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論理と哲学に関するja_bra_af_cuのブックマーク (4)

  • トートロジーは「無意味」 - 論理学FAQのブログ

    2019年5月7日のコメントペーパーより。レジュメは古典命題論理。 コメント (1):トートロジー、たとえば「 ならば である」ということに意味はありますか? コメント (2):課題を解いているぶんには、答えありきというか、言われてみれば当たり前なことをなぞっているような感覚がありました。「推論」という単語に感じられるような生産性というか、新しいものが出てくるような感じは、論理学を学んでいけば、この先出会えるのでしょうか。 回答:別々の方からいただいたものですが、同趣旨の質問、コメントだったので並べました。ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』に次のような一節があります*1。 4.461 …トートロジーと矛盾は無意味である。…… (たとえば、いま雨が降っているか降っていないかどちらかだということを知っているとしても、それで私が天気について何ごとかを知っていることにはならない。) トートロジ

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  • 『意味を哲学する』:第二回「意味を題材に哲学をしてみる」 - 三木那由他 - 資料公開 - researchmap

    2015年度京都大学哲学基礎文化学系ゼミナールにおける講義資料. 必要十分条件の提示と反例構築による批判的検討という分析哲学の基手法を解説し,その具体例として話し手の意味の分析を紹介している.

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    ja_bra_af_cu 2018/02/05
    必要十分条件を求めることによる分析
  • 第7回 相手を言い負かすための議論術|はじめての哲学的思考|webちくま

    前回、「あっちが正しいか、こっちが正しいか」という二項対立的な問いは、「問い方のマジック」であるというお話をした。「あちらか、こちらか」と問われると、人は思わず、どちらかが正しいのではないかという“マジック”にひっかかってしまうのだ。 でも、とりわけ意味や価値について、あちらとこちら、どちらかが絶対に正しいなんてことはない。だから僕たちは、「あちらか、こちらか」じゃなく、「あちらも、こちらも」、どちらもできるだけ納得できる、もっと建設的な“第3のアイデア”を考え合う必要がある。そして繰り返し言ってきたように、哲学は、そのような深い“共通了解”を見出し合うための思考法を、2500年の長きにわたって磨きつづけてきたのだ。 相手を言い負かすための技 さて、でも僕たちは、あまりにしばしば、“共通了解”を見出すのではなく、相手を言い負かすための議論をしてしまう。 実を言うと、哲学はこれまで、この「

    第7回 相手を言い負かすための議論術|はじめての哲学的思考|webちくま
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    ja_bra_af_cu 2016/07/01
    帰謬法について
  • 『ロジ・コミックス ラッセルとめぐる論理哲学入門』内容と形式の間に描かれたメタな物語に驚愕 - HONZ

    作者:アポストロス ドクシアディス、クリストス パパディミトリウ 出版社:筑摩書房 発売日:2015-07-23 二つの大きな世界大戦に見舞われた20世紀前半は、激動の時代であった。その時代の激しさと呼応するように、学問の分野においても天才たちは離散と集合を繰り返し、次々とエポックメイキングな出来事が起きている。 物理学においてはアインシュタインとボーアの論争を中心に量子力学の時代が幕を開け、経済学においてはシュンペーターやケインズ、ハイエクらが新しい概念を打ち出し変革の時を迎えていた。その双方の分野に共通するのが、天才たちが直に触れ合い、時には対立しながらも交流することによって、世界の捉え方を大きく前進させたことである。 同じような動きは、数学の分野においても見られた。しかし物理学や経済学と大きく異なっていたのは、この分野の天才たちが常に狂気と隣り合わせにあったこと、そして哲学の分野に含

    『ロジ・コミックス ラッセルとめぐる論理哲学入門』内容と形式の間に描かれたメタな物語に驚愕 - HONZ
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