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哲学に関するja_bra_af_cuのブックマーク (251)

  • 問題にされてこなかった生きる意味の問い――『人生の意味の哲学入門』上|じんぶん堂

    記事:春秋社 懇親会での忘れがたい思い出から話は始まる。 書籍情報はこちら 哲学者は「人生の意味」が苦手かもしれない もう十数年も前のことになるけども、ある哲学の学会の懇親会で同席した年長の研究者の人から自分の専門について尋ねられたことがある。そこで私は、さしあたり最近関心があることとして「人生の意味に関心があります」と答えた。どうやらその人は私の返事が冗談だと思ったのか、少し笑って「それは難しい問題ですね。ところで当のご専門は何なんですか」と返してきた……。 これは私にとって忘れがたい思い出だ。自分の研究が馬鹿にされたという感じはない。どちらかと言えば、その思い出には少しユーモラスな感じが伴っている。 サイモン・クリッチリーの『ヨーロッパ大陸の哲学』(佐藤透訳、岩波書店、2004)でも、職業的哲学者にありがちな困惑として、次のような場面が描かれている。 専門職業的な哲学者がパーティで見

    問題にされてこなかった生きる意味の問い――『人生の意味の哲学入門』上|じんぶん堂
  • 「自由論」J. S. ミルも「うつ」だった…「神童」と呼ばれた思想家が父から受けた「過酷なスパルタ教育」(関口 正司)

    『自由論』『功利主義』で知られるJ. S. ミルとは何者だったのか。教科書に必ず出てくる思想家だが、何がすごいのか。 実はその生涯は波瀾万丈、思想の中身は150年後のSNS時代でも古びない鮮烈なものだった――! 没後150年にあわせて刊行された中公新書の評伝『J・S・ミル――自由を探究した思想家』の著者であり、岩波文庫版『自由論』『功利主義』の翻訳者でもある政治哲学者の関口正司氏が解説する。 ※記事は関口正司『J・S・ミル――自由を探究した思想家』から抜粋・編集したものです。 9人兄弟の長男として誕生したJ. S. ミル イギリスの首都ロンドンの主要な鉄道ターミナルのひとつに、キングスクロス駅がある。市内の北部に位置し、近いところではケンブリッジなどイースト・アングリア各地、遠くはエディンバラをはじめスコットランドの諸都市に向かう列車の始発駅である。「ハリー・ポッター」シリーズのファンに

    「自由論」J. S. ミルも「うつ」だった…「神童」と呼ばれた思想家が父から受けた「過酷なスパルタ教育」(関口 正司)
  • 【文献案内】ウィトゲンシュタイン哲学のバックボーンを望む——19世紀末ウィーンの知識人|Saori Makino

    最終更新日:2023/7/6 ウィトゲンシュタイン哲学の背景と言えば、フレーゲやラッセルなど、初期分析哲学と呼ばれる人たちの哲学がよく連想されます。しかし、ウィーンの知識人や文化・学問からの影響(また反対にそれら「への」影響)も無視できません。この文献リストは、特に後者からの/への影響にスポットを当てるためのものです。ウィトゲンシュタインの遺稿には、前期・中期・後期すべての区分において、ウィーンの学問からの影響が見受けられます。ごく一部を取り上げるとしても、前期ウィトゲンシュタインの著作『論理哲学論考』に登場する「論理空間」という言葉は、ボルツマンに由来すると言われています。前期-中期ウィトゲンシュタインの遺稿『哲学的考察』には、マッハの空間概念からの影響が見られます。さらに、晩期ウィトゲンシュタインのいわゆる「心理学の哲学」と呼ばれる一群の考察には、ブレンターノの弟子・エーレンフェルスに

    【文献案内】ウィトゲンシュタイン哲学のバックボーンを望む——19世紀末ウィーンの知識人|Saori Makino
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2023/07/12
    オーストリア・モダニズムへの/からの影響
  • 哲学の論文に論証が必要であるわけではないこと|山口尚|note

