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critiqueと科学に関するja_bra_af_cuのブックマーク (12)

  • アレックス・ローゼンバーグ『科学哲学』 - logical cypher scape2

    科学哲学はやはり面白いなあ 科学哲学の面白さは、問題意識が哲学の中では比較的分かりやすい点にあるのではないか。 分析哲学の入門書を読むと、普通は、フレーゲの明けの明星と宵の明星がどうの、という話から始まる。あれは面白いけれど、最初に突然読まされたら、何でそんな話してんのってなると思う。 形而上学や美学については、改めて言うまでもない。 その点、倫理学は分かりやすいかもしれないが、個人的には(哲学の他の分野と比較すると)あまり興味関心が湧かない分野である。とはいえ、倫理学が興味の中心にある人というのは(学生とかだと特に)多いのかなあという感じはする。 閑話休題 科学哲学の中で、分かりやすい問題関心というと、科学と疑似科学の線引き問題だろうか。 このテーマを中心においた科学哲学入門というと、伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』がある。 このは、また違うテーマを中心に置いている。 科学を経験主義

    アレックス・ローゼンバーグ『科学哲学』 - logical cypher scape2
  • 科学哲学の入門書

    そちらのコメントにも書いたが、生物学、物理学などの哲学は別として、一般的な科学哲学の概説書を読んでいくならオカーシャ『科学哲学』→戸田山『冒険』→森田『理系人』→伊勢田『疑似科学』→内井『入門』の順でいくとなだらかに難易度があがるはず。

    科学哲学の入門書
  • キャロル・キサク・ヨーン『自然を名づける』 - logical cypher scape2

    生物学の分類学の歴史をまとめた読み物的なであり、また科学的世界観と日常的世界観の齟齬について問題提起するでもある。 筆者は、分類学の背後に「環世界センス」を見て取り、これが科学的世界観と日常的世界観の対立を引き起こしていると考える。「環世界センス」とは、人間が生来持っている生物の特徴を見て取り、それを分類しようとする性向・能力のことをさして、筆者が使っている。訳者である三中信宏の言葉を使えば「分類思考」とか「心理的質主義」とかになるのではないだろうか*1。ちなみに、訳者によれば、筆者は単に「Umwelt」としているところを「環世界センス」と訳したらしい*2。 筆者は、生物学の学位をもっている科学ジャーナリストで、夫も生物学者である。なので、科学的な分類がもっとも正しいと考えていた。しかし、書の執筆を通じて、そのことへ疑念を抱くようになっていった。 分類学史って全然よく知らなかったの

    キャロル・キサク・ヨーン『自然を名づける』 - logical cypher scape2
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/01/26
    「環世界センス」って面白いな。これとか「心理的本質主義」とかをジャンル・分類論で使ってみたい(けど大変
  • ラリー・ラウダン『科学と価値』 - logical cypher scape

    語版のサブタイトルに「相対主義と実在論を論駁する」とある通り、科学哲学における二つの極端な(?)考えを批判していく中で、ラウダン*1の網状モデルという科学哲学が展開されている(解説で戸田山さんが述べているが、「網状モデル」というより「三項ネットワーク」というネーミングの方が確かに適切だと思う)。 ここで相対主義と言われているのは、主にクーン以降の科学哲学・科学社会学の流れであり、ラウダンの主張は、クーンを継承しつつもその相対主義的な側面に対して批判を加えたものとなっている*2。 全部で五章から成るが、第一章と第二章でこれまでの科学哲学の流れを概観した上で、第三章と第四章で相対主義を批判しながら網状モデルを展開し、第五章で実在論批判を行っている。 こので主に説明が試みられていることは、科学者の見解がこれまで何度となく不一致と一致を繰り返してきたことについてである。 論理実証主義やポパー

    ラリー・ラウダン『科学と価値』 - logical cypher scape
  • 『自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか』 分類学の進化 - HONZ

