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民俗学に関するja_bra_af_cuのブックマーク (23)

  • 民俗学っぽいマンガとは何か ——民俗学者が出てくるマンガまとめ - 猫は太陽の夢を見るか:番外地

    しかし、世間では「妖怪は民俗学が扱うものだ」と考えるのがどうも一般的な捉え方のようです。翻って、「民俗学は妖怪を研究する学問だ」と考えている人までいるようです。 これは、明らかな誤解というよりありません。 (京極夏彦『文庫版 妖怪の理 妖怪の檻』角川文庫、角川書店、2011年、32頁) 「独断と偏見で選ぶ〝民俗学っぽいマンガ〟」を選ぶために このように思ったことはないだろうか。 「ホラーとかオカルト系のマンガって、たいてい民俗学者っぽいキャラが出てくるよね」 わかる。 でもじゃあ、実際、民俗学者が出てくるマンガってどんなものがあって、それってどれくらいあるのだろうか? そもそも、ホラーとかオカルトとか伝奇とか妖怪とかのマンガには、どうしてよく民俗学者が出てくるのだろうか? しかし、その問いに答えることは、実は容易ではない。 なぜか。 たとえば、考古学には、櫻井準也『考古学とポピュラー・カル

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  • 新型コロナ封じで流行中の妖怪「アマビエ」の正体とは? 本気のアマビエ研究者がわかりやすく解説します!【ふーぽコラム】

    現在、Twitterなどネットで大流行中の妖怪「アマビエ」 。 その姿を描き写すことで、疫病の流行を防ぐご利益があるといわれており、現在の新型コロナウイルス流行の中、さまざまな人がアマビエの姿を描いたイラストをネットにアップして、それが拡散しているんです。 だけど、そもそもアマビエっていったいどんな存在なのでしょう。 長年アマビエについて調査し論文を発表するなど、アマビエ研究の第一人者である長野栄俊さん(福井県在住)が、わかりやすく徹底解説します。 (※小見出しと「ひとこと」は編集部が挿入しました) 新型コロナウイルス流行によって、140年ぶりに現れた妖怪のナゾと真実とは?! \このコラムが書籍に掲載されました!/ ⇒ネットで話題の「#みんなのアマビエ」が書籍化! 人気クリエーターらのイラストや立体作品が満載です。なんと「ふーぽ」も登場します!!!

    新型コロナ封じで流行中の妖怪「アマビエ」の正体とは? 本気のアマビエ研究者がわかりやすく解説します!【ふーぽコラム】
  • 妖怪論文が掲載されました・ウェブ上に公開しました - 妖怪と、人類学的な雑記

    すでに2か月前の話になりますが、『現代民俗学研究』という雑誌の第6号に僕の論文が載りました。 タイトルは「妖怪の、一つではない複数の存在論―妖怪研究における存在論的前提についての批判的検討―」で、113-128ページに掲載されています。 冒頭の英文要旨を翻訳したものは次のようになります。 稿は、近代の民俗学的妖怪研究が前提としてきた存在論的コミットメントを批判的に検討する。学術的な妖怪研究者は、妖怪は超自然的存在であり、妖怪は一般的には実在しない、と想定している。しかし、近代的な研究者のもつ存在論的枠組みを共有しない人々の世界を研究するときの、これらの前提の妥当性は、これまで妖怪研究においてほとんど関心をもたれてこなかった。稿は、妖怪研究において主流の言説や理論を批判的に検討することにより、研究者が、妖怪を受け入れ共存する人々のパースペクティヴを把握しそこねていたということを指摘する。

    妖怪論文が掲載されました・ウェブ上に公開しました - 妖怪と、人類学的な雑記
  • 「本当のグリム童話」はなぜ残酷で恐ろしいのか

    晩年のグリム兄弟、ヤーコプ・グリムとヴィルヘルム・グリム。立っているのがヤーコプ。1850年頃に撮影された銀板写真。(PHOTOGRAPH BY AKG/ALBUM) 民話の発祥は、人類の文明そのものと同じくらい古い。長い時を経て、語り継がれたものと書き記されたものを織りまぜ、人々がそれぞれに紡いできた細部の異なる物語。それが民話だ。 例えばシンデレラの物語は、古代中国や古代エジプトにもある。だが、話の細部は、各地の文化によって変わる。ガラスのはエジプトでは赤い革製で、カボチャの馬車は西インド諸島ではパンノキの乗り物だ。「召使いのように扱われていた娘が王子様と結ばれる」現代版に慣れ親しんだ人々にとって、ヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟が1812年に出版した民話集のシンデレラは、衝撃的かもしれない。(参考記事:「当はおぞましいアラジン、映画と原作どう違う?」) グリム版では、ヒロインは

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  • 「桃太郎」の鬼は悪くない 袖ケ浦の小6・倉持さんが本出版(東京新聞) - goo ニュース