    哲学の論文について「この論文には論証が無い」と批判するひとがいる。こうした批判が的を射たものかどうかはケース・バイ・ケースである。なぜなら――必ずや掴んでおくべき点として――狭義の「論証」には、すなわち論理的に形式化された論証には、行なえない仕事が哲学には存在するからだ。その仕事とは〈物事を新たな相のもとで見られるようにする〉という仕事だ。以下、この点を直感的に説明したい。 「論証(argument)」は、狭義には(すなわち一般に学術的な意味では)、複数の前提から結論を導き出すという構造をもつタイプの文章を指す。ここで――論証の重要な特徴だが――前提と結論のあいだで語の解釈は一定である。さもなければいわゆる「誤謬(fallacy)」が生じる。 さて押さえるべきは、〈物の見方を変える〉というのはこうした論証の行ないうることではない、という点だ。例えば――比喩的な説明になるが――次の図Aを見て

    哲学の論文に論証が必要であるわけではないこと|山口尚|note
  • 『思想2023年1月号(ウィトゲンシュタイン――『哲学探究』への道)』 - logical cypher scape2

    ウィトゲンシュタインについて、全然読んでいるわけではないけれど、雑誌で特集とかあるとつい気になって手にとってしまう。 鬼界訳『哲学探究』は、半分くらいまで読んだところで止まっている……(この『思想』を読みながら、少しだけ『探求』も読み進めたが)。 自分にとっては、ウィトゲンシュタインよりも、ウィトゲンシュタインを通して鬼界先生の授業を思い出したりするのが面白いかもしれない。ウィトゲンシュタイン自体も面白くはあるけれど。 思想 2023年1月号(no. 1185) 岩波書店Amazon 【小特集】ウィトゲンシュタイン──『哲学探究』への道 思想の言葉  野矢茂樹 〈討議〉ウィトゲンシュタインを読むとはどういうことか  鬼界彰夫・野矢茂樹・古田徹也・山田圭一 表出と疑問  飯田 隆 形式と内容としての対象──『論考』的対象の形式主義的解釈の試み  荒畑靖宏 ウィトゲンシュタイン研究私記──『哲

    『思想2023年1月号(ウィトゲンシュタイン――『哲学探究』への道)』 - logical cypher scape2
  • 現代哲学の研究に哲学史は必要なのか - 研究日誌

    大雑把に言えば、タイトルの問いに「必要ない」と答える論文が出た。 Hanno Sauer, "The End of History", Inqury. https://doi.org/10.1080/0020174X.2022.2124542 読んでみたら面白かったので、自分用のメモも兼ねて概略をまとめておいた。感想なども書きたいのだけど概要だけでだいぶ長くなったのでその辺はまたの機会にしたい。とはいえいくつかのことは注に書いておいた。 要注意事項 以下では同論文を2022年9月現在の'Latest articles'版のページ番号だけで参照する*1。 以下に出てくる鉤括弧は、そのあとにページ番号が付されている場合には同論文からの引用である(翻訳は植村による)。それ以外の鉤括弧は読みやすさのために植村がつけたものだ。 この要約は、箇所によっては原文をかなりパラフレーズするかたちで作られてい

    現代哲学の研究に哲学史は必要なのか - 研究日誌
  • 哲学のタレス起源説の問題 Cantor (2022) "Thales - the 'first philosopher'?" - Quae legeris memento

    Lea Cantor (2022) "Thales – the ‘first philosopher’? A troubled chapter in the historiography of philosophy" in British Journal for the History of Philosophy 30(5): 727-750. 序論 主張: 古代において「最初の哲学者はタレスだ」という見解は主流ではなかった.それどころか,哲学のギリシャ起源を言う見解さえ主流ではなかった. アリストテレス以前の哲学史にタレスは特別の位置を占めない; アリストテレスさえタレスが最初の哲学者だとは言っていない; アリストテレス以後もむしろ非ギリシャ起源を言う見解が主流である; タレスが最初の哲学者だという見解は近代の (部分的には人種主義の) 産物である. 1. タレスに関するアリストテレス以

    哲学のタレス起源説の問題 Cantor (2022) "Thales - the 'first philosopher'?" - Quae legeris memento
  • プラグマティズムと非合理な情熱。学びの果ての衝動。哲学者・谷川嘉浩氏インタビュー。|Less is More.by info Mart Corporation

