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ジャンル・分類に関するja_bra_af_cuのブックマーク (85)

  • 【後編】ボカロ文化と批評のあり方(についてのいくつかの所感)|Flat

    自己批判とWikipediaについて散々人にケチをつけておいて、お前はどうなんだと思うかもしれません。実際、私も過去にかなりのミスを犯しています。例えば、先述したドラムンベースについての言及。私も同じことをしています。私がReal Soundで連載していた「ボカロ曲の流行の変遷と「ボカロっぽさ」についての考察」から、じんについての文章を見てみましょう。 じんは2011年2月17日投稿の「人造エネミー」でボカロPとしての活動を始める。この楽曲も2作目の「メカクシコード」も共にドラムンベースであった(中略)が、同年9月30日投稿の3作目「カゲロウデイズ」でロックに方向転換、ブレイクを果たす。 Flat「ボカロ曲の流行の変遷と「ボカロっぽさ」についての考察(3)kemuとトーマ、じんが後続に与えた影響」(Real Sound, 2020)https://realsound.jp/2020/09/

    【後編】ボカロ文化と批評のあり方(についてのいくつかの所感)|Flat
  • 【前編】ボカロ文化と批評のあり方(についてのいくつかの所感)|Flat

    この記事は、ボカロ文化についてのいくつかの批評を(批判的に)検討することで、ボカロ批評の現在地や課題を浮かび上がらせることを目指して執筆したものです。(2024/02/10追記) トンデモポップ論(への反論)昨年12月にちょーく氏が発表した「カスによるカスのためのトンデモポップ論」は、一部のボカロ曲のリスナーの間で話題になりました。 この記事の主張を要約すると、次のようになるかと思います(以下、初出の引用は太字で表記します)。 1.lumoの楽曲に端を発する「トンデモポップ」というタームは「特異な表現や奇抜な曲の進行、メロディなどの要素を持ちつつもポップスとして成立している音楽」に付けられるタグである。 2.しかし、原口沙輔「人マニア」や同作者「ホントノ」の大ヒットと、これらを「トンデモポップ」と形用する言説により、この2曲と類似する(時に意図的に模倣した)音楽性を指すジャンル名として人口

    【前編】ボカロ文化と批評のあり方(についてのいくつかの所感)|Flat
  • マーティン・J・S・ラドウィック『太古の光景』(菅谷暁・訳) - logical cypher scape2

    サブタイトルは先史世界の初期絵画表現。原著タイトルは”Scenes from Deep Ttime: Early Pictorial Representation of the Prehistoric World” 19世紀のパレオアートについての科学史 「恐竜図鑑―失われた世界の想像/創造」展 - logical cypher scape2の副読として読み始めたのだが、行く前に読んでおくべきだった*1。少なくとも、恐竜図鑑展の第1章についての理解度は爆上がりするし、「パレオアートって一体何だ」というモヤモヤ感もある程度は解消する。 このの存在自体は、以前から知ってはいたのだが、邦訳があることを認識していなかった*2。実は原著は電子で買っていたのだが、そのまま積んでいた。英語で読める気がしないので邦訳があってよかった*3。 聖書の挿絵についての伝統を伏線としながら、過去の伝統から何を

    マーティン・J・S・ラドウィック『太古の光景』(菅谷暁・訳) - logical cypher scape2
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2023/06/30
    19世紀にもうあったのね/“ジャンルの始点を決めるのは難しいけれど、それとは別に、そのジャンルが確立した時期というのもある〔……〕ジャンル概念には、その起源の歴史と使用の歴史との区別がある、”
  • 「DNA解析で、すぱっと」では、すべての生物を分類できないわけ(岡西 政典)

    近年のDNA解析技術の飛躍的な向上に伴って、同種か別種か、種と種の近い・遠いの関係、また複数の種がどのようなグループを構成しているのか、生物の遺伝子配列を調べることで解明できるのではないか。しかし、そう簡単な話ではないという。 クモヒトデ類の、特にテヅルモヅルを専門とする分類学者の岡西政典さん(広島修道大学人間環境学部助教)に分類学の始まりから種概念、分類学の未来を聞いた。 ※記事末尾でインタビュー動画をご案内しています。 前編はこちら(リンクされていない場合は下の【関連記事】からどうぞ) なぜクモヒトデなのか ――岡西先生がご専門とされているクモヒトデについて、同じような分類の仕事をしている研究者は、世界中にどれぐらいいますか。分類以外のクモヒトデに関する研究は、別の研究者が行っているのですか。 岡西:10年くらい前までは、日に僕と僕の師匠、海外では、オーストラリア、ドイツ、スウェー

