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社会と哲学に関するja_bra_af_cuのブックマーク (8)

  • 倉田剛「社会存在論の「統一理論」について」「いかにして社会種の実在性は擁護されうるのか」 - logical cypher scape2

    倉田剛による下記の2つの論文が、グァラに触れているので、フランチェスコ・グアラ『制度とは何か』(瀧澤 弘和 監訳・水野 孝之 訳) - logical cypher scape2を読んだついでに、これらの論文も読んでみた 倉田剛「社会存在論の「統一理論」について」 https://www2.itc.kansai-u.ac.jp/~t980020/Husserl/Vol_17_2019/03_kurata.pdf 第1節から第6節までは、グァラの紹介 基的には、グァラの意義を評価している その上で、第7節にグァラ説への疑問点が挙げられている 7「統一理論」の問題点 7.1「同一説」への疑問 グァラ:サールの構成的ルールにおけるY項を消去可能であると述べた上で、椅子と椅子を構成する原子集団を二重に数え上げる誤謬と同じ誤謬であると批判(第5章「構成」) 倉田(1):二重の数え上げを誤謬とす

    倉田剛「社会存在論の「統一理論」について」「いかにして社会種の実在性は擁護されうるのか」 - logical cypher scape2
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2022/03/14
    “「Aという信念を持っていたからBという行動が起きた」という素朴心理学的な説明を、因果的説明としてよいとする(実際、社会科学者の実践はこれ)。”
  • 中国の若者に広がる「寝そべり族」  向上心がなく消費もしない寝そべっているだけ主義 | 急激な台頭に政府もピリピリ?

    寝そべるという意味の「躺平」がいま中国で最新の流行語になっている。だらっと寝そべって、何も求めない。マンションも車も買わず、結婚もせず、消費もしない。 最低限の生存レベルを維持し、他人の金儲けの道具や搾取される奴隷になることを拒絶する。それが「寝そべり」族。そのムーブメントが中国当局を不安にさせており、中国メディアが火消しに走っているという。 仕事を減らし、誰も愛さず、自分の為だけに生きる 中国の若者の間に「ねそべり主義」が流行していると台湾紙「自由時報」は伝える。彼らは結婚せず、子供も持たず、マンションも車も買わず、起業もしない。なるべく仕事の時間を減らし、最低限の生活をする。そして誰も愛さず自分の為だけに生きる。 あるネットユーザーが、「寝そべりは正義だ」という文章を発表し、寝そべりブームを起こした。作者はいまや「寝そべり学の先生」とされている。彼は文章で「2年も仕事をしていないが何も

    中国の若者に広がる「寝そべり族」  向上心がなく消費もしない寝そべっているだけ主義 | 急激な台頭に政府もピリピリ?
  • 常時接続で失われた孤独。あるいは「長い思考力」。哲学者・谷川嘉浩氏インタビュー。|Less is More.by info Mart Corporation

    世界が哲学に夢中だ。書店に行けば、ビジネス書にも自己啓発にも、「哲学」という文字が踊る。特に日では、90年代以降、いくつかの宗教的背景を帯びた事件をきっかけに、敬遠されていたように思える「哲学」。失われた20余年を経て、今、時代はなぜ哲学を求めているのだろう? 哲学だけでなく、宗教学、政治学、消費社会論、観光学、または教育学にも造詣が深い、哲学者・谷川嘉浩氏にインタビューした。 谷川嘉浩:博士(人間・環境学)。1990年生まれ、京都市在住の哲学者。専門は哲学だけでなく、観光学・教育学など多領域に渡る。京都市立芸術大学特任講師、京都大学大学院人間・環境学研究科人文学連携研究員、京都女子大学・近畿大学非常勤講師。著作に、戸田剛文編『今からはじめる哲学入門』京都大学出版会、『ユリイカ 総特集=梅原猛』青土社など。 哲学は、人類の問題解決に寄与してきた。ーそもそも、〈哲学〉とはどういう学問なの