    「プラグマティズム」という思想をご存知だろうか?プラグマティズムは、「実用主義/道具主義/実際主義」などと訳され、近代哲学の中でも特に注目され続けている思想ではあるものの…どうにもイメージが掴みにくく、きちんと説明できる人は少ないのではないだろうか。 Less is More.では2回目の登場となる哲学者・谷川嘉浩氏。今回は氏が専門としている「プラグマティズム」について詳しく聞いてみた。自身も哲学者であり、プラグマティストである谷川氏が、日々の中でどのようなことを考え実践しているのか、その一端にも触れられるかもしれない。 谷川嘉浩:博士(人間・環境学)。1990年生まれ。京都市立芸術大学美術学部デザイン科プロダクト・デザイン専攻特任講師。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。単著に『信仰と想像力の哲学』勁草書房。翻訳に、マーティン・ハマーズリー『質的社会調査のジレンマ』勁草書房

    プラグマティズムと非合理な情熱。学びの果ての衝動。哲学者・谷川嘉浩氏インタビュー。|Less is More.by info Mart Corporation
  • 「認識論はいまどうなっているのか?」/戸田山スケッチブック大公開~下の巻~ - けいそうビブリオフィル

    2020年10月25日に、上枝美典著『現代認識論入門』https://www.keisoshobo.co.jp/book/b524661.htmlとジョン・グレコ(上枝美典訳)『達成としての知識』https://www.keisoshobo.co.jp/book/b529164.htmlの刊行を記念して、屋B&Bの主催にて行われたオンラインイベント、上枝美典×戸田山和久×伊勢田哲治「認識論はいまどうなっているのか?――過去、現在、そして未来へ」。 上枝美典先生の対談相手として、『現代認識論入門』が刊行されるまで長らく日で唯一の認識論の入門書だった『知識の哲学』の著者である戸田山和久先生、また司会として『認識論を社会化する』の伊勢田哲治先生をお招きし、非常に豪華な顔ぶれで認識論について語り合う鼎談となりました。 このなかで、戸田山先生が『現代認識論入門』の読みどころをスケッチブックに書い

    「認識論はいまどうなっているのか?」/戸田山スケッチブック大公開~下の巻~ - けいそうビブリオフィル
  • 『現代思想2022年1月臨時増刊号 総特集=ウィトゲンシュタイン』 - logical cypher scape2

    『論考』刊行100周年を記念した特集号。 誌前半には『論考』について、中盤には「倫理学講話」について、後半には『探求』についての論文が収録されている。 『論考』の読み方が時代によってどのように変遷してきたかを論じている吉田論文、ダイヤモンドのウィトゲンシュタイン解釈を論じる槙野論文、アンスコム論文、アスペクト論について論じた山田論文、カベルのウィトゲンシュタインを論じた齋藤+スタンディッシュ論文、ブランダムによる規則のパラドックス解釈を論じた白川論文あたりが面白かった。 あと、面白かったと言えるほど内容が理解できてないけど、野上論文の分析哲学っぽさ(?)は読んでてちょっと楽しかった気がする。 現代思想 2022年1月臨時増刊号 総特集=ウィトゲンシュタイン ―『論理哲学論考』100年― 作者:野家啓一,大谷弘,古田徹也,飯田隆,小泉義之,G.E.M.アンスコム,C・ダイアモンド青土社Am

    『現代思想2022年1月臨時増刊号 総特集=ウィトゲンシュタイン』 - logical cypher scape2
  • なぜ日本思想史であって、日本哲学史でないのか?(新書余滴)

    ちなみに、近年、英文でJapanese Philosophyとして、古典思想まで含めた大冊の出版が相次いでいる(参考文献の末尾に記した)。今後、こうした動向も併せて考えていかなければならない。

    なぜ日本思想史であって、日本哲学史でないのか?(新書余滴)
  • 書評 「社会科学の哲学入門」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

    社会科学の哲学入門 作者:吉田敬勁草書房Amazon 書は科学哲学の中で特に社会科学の哲学についての入門書だ.私は社会科学についても哲学についてもあまり詳しくはない.そして最近読んだ進化政治学のにおいては著者が実在論にずいぶんコミットしているものの私が理解している科学哲学の実在論とはややニュアンスが異なるような印象もあってややもやもやしていたので,この際勉強しておこうと手に取った一冊になる.著者は科学哲学者で社会科学の哲学を専門とする吉田敬になる. 序章 社会科学の哲学を学ぶとはどういうことか まず書の目的について,社会科学の哲学という分野がどのようなものであり,どのような議論が行われているかを紹介するものだとしている. そこから序章における概念整理がある. 科学哲学の問題領域には論理学(推論の方法は正しいかなど),認識論(知識とは何かなど),形而上学(扱う対象は実在するのかなど),