    「DNA解析で、すぱっと」では、すべての生物を分類できないわけ(岡西 政典)
  • 定義ってなんだろう (1) 定義の分類と注意 | 江口某の不如意研究室

    辞書的定義というのは、人びとがその言葉をどう使っているかを国語辞典の乗ってるような形で説明することです。たとえば「男性」の定義はコトバンク(大辞泉)ではこんな感じですね。基的には「おとこ」なんですが、成年の男子」が基だそうです。 まあそういう多義的な語があるので定義が必要になる場合もあるわけです。っていうかけっこう重要。 ところで、この「男性」の場合は男性ってなんだっていったら「おとこ」だとか「男子」だとかで、さらに「おとこ」ってなんだって辞書ひくと男子だとか男性だとか出てきてしまって循環してしまってます。「男子」か「男性」か「おとこ」かどれかの言葉を知らないとけっきょくそれがなんのかわからない。まあこれは「男性」だとか「おとこ」だとかっていうののどれかはわかってることを前提に辞書っていうのがつくられているからですね。 辞書では基的な単語についてはこんなふうに循環してしまうことはよく

  • 「メタバースとは何か?」定義を“作る”ところから考える――京都大学准教授・松永伸司氏インタビュー

    メタバースとは何か?」定義を“作る”ところから考える――京都大学准教授・松永伸司氏インタビュー 「メタバース」の定義とはなんでしょうか? 「人によって定義が違う」「あの人の言う『メタバース』は間違っている」、「ただバズワードとして言いたいだけでは?」……メタバースという言葉が口にされるたび、あれはどういう意味なんだろうかと考えてしまう人は多いはず。 今回Mogura VRでは、「メタバースとは何か」という問いに答えるための道具(=考え方)を提供することを目的として、分析美学とゲーム研究を専門とする京都大学准教授の松永伸司氏に話を伺いました。なお、松永氏にはMoguraが主催した「XR Kaigi 2020」にて「VRはリアルかフィクションか、あるいはその問いは何を問うているのか?」と題した講演を行っていただいています。 記事では、「メタバースとは何か」を考える前に一歩引き、どのような条

    「メタバースとは何か?」定義を“作る”ところから考える――京都大学准教授・松永伸司氏インタビュー
  • 『夜に駆ける』はボカロ曲なのか?―ボカロ曲の定義についてのアンケートとその結果 - 青海 久瑠の記事保管庫

    先日、Twitterにてボカロ曲かどうかの判断が分かれそうな曲についてアンケートを実施しました(現在は締め切っています)。多くの方のご参加ありがとうございました。この記事ではその結果について報告していきます。 ボカロ曲かどうかの調査 https://t.co/tbYnXvTfQa ボカロ曲かどうか判断が分かれそうな曲についてのアンケートです。ご協力よろしくお願いします。— 青海 久瑠🚢 (@ao_39L) 2021年2月13日 ①アンケートの概要 アンケートでは、以下の曲について「ボカロ曲である」か「ボカロ曲ではない」の2択で回答していただきました。 おちゃめ機能 / ラマーズP (重音テトによる歌唱。VOCALOIDではなくUTAUという歌唱用ソフトウェア) PS5が当たらない / にっくきゆう (初音ミクNTによる歌唱。NTはVOCALOIDとは異なるソフトウェア) おねがいダーリン

    『夜に駆ける』はボカロ曲なのか?―ボカロ曲の定義についてのアンケートとその結果 - 青海 久瑠の記事保管庫
  • レジュメ|モーリス・マンデルバウム「家族的類似と芸術に関する一般化」(1965) - obakeweb

    Mandelbaum, Maurice. (1965). Family Resemblances and Generalization concerning the Arts. American Philosophical Quarterly, 2(3), 219-228. 「芸術の定義」に関する古典的な論文のひとつ。以下、論文に先立つあらすじ。 伝統的に、芸術は模倣/表象(プラトン)、感情の伝達(トルストイ)、表出(クローチェ)、重要な形式(ベル)といった点から定義されてきたが、いずれも狭すぎる=一部の芸術を芸術としてカバーできないか、広すぎる=一部の非芸術を芸術だとみなしてしまう、ということで一長一短であった。 1950年代のなかごろは言語哲学、とりわけ後期ウィトゲンシュタインの影響を受けた哲学者たちが、美学や芸術理論における反質主義をごり押しする。「芸術の定義」というトピックにおい

    レジュメ|モーリス・マンデルバウム「家族的類似と芸術に関する一般化」(1965) - obakeweb
  • 『種を語ること、定義すること:種問題の科学哲学』書評 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek

    網谷祐一 (2020年12月20日刊行,勁草書房,東京, viii+238+xv pp., 体価格3,200円, ISBN:978-4-326-10288-4 → 目次|版元ページ) 【書評】※Copyright 2021 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved 肩透かしから学ぶ「種問題」の現在「《種》とは何か?」「《種》はどのように定義できるのか?」—— 生物体系学において長きにわたって戦わされてきた「種論争」のなかで幾度も問われ続けてきたこれらの疑問は現在もなお解決できてはいない.地球上の生物多様性を語るとき,誰もが “共通通貨” として使うに値する《種》の概念があればさぞかし役に立つだろう.しかし,過去何世紀にも及ぶ種論争の泥沼から抜け出られる気配はいまだにない.ワタクシはこの種論争は解決されることに意義があるのではなく,いかにしてそれととも

    『種を語ること、定義すること:種問題の科学哲学』書評 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek
  • 網谷祐一×岡西政典×三中信宏「「種(しゅ)」に交われば明るくなる!~生物学者のタテマエとホンネに科学哲学者が迫る~」『種を語ること、定義すること』(勁草書房)刊行記念 | 本屋 B&B

    イベントは配信(リアルタイム&アーカイブ)でご参加いただけるイベントです。詳細につきましてはページ下部をご確認ください。 「種」は、「しゅ」と読んでください。かのダーウィンの超有名な、『種の起源』の「種」です。「たね」ではありません。 そんな「種」が、この世にはあふれています。キリンもスズメも、サンマも、ホウレンソウも、そしてヒトも、立派な「種」です。でも、「種の定義を述べよ」と言われるとややこしいことがたくさん出てきます。こんなに世界の基みたいな顔をしていながら、実はちゃんと定まっていないのです。生物学者が種を語り始めると、種はけっこうな火種(こっちの読みは「たね」)になりかねません。 では、生物学界が困り果てているかというと、そうでもありません。定義が決まっていないにもかかわらず、生物学者は種や種分化について様々なことを明らかにしてきました。『種を語ること、定義すること』の著者

    網谷祐一×岡西政典×三中信宏「「種(しゅ)」に交われば明るくなる!~生物学者のタテマエとホンネに科学哲学者が迫る~」『種を語ること、定義すること』(勁草書房)刊行記念 | 本屋 B&B
  • Children aren’t born racist. Here’s how parents can stop them from becoming racist. | CNN

  • 「生物のようなウイルス」と「ウイルスのような生物」が発見され、生物と非生物の境界がゆらぐ

    生物より多い遺伝子を持ち、免疫能力を備えたウイルスが存在することがわかった 単独ではエネルギー代謝も自己複製もできない生物が存在することがわかった 上の図のように、ウイルスは核酸とタンパク質の殻からできています。単独ではエサをとったり、光合成でエネルギーを生み出したりことも消費することもできません。 自分の力だけでは増えることができず、感染した細胞の自己複製装置を利用します。 このような性質から、ウイルスの遺伝子は「ただ増殖命令だけが記された簡素なもので、生物と無生物の間の存在だ」と言われてきました。 しかし、近年になって複雑な遺伝子を持った「生物のようなウイルス」や、生命活動に必須な遺伝子の多くを宿主に依存する「ウイルスのような生物」が発見され、生物と無生物の境界が非常に曖昧になっています。 そこで今回アメリカの研究者によって、膨大な遺伝子を持つウイルスである「巨大ファージ」の詳細な遺伝

    「生物のようなウイルス」と「ウイルスのような生物」が発見され、生物と非生物の境界がゆらぐ
  • エイサゴーゲー - Wikipedia

    『エイサゴーゲー』(古希: Εἰσαγωγή 羅: Isagoge 『イサゴーゲー』とも) は、ローマ帝国期のポルピュリオスが古代ギリシア語で著し、ボエティウスがラテン語に翻訳した書物。題名の意味は『手引き』、すなわちアリストテレス『範疇論』への手引きであることを意味する。ポルピュリオスの死後少なくとも千年後まで論理学の標準的な教科書として使われていた。 アンモニオス・ヘルメイウ、エリアス、ダヴィドといった古代の注釈者たちによれば、書は268年-270年にポルピュリオスがシチリアに滞在していた折に執筆され、知人に贈られた。書では、ポルピュリオスの樹として知られている普遍的な実体から個々の存在へ下がっていくという、類と種の階層的分類が述べられており、これは非常に影響力が高い。また、書の序文では普遍の問題について言及されている。 ボエティウスによる書のラテン語訳は中世ヨーロッパの学校・

  • 「作品とカテゴリーの実践」関連ブックガイド① - 仄聞社ジャーナル

  • ツイート記録

    近年めずらしく長めのツイートをしたので,このチラシの裏に記録. 一連のツイートの起点(残りはこれにぶらさがってる): 純粋な定義の論争は,べつに新しい知識を加える結果にはならない,と思うの.たとえば「アニメ」とはまんがタイムきららの4コマ漫画を原作として深夜に放送される30分枠のアニメーション作品のことである,というすっとこどっこいな定義を誰かが言い出したとして…