    童話「桃太郎」に出てくる鬼は悪くない−。袖ケ浦市立奈良輪小学校六年の倉持よつばさん(12)が、これまでの自由研究をもとに九月下旬、初の著書「桃太郎は盗人なのか? 〜『桃太郎』から考える鬼の正体〜」(新日出版社、体価格千五百円)を刊行する。「まさかになるとは思わなかったので、すごくうれしい」と目を輝かせる。 (山田雄一郎) 奈良輪小では毎年、「図書館を使った調べる学習コンクール」(図書館振興財団主催)に、児童たちが応募するよう支援。倉持さんは二〇一七年度のコンクールで、妹のひまりさん(8つ)と高速道路の現状を調べ、姉妹で優秀賞・NHK賞を受賞。副賞として贈られた絵「空からのぞいた桃太郎」(影山徹、岩崎書店)の帯に「鬼だから殺してもいい?」と書いてあることに驚きを覚えた。福沢諭吉が「(宝物を奪った)桃太郎は盗人だ」と批判していたことも知り、「鬼ケ島の鬼は悪者なのか」と疑問を持ち、調べて

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  • 【島Interview|訊く】照屋年之(ゴリ)監督 「洗骨」が教えてくれること。小さな島に残る民俗文化 - 離島経済新聞

    南西諸島を中心にいくつかの島々に残る風習「洗骨」(※)を描いた映画が公開中だ。監督・脚は照屋年之(ガレッジセール・ゴリ)監督。小さな島の民俗文化を描いた作がどのように生まれたのか、照屋監督と主演の奥田瑛二さんに作品誕生の背景について伺いました。(インタビュー撮影・垂見健吾) (※)風葬や土葬を経た遺骨を洗い清めて改葬する風習。東南アジアなど世界各地で見られ、日の離島地域にも残る。 映画『洗骨』あらすじ 洗骨───。粟国島の西側に位置する「あの世」に風葬された死者は、肉がなくなり、骨だけになった頃に、縁深き者たちの手により骨をきれいに洗ってもらうことで、晴れて「この世」と別れを告げることになる。 沖縄の離島、粟国島・粟国村に住む新城家。長男の新城剛(筒井道隆)は、母・恵美子(筒井真理子)の“洗骨”のために、4 年ぶりに故郷・粟国島に戻ってきた。実家には、剛の父・信綱(奥田瑛二)がひとり

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  • 災害の記憶をいまに伝える日本全国「あぶない地名」(週刊現代) @gendai_biz

    世界で最も災害の多い国、日。かつて我々の先祖たちは、災害の恐ろしさを地名に託し、後世に伝えようとしていた。そんな災害と深く関係する「あぶない地名」の数々を、「現場検証」する。 「きれいな地名」は要注意 都内屈指の高級住宅街、東京都目黒区自由が丘。「住みたい街」ランキングでは常に上位にランクされるこの地に、戦後から暮らす80代の男性が自由が丘の過去について、驚くべき証言をした。 「この辺りには、かつて大岡山から大蛇が襲ってきたという言い伝えが残っています。おそらく水害をなぞらえているのでしょう。今では考えられませんが、かつてこの地では、子供が溺れる水難事故が多かったようです」 男性によれば、'14年秋のゲリラ豪雨の際、家の目の前のマンホールから水があふれ、蓋が浮くほどだったという。 日には、長い歴史の中で、幾度も天変地異に遭っている土地が存在する。そういう場所には先人が災害を示唆する地名

    災害の記憶をいまに伝える日本全国「あぶない地名」(週刊現代) @gendai_biz
  • 岩本 通弥 編 『ふるさと資源化と民俗学』. | 明日は明日の風が吹く

     通弥 編 『ふるさと資源化と民俗学』.2007年.吉川弘文館. 『ふるさと』は今、必要以上に美化されて、その役割が固定化されつつある。書は、棚田や合掌造り、はたまた民俗芸能などが外部から一面的な賛美を受け、観光化されつつある現状に、人類学・民俗学の視点から考察をいれた論考集である。 まず書では、地方の民俗がこれまでどう扱われてきたのか、その変遷と意味の転換を読者に明示する。明治後、日は近代国家の成立を目指し、地方の『封建遺制』『因習』はその足を引っ張る要因とみなされ、地方の『文化』は否定され、駆逐され、あるいは矯正された。国家が近代化を推し進める中で、矯正された中央にとって望ましい地方を目指して、『文化的地ならし』が進められていったのである。しかし、1980年代以降から(70年代以降?)『文化』の価値転換がおこる。ものの豊かさから心の豊かさへ、といった価値転換において、精神的豊