    書評 「社会科学の哲学入門」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
  • 倉田剛「社会存在論の「統一理論」について」「いかにして社会種の実在性は擁護されうるのか」 - logical cypher scape2

    倉田剛による下記の2つの論文が、グァラに触れているので、フランチェスコ・グアラ『制度とは何か』(瀧澤 弘和 監訳・水野 孝之 訳) - logical cypher scape2を読んだついでに、これらの論文も読んでみた 倉田剛「社会存在論の「統一理論」について」 https://www2.itc.kansai-u.ac.jp/~t980020/Husserl/Vol_17_2019/03_kurata.pdf 第1節から第6節までは、グァラの紹介 基的には、グァラの意義を評価している その上で、第7節にグァラ説への疑問点が挙げられている 7「統一理論」の問題点 7.1「同一説」への疑問 グァラ:サールの構成的ルールにおけるY項を消去可能であると述べた上で、椅子と椅子を構成する原子集団を二重に数え上げる誤謬と同じ誤謬であると批判(第5章「構成」) 倉田(1):二重の数え上げを誤謬とす

    倉田剛「社会存在論の「統一理論」について」「いかにして社会種の実在性は擁護されうるのか」 - logical cypher scape2
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2022/03/14
    “「Aという信念を持っていたからBという行動が起きた」という素朴心理学的な説明を、因果的説明としてよいとする(実際、社会科学者の実践はこれ)。”
  • フランチェスコ・グアラ『制度とは何か』(瀧澤 弘和 監訳・水野 孝之 訳) - logical cypher scape2

    社会科学の哲学の立場から書かれた制度論 経済学的な制度理解と哲学的な制度理解とを架橋するための議論が展開されている。 二部構成となっており、前半では、制度についての均衡説と制度についてのルール説を統合した統一理論「均衡としてのルール」説を展開する。 ただし、これは均衡説とルール説との単なる折衷案ではなく、ルール説を均衡説へと還元するような方向の統一理論(正確には、ルール説の代表的立場であるサールが説く「構成的ルール」を、統整的ルール(均衡をももたらす条件付き戦略)へと還元する立場)。 後半では、制度についての実在論の立場にたち、反実在論的な社会構成主義を批判すると同時に、社会構成主義の動機である規範的アプローチないし改良主義的なアプローチを、実在論によって掬いとろうとしている。 個人的文脈 社会科学の哲学、社会的存在論については、以前から興味があった 例えば、下記の倉田論文 『現代思想20

    フランチェスコ・グアラ『制度とは何か』(瀧澤 弘和 監訳・水野 孝之 訳) - logical cypher scape2
  • 稲垣良典 トマス・アクィナスに学ぶ - 森永エンゼルカレッジ森永エンゼルカレッジ

    中世哲学を集大成したトマス・アクィナス。 彼が著した『神学大全』の核心とは何か。われわれ現代人はそこから何を学ぶことができるのか。 中世哲学の第一人者、稲垣良典 九州大学名誉教授が語るトマス哲学の魅力と現代人へのメッセージ。 お話:稲垣良典 九州大学名誉教授 聞き手: 犬塚潤一郎 実践女子大学教授 片山 寛 西南学院大学教授 松田義幸 尚美学園大学学長・森永エンゼル財団理事 <第1部> わたしとトマス哲学 <第2部> 『トマス・アクィナス「神学大全」』(稲垣良典著 講談社選書メチエ)を読む <第1部> わたしとトマス哲学 第1回  中世哲学との出会い 高等学校の学生時代に、岩下壮一神父の『信仰の遺産』を読む ジルソンの書物などを通じて中世哲学への関心が深まる 東大でトマス哲学を研究する 助手として南山大学へ行く 今道友信先生のこと アメリカに留学し最新のトマス研究にふれる 第2回 グレート

    稲垣良典 トマス・アクィナスに学ぶ - 森永エンゼルカレッジ森永エンゼルカレッジ
  • マルチエンティティーズ人類学:存在論的混淆種としての人類 - Lichtung Criticism