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/09/11
    概念の定義は記述なのかどうか問題 フォークターム問題
  • http://jazzguitarspot.com/blog/2018/07/29335/

    http://jazzguitarspot.com/blog/2018/07/29335/
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/07/03
    サウンドの印象が伝統的な楽器(p, b, dr, 管楽器)のそれでなくなるのも大きいっぽい(ex. フュージョン)/広義の――たまに字義通りの――政治ですわね
  • RADWIMPS「HINOMARU」騒動 「軍歌」についての“4つの誤解” | 文春オンライン

    6月6日に発売された、RADWIMPSの新曲「HINOMARU」が「軍歌っぽい」として話題になっている。 これに対し、作者の野田洋次郎は、同月11日、SNSで「HINOMARUの歌詞に関して軍歌だという人がいました。そのような意図は書いていた時も書き終わった今も1ミリもありません」などとコメントした。

    RADWIMPS「HINOMARU」騒動 「軍歌」についての“4つの誤解” | 文春オンライン
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/06/25
    "レコード会社が1960年代ごろ軍歌を「懐メロ」として売り出すときに「戦時歌謡」(戦時下の歌謡曲の意味)という名称を事実上作り、普及させた" 輪島本のと同じく回顧的に生まれたジャンル名なのね
  • 実は奥深いチョウとガの違い(神保宇嗣/チョウ・ガ研究者)

    ガを研究していると自己紹介すると、「チョウとガはどう違うのですか」という質問をよく受ける。これはなかなか答えるのが難しい、回答者泣かせの質問だ。 日では、チョウとガは完全に別の生き物のような扱いを受けており、チョウは昼間活動するきれいな虫といったプラスの印象、ガは夜に活動するあまりきれいではない虫といったマイナスの印象とともに語られることが多い。触角の形や止まる姿勢なども、チョウとガを区別する方法としてしばしば紹介される。 確かに、今あげたような区別点は、チョウやガの大部分に当てはまるが、どうしても例外があるため決定的ではない。特に、昼間に活動するガの仲間は、チョウのような派手な色や斑紋を持った種類が数多くいて、チョウとガがそっくりな斑紋をしていることすらある。いろいろなチョウとガの標を数個体ずつ取り混ぜてお見せし、チョウとガに分けてみて下さいというクイズをしたことがあるが、全問正解し

    実は奥深いチョウとガの違い(神保宇嗣/チョウ・ガ研究者)
  • Simon Evenine, 「でもこれってSFなの?」 - サイエンスフィクションとジャンルの理論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Simon J. Evnine, “But Is It Science Fiction?”: Science Fiction and a Theory of Genre - PhilPapers Evnine, Simon J. (2015). “But Is It Science Fiction?”: Science Fiction and a Theory of Genre. Midwest Studies in Philosophy 39 (1):1-28. 目次 ジャンルに対する二つのアプローチ 所属、定義、規範性 所属と定義 規範性 ジャンルを巡る争い マーガレット・アトウッド パミラ・ゾリーン「宇宙の熱死」 @pubkugyo さんに教えてもらった。作品のジャンルについて論じた論文。特に具体的なジャンルとしてSFを取り上げ、SFにおけるジャンルの定義論争などに触れつつ議論をして

    Simon Evenine, 「でもこれってSFなの?」 - サイエンスフィクションとジャンルの理論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/05/31
    "「舞台が西部であることが重要ではない、西部のスピリットが大事なんだ。SF西部劇はありだよ」とか言いはじめるような事態" カウボーイビバップを想起した(あれが西部劇的なのかどうかわからないけど
  • 超能力漫画の変遷/スタンド概念の中心と辺縁について - izumino’s note

    超能力からスタンドへ 『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズを代表作とする荒木飛呂彦が、漫画界に不可逆な変化をもたらした巨大な作家であることはもはや論をまたないところであろう。 その成果は数多く挙げることができるが、特に少年漫画やバトル漫画の領域においては、「スタンド」の発明の与えた影響の大きさが素朴に認められることだと思う。 「スタンド」概念の画期性は、何よりもそれ以前の「超能力」漫画との比較によって明らかになるものだ。 荒木自身は、明確に「スタンド」のアイディアが大友克洋の「超能力」描写から生じていることを繰り返し語っている。 「スタンド」とか「波紋」の発想の原点にあるのは、いわゆる「超能力」というものに対する疑問からなんです。その存在自体は半信半疑なんだけど「念じるだけで物が動く」ってのが、なんか卑怯な感じがするんですよ。〔略〕裏づけというか説得力というか、そういうものが欲しかったんです。

    超能力漫画の変遷/スタンド概念の中心と辺縁について - izumino’s note
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/05/29
    "夏目房之介が(講演の場などで)提唱していたのが「中心と辺縁」という枠組みで捉えること" 文献はないのか