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    台湾ひとり事旅(前編) 台湾へ行ってきた。チケットと宿を予めおさえていたものの、台湾地震の発生で予約を一度はキャンセル。その後の台湾観光庁の旅行に来て大丈夫だよ、という声明を確認してやはり行くことに。 目的はシンプルで、台北周辺で美味しい事をたくさんべること。そして自宅…

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  • 歴史・神話・民俗調査が語り手の「空気を読む」で混乱する…って話から藤子・F・不二雄の某短編について【注意:半ネタバレあり】

    【注意】ある藤子F短編に関し、大きく内容に触れています。ご了承の上お読みください。 有名な話ではあるんですけど、民俗学や神話の調査に行ったときに、時々、調査する側にされる側が「サービス」したり、調査側の知識が入ったりして、偶然と作為の入り混じった「偽神話」や「偽伝統」が作られることがあります。 別に誰か悪人がいるわけではないのに、結果として学問の真実から離れていく… その問題を、藤子・F・不二雄氏は見事な短編にしたことがあったのです。 続きを読む

    歴史・神話・民俗調査が語り手の「空気を読む」で混乱する…って話から藤子・F・不二雄の某短編について【注意:半ネタバレあり】
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2017/03/08
    事実の裏付けとなる証言と捉えるより、そうした発言がなされるとはどういうことかという「語り」の問題として考えられるようになってたりするんどすえ
  • #2819. 話し言葉中心主義から脱しつつある言語学

    昨日の記事「#2818. うわさの機能」 ([2017-01-13-1]) で取り上げた松田著『うわさとは何か』を読んでいて,言語学の流れについて考えさせられる機会があった. 松田によると,従来のうわさの研究はうわさの内容(情報)にこだわる傾向があった.例えば,古典的な「うわさの公式」によると,うわさの強さや流布量 (Rumor) は,当事者に対する問題の重要さ (importance) とその論題についての証拠の曖昧さ (ambiguity) との積に比例する,つまり R?i×a とされる (23) .だが,ほかにも考えるべき側面はある.例えば,何のメディアで発せられ広がるかというメディアの観点からの考察も必要だろう.松田はこのように,うわさの内容だけではなく形式をも考慮に入れることを説いている.そこで述べていることがおもしろい.「民俗学における口承研究が過去からの伝承や口頭性にこだわる

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2017/01/15
    "「民俗学における口承研究が過去からの伝承や口頭性にこだわるあまり,そのうわさが語られる場や時代――メディアを含む――に対して寄せる関心が薄い」"
  • 被災地、タクシーに乗る幽霊 東北学院大生が卒論に:朝日新聞デジタル

    「震災による死」に人々はどう向き合い、感じてきたか。この春に卒業する東北学院大の社会学のゼミ生たちがフィールドワークを重ねて、卒論を書いた。工藤優花(ゆか)さん(22)は、宮城県石巻市のタクシー運転手たちが体験した「幽霊現象」をテーマに選んだ。 50代の運転手は工藤さんに、こう打ち明けた。 震災後の初夏。季節外れのコート姿の女性が、石巻駅近くで乗り込み「南浜まで」と告げた。「あそこはほとんど更地ですが構いませんか」と尋ねると、「私は死んだのですか」と震える声で答えた。驚いて後部座席に目を向けると、誰も座っていなかった。 別の40代の運転手。 やはり8月なのに厚手のコートを着た、20代の男性客だった。バックミラーを見ると、まっすぐ前を指さしている。繰り返し行き先を聞くと「日和山」とひと言。到着した時には、もう姿はなかった。 工藤さんは3年生の1年間、毎週石巻に通い、客待ちの運転手をつかまえて

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  • 長崎のかくれキリシタン信仰、存続危機 人口減・高齢化:朝日新聞デジタル

    長崎県平戸市の生月島で今月、かくれキリシタンの信者組織「垣内(かきうち)」が一つ、解散した。禁教をくぐり抜け、450年伝えられた信仰は、地域の人口減少と高齢化で風前のともしびだ。 10月4日午後、平戸市生月町博物館・島の館に、年配の男女16人が数台の車に分乗して集まった。軽トラックから背丈ほどの木製のタンスのようなものを下ろすと、館内の一室で長机の上に据えた。 タンスのようなものは「オコクラ」と呼ばれ、かくれキリシタンが「御前様(ごぜんさま)」と呼ぶご神体を納めている。観音開きの扉を開けると、それが見えた。聖母子と2聖人の「お掛け絵」だ。青い雲が彩色されたばかりのように鮮やかだ。 お神酒と果物を供え、16人は声をあわせてオラショを唱えた。その様子を撮影した学芸員の中園成生さん(52)は、オラショが終わると「おつかれさまでございました。博物館で大切にお守り致します」とあいさつした。 16人は

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  • 『耳鼻削ぎの日本史』”やさしさ”から”見せしめ”まで - HONZ