    常時接続で失われた孤独。あるいは「長い思考力」。哲学者・谷川嘉浩氏インタビュー。|Less is More.by info Mart Corporation
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2020/07/15
    パターン認識と情報処理能力"おそらくそのふたつの要素が、今のビジネスに潜在的に求められているんじゃないか”
  • (書評)『哲学しててもいいですか? 文系学部不要論へのささやかな反論』 三谷尚澄〈著〉:朝日新聞デジタル

  • Cultivating Humanity

    * Martha C. Nussbaum, Cultivating Humanity: A classical defense of reform in liberal education (Harvard University Press, 1997) Multiculturalism and Classical Ideas of Liberal Education: A review essay on Martha C. Nussbaum's Cultivating Humanity: A classical defense of reform in liberal education (Harvard University Press, 1997) I. 大学批判と文化の多元性 それぞれの社会、それぞれの時代において、大学はさまざまな機能を果たすことが期待され、そして、その機能が十

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2015/06/21
    現代アメリカにおける教育の古典的理念と 文化の多元性 --マーサ・ヌスバウム著、Cultivating Humanity*を評す-- 伊勢俊彦(立命館大学文学部)
  • 人文学はなぜ必要なのか? - 伊勢田哲治 | ask.fm/tiseda

    ご質問ありがとうございます。最近また文系の学問が役に立つかどうか話が盛り上がっていますね。だいたい話題は出尽くしていると思うのに何度も盛り上がっては同じ意見を言い合って終わるというのは、それだけテーマ自体がいろいろな人の心の琴線に触れる部分があるのでしょうね。今回は文部科学省の通知という呼び水があったのも大きいでしょうが、しかし通知の文を読んで議論してらっしゃる方はどのくらいいるのでしょうね。 それはともかく、「人文学は必要か」「人文学はなぜ必要か」といった問いは、近似としてもおおざっぱすぎです。 まず、必要性が問われているものが「人文学そのもの」なのか「大学における人文学教育」なのか「大学における人文学研究」なのか「大学における人文学研究者の雇用」なのか、さらにその上に「日における」がつくのかつかないのか、あとは大学といっても国立大学に限定するのかしないのかも、議論の流れによっては影

    人文学はなぜ必要なのか? - 伊勢田哲治 | ask.fm/tiseda
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2015/06/17
    クリティカル・シンキングの実例
  • 正当性と正統性/大屋雄裕 - SYNODOS

    たとえば典型的な事例として、敗訴判決を受けて行政訴訟の原告側弁護団が「不当判決」という垂れ幕を掲げて出てくるような場面を想像してほしい。もちろん彼らは当該判決に不服であり、それが「正しくない」ものだと思っているのだが、しかしなおそこで否定されている「正しさ」と否定されていない「正しさ」の差異を、われわれは考えることができる。 前者は、この事例において納得のいく結論を与えているかどうかという問題である。仮に彼らの満足行くような判決が出されていたとしたら、「正当な判断だった」とうなずくことになるだろう。このように、特定の判断が「正しい」か「正しくない」かを問題にするのが「正当性」(justness)である(なお、《正当であると証明できること》=「正当化可能性」justifiability、あるいはその証明=「正当化」justificationは、当に最終的に区別できるのかは別として、さしあた

    正当性と正統性/大屋雄裕 - SYNODOS
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2015/02/25
    "特定の判断が「正しい」か「正しくない」かを問題にするのが「正当性」""具体的な決定が「正しい」権限に由来しているのか、「正しい」手続きによって形成されたかといった点を問題にするのが「正統性」(legitimacy)"
  • How Martin Luther King, Jr. Used Nietzsche, Hegel & Kant to Overturn Segregation in America

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2015/02/12
    キングはヘーゲルを批判的に継承してる;そのヘーゲルもハイチ革命からヒントを得ている。黒人による革命の隔世遺伝的ななにか
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