼の次女は「自分も父のような歌手になるんだ」と心に誓ったという。 ジャズ・ピアニストからポップス・シンガーに転身し、まさに“ジャンルを超えた活躍”を体現した彼の命を奪ったのは肺癌だった。享年45。 その男の名はナット・キング・コール。 きっと40代以上の“音楽好き”ならば、彼の名前を、彼の歌声を一度は耳にしたことがあるだろう。 あの美空ひばりが、心からリスペクトしていた歌手として知っている人もいるだろう。 1919年、彼はアラバマ州のモンゴメリーで生まれた。 名は、ナサニエル・アダムズ・コールズ(Nathaniel Adams Coles)。 往年のファンや洋楽通からは“ナッキンコール”と呼ばれることが多い。 彼がまだ駆け出しの頃、酔っ払ったお客

    ナット・キング・コール〜20世紀を代表する偉大なシンガーは、もともと“歌わないはずの”ピアニストだった
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2016/02/16
    無茶振りした”なじみの上客”GJ
  • たいへん大雑把に説明するボイトレ史。 - 烏は歌う(はてなダイアリー跡地)

    古いボイトレ方法 現代的、科学的なボイトレ法が研究される前は、 「表情、姿勢、手や脚や腹の動きをコントロールするのだ!」という「外形上に働きかける間接的なトレーニング」 か、 「声を特定の場所に置いたり響かせたり飛ばしたりするのだ!」という「イメージに働きかける抽象的なトレーニング」 しかできませんでした(雑な説明)。 「直接的」で「具体的」なトレーニングってのは、なかなかできるものではありませんでした。 なので、 「才能がある人は模倣で伸びることもあるけど、才能無いやつには何を言ってんだかさっぱりわからん」 「トレーニングの属人性が高すぎて、あるトレーニングが他の人には全く効果ないなんてこともざら」 「声に良い気がする…と思ってたトレーニングが実は思い込みで、実は効果なかったり逆効果だったり」 ということが頻発してました(雑な説明)。 科学的ボイストレーニングの祖、御三家 で、そんな状態

    たいへん大雑把に説明するボイトレ史。 - 烏は歌う(はてなダイアリー跡地)
  • 1