    “耳鼻削ぎ”とは穏やかではない。というか、野蛮。現代人はそう感じるだろう。日歴史上で耳や鼻を削ぐといえば、戦国時代の話かな。敵の首をいくつとったか戦功を証明するのに、首だと持って帰るには重いから耳。いや耳だと左右二つ削いで数をごまかせるので鼻になったんだっけ。いやはや、戦国時代は血腥い…。 著者は日各地の“耳塚”“鼻塚”を訪ね歩き調査する。無惨に討たれた武士たちの耳や鼻が何百と葬られたというのなら、さぞや怨念が染み付いているだろう、怨霊話もあるだろう。耳や鼻を削ぐという行為の意味もみえてくるだろう、と思いきや。 なぜかどこへいっても「耳の神様が耳の聞こえをよくしてくださるところ」という話ばかりだったのだという。 私は日中の耳塚・鼻塚を訪ねてまわり〜(中略)けっきょくのところ、どこの耳塚・鼻塚からも不気味な怨霊譚が聞かれることはなかった。それどころか〜(中略)土地の人から愛され、ご利

    『耳鼻削ぎの日本史』”やさしさ”から”見せしめ”まで - HONZ
  • 民話 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "民話" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年2月) 民話(みんわ、英: folktale, folk story)、民間説話(みんかんせつわ)は、民衆(柳田國男のいう「常民」)の生活のなかから生まれ、民衆によって口承(口伝えで伝承)されてきた説話のこと。 概要[編集] 昔話のほか、伝説、世間話その他を含める。口承文学、また民俗資料の一。民譚(みんだん)ともいう。研究する学問は民俗学。 ルーツは神話にあると言われ、例えば日の『古事記』は語り部の稗田阿礼が口述したのを太安万侶が筆録した物である。日の神話の中でも特定の地

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2015/04/04
    昔話・神話・伝説・世間話の区別
  • 貨幣と穢れ - Living, Loving, Thinking, Again

    お金の成り立ちとその背景 -NHKスペシャル「ヒューマンなぜ人間になれたのか第4集」より-」http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/20120301/p1 以前言及したときは「ネアンデルタール人」に関してコメントしただけだったのだが*1、上記のエントリーの体に関して、貨幣の呪術・宗教的側面というか禍々しさが等閑視されているんじゃないかという不満を感じていたのだった。 貨幣というものが孕む禍々しさを考える初歩として、新谷尚紀『なぜ日人は賽銭を投げるのか』から少しメモしていきたい。 「厄年や年祝いに際してみられる銭撒きの例」―― 伊勢湾の入口にある神島や、大分県米水津村で行なわれている銭撒きの習俗は、年の数だけお金を撒くものである。四十二歳はまだよいが、六十歳の還暦には大変だという。千円札だと六万円、一万円札だと六十万円も撒かなければならない。百円玉を六十個撒い

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  • #1069. フォスラー学派,新言語学派,柳田 --- 話者個人の心理を重んじる言語観

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/02/17
    ”柳田がフォスラー学派や新言語学派から直接に影響を受けたかどうかは未調査だが,これらの学派と柳田の間に多くの際立った類似点が見られることは確か”
  • 〈妹〉の力――最近、妹アニメのようすがちょっとおかしいんだが【アニメルカ高瀬司の2014年冬クール時評 第1回】

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/01/27
    ファンタジーとしての〈妹〉をアニメと柳田に見出す
  • 江戸時代の人は初詣をしなかった!年末年始の雑学30 | ガジェット通信 GetNews

    年末年始の風習やテレビ番組などについての、肩のこらない雑学を30コ取り上げてみた。年末年始の話題に困ったときに、ちょっと振ってみてはいかがでしょう? (トップ写真は初詣の元祖とされる川崎大師(平間寺)大堂) 1,初詣は江戸時代の人はしていない 実は明治時代に盛んになった風習で、元々川崎大師の宣伝で使われたらしい。明治30年代まで川崎大師のキャッチフレーズ的なものだったようである。川崎大師そのものは鎌倉時代からある寺だが、今のように立派になったのは幕末から明治にかけてである。 初詣に近い「恵方詣」すら幕末に盛んになった行事で、非常に新しいものである。 (宝島社「神道を知る」など) 2,初詣は元々はある組織のステマだった?! 明治時代に電鉄会社が、自分の沿線にある神社仏閣を「恵方」だという一大キャンペーンを張ったので初詣が大流行した。この時、陰陽道で言う恵方は全く無視されたので一部から批判

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  • 子供の頃隠し念仏の儀式に参加した思い出など

    昭和40年代の岩手県南地方に残っていた謎の儀式、そして地域的になんか隠れキリシタンの話題なども含めてまとめてみました。

    子供の頃隠し念仏の儀式に参加した思い出など