    マルチスピーシーズ人類学から発展して、複数の存在論的地位にある対象についての人類学を論じることができる。 それがマルチエンティティーズ人類学(multi-entities anthlopology)だ。 それは虚構的対象、フィクション、物語、ロボット、死者、幽霊、数的対象、概念などといったさまざまな存在論的地位を持つ存在者たちとわたしたち、わたしたち以外、わたしたちとわたしたち以外のあいまが複合体となって、それらがどのように生を営むのか、どのようなふるまいをするのか、どんな価値を見出すのかを明らかにしようとする学問だ。 マルチスピーシーズ人類学が、狭義に存在する動物たちと人間を扱うのなら、マルチエンティティーズ人類学は、実在する、という特性を超えて、非実在や虚構と呼ばれうる存在論的に多様なスピーシーズ=マルチエンティティーズと人間の関わりを主題化しようとする。 たとえば、綾波レイやアスカラ

    マルチエンティティーズ人類学:存在論的混淆種としての人類 - Lichtung Criticism
  • 怒りの哲学 正しい「怒り」は存在するか/アグネス・カラードほか|ryo_tsukakoshi

    『on anger』(2020 MIT Press)の邦訳。 ある人たちは某シンガーが倒れた友人を思い救急車を蹴りあげた時称賛し(注1)、またある人たちは変革を求める怒りに対し「怒ってばかりじゃ伝わらないよ。理性的に議論しよう」などと言う。怒りについて。 シカゴ大学の哲学者アグネス・カラードの問題提起(第一部)に基づき、複数の書き手が応答し(第二部)、またインタビューや論考を寄せている(第三部)。 邦訳の内容紹介では「当代随一の哲学者たちが議論を戦わせた記録」とあり、実際書き手(一部インタビュー)17人のメインは哲学者なのであるが、一部古典研究者や、ポール・ブルームのような心理学者もいたりして。 トピックはアリストテレスやストア派から最近のtwitterやFACEBOOKのアカウント停止、キャンセルカルチャーや美徳シグナリングまでカバー。 なんというかOxford University P

    怒りの哲学 正しい「怒り」は存在するか/アグネス・カラードほか|ryo_tsukakoshi
  • 『現代思想』誌「進化論の現在」は看板倒れ - まとまり日記

    『現代思想』誌2021年10月号は「現代思想 2021年10月号 特集=進化論の現在 ―ポスト・ヒューマン時代の人類と地球の未来―」と題された特集だった。わたしはこの特集全体の企画意図に問題があると考えるので、手短に述べたい。 わたしの不満は一言で言うと「この号の中身は『進化論の現在』という題名と釣り合っていない、とくにこの題名で生物学の哲学の成果をほぼ無視するのは問題ではないか」ということだ。 まず前半からいこう。哲学・思想系の雑誌が「進化論の現在」という特集を組むときにどういうことを扱うべきか。もちろん決まったルールがあるわけではないが、次のようなトピックが扱われると考えるのが自然だろう: 進化論(進化生物学)の研究の現状 進化論の種々の側面についての哲学的論争の現状(たとえばやや古い話だがここで触れられているような議論) 進化論からの哲学研究へのインプリケーション(たとえば意識の進化

    『現代思想』誌「進化論の現在」は看板倒れ - まとまり日記
  • 哲学のわかり方 - ふくろうは昼寝中

    哲学者はなぜ部屋に引きこもって他人の文章を読むだけで研究できるのか。なぜ外に出てデータを取りにいかないのか? この疑問に対して自分なりの回答を用意しておく必要があるとつねづね思っているが(学際的な分野に関わっているとしばしば言い訳が求められるので!)、昨日授業後に雑談していて、こういう答え方ができるかなと思いついたことがいくつかあった。*1 たとえば歴史学者や社会学者や人類学者は、まだわからないこと、まだ知らないことを明らかにしようとするところにモチベーションがある。それゆえ、外の世界に出て新しいデータを見つけようとする。比喩で言えば、ジグソーパズルを完成させるために欠けたピースを探す。パズルのように決まった正解があるわけではないので、むしろモザイク画を作るための素材を探す、という比喩のほうが適切かもしれない。 一方で哲学者は、自分(および想定される読者)がすでにそれなりにわかっていること

    哲学のわかり方 - ふくろうは昼寝中
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2021/06/17
    "自分と想定読者が直観を共有していることについて強引に同意を求めているように見えるところが、他分野の人からすれば気持ち悪いんだろう"
  • 3.1 哲学者の積み木 - ゲーム研究における理論的研究の位置づけを考える

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2021/06/17
    "歴史的事実や物理的事実は新たなデータが出ればくつがえることもあるが、哲学者が問題にしているのは、そういうタイプの事柄ではない"