    世界は名前であふれている。 街ゆく若者が凝視する手のひらサイズの四角い機械には「スマートフォン」、鋭い目つきでゴミをあさる黒い鳥には「カラス」、体毛がほとんどなく出歯のネズミには見たままの「ハダカデバネズミ」という名前がある。これらの名前はもちろん、自然に授けられたものではなく、ヒトによってつけられたものである。名前のないものを見つけることが難しいほどに、ヒトはあらゆるものを分類し、命名してきた。世界を分類し命名することは、ヒトのDNAに組み込まれた能なのかもしれない。 それではヒトは、この分類し命名する能を抱えて、どのように世界と対峙してきたのか。人類の誕生以来能に任せて行っていた分類と命名が、学問へと昇華したのは18世紀。古典物理学がアイザック・ニュートンの『プリンキピア』から始まったように、生物の分類学はカール・リンネの『自然の体系』から始まった。書はリンネがどのように生物界

    『自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか』 分類学の進化 - HONZ
  • プロのピアニストと普通に上手い人はどのくらい違うのか | 100% Pure NEET

    ジャンプ系の漫画を見ていると戦闘力が青天井に伸びていってインフレだと思うけど、音楽家を見ているとドラゴンボールの世界を垣間見ることができる。趣味でピアノをやっていると、偶にこいつは天才じゃないかって奴がいる。でもそういう人も音大とかで真面目にやっている人と比べると下手だったりする。その音大生もコンクールとかに出れば上には上がいて、大抵の人はプロとしてはやっていけないものである。その人外(失礼)とも思える技術を持っているプロでも上から下までピンキリであり、この世界はいったいどうなっているんだと常々驚嘆するのである。 Youtubeによくピアノの動画を載せている人がいる。 この人はかなり上手いなあと思って見ている。他にもピアニート公爵とか有名な人はたくさんいる。なお、ピアニート公爵が某有名高校出身であることがわかって内輪で少し盛り上がった。 しかしその上手い人も プロと比べると比べるともたつい

    プロのピアニストと普通に上手い人はどのくらい違うのか | 100% Pure NEET
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2012/08/11
    上手さの価値観を操作的に決めておけば、その尺度においては定量化できるかもしれない?
  • [科学に佇む心と身体] - FC2 BLOG パスワード認証

  • 文献学からはじまった → 研究する大学と専門分化した科学の起源

    (あらすじ) 大学で学問研究をするという今では当たり前のことは、19世紀初頭ドイツに端を発する。 これは研究と教育とを結び付けて行う新しいタイプの大学(研究大学)によるものである。 研究大学は、ゼミナール方式を採用し成功させることで、研究と教育とを結び付けるという理念を実現した。 ゼミナール方式は、大学では、まず古典文献学の分野で採用された。古典文献学ゼミナールは、ドイツの中等教育(ギムナジウム)で生まれた古典教師の需要に応えた。これにより学問研究を職業とすることが可能となり、実利的でない学問の純粋化が可能になった。 ゼミナールでは、参加者は知識を伝授されるのでなく、自分で研究を行いゼミナールで発表し、他の参加者から批判的吟味を受け、討論することが求められた。 このためゼミナールは研究者を育成するのに優れ、また批判的吟味の習慣から議論の厳密化や研究の実証性が追求される傾向が生まれた。 古典

    文献学からはじまった → 研究する大学と専門分化した科学の起源
  • バイオリン名器の音色、現代モノと大差なし? : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    【ワシントン=山田哲朗】何億円もすることで有名なバイオリンの名器「ストラディバリウス」や「グァルネリ」は、現代のバイオリンと大差ないとする意外な実験結果を仏パリ大学の研究者らが3日、米科学アカデミー紀要で発表した。 研究チームは、2010年、米インディアナ州で開かれた国際コンテストに集まった21人のバイオリニストに協力してもらい、楽器がよく見えないよう眼鏡をしたうえで、18世紀に作られたストラディバリウスや、現代の最高級バイオリンなど計6丁を演奏してもらった。どれが一番いい音か尋ねたところ、安い現代のバイオリンの方が評価が高く、ストラディバリウスなどはむしろ評価が低かった。 これまで、木材、塗料、製造法などの分析でストラディバリウスなどが優れている特段の理由は解明されていない。研究チームは「今後は、ストラディバリウスの秘密を探るより、演奏者が楽器をどう評価しているかの研究に集中した方が得策

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2012/01/05
    いい音の価値観がかわってるとか?
  • 団体行動のすすめ - 内田樹の研究室

    「多田塾甲南合気会上半期結婚披露宴3次会」というものが開催される。 春先から 7 月にかけて高取くん金子さん、くうさん、ヤベッチと3組の結婚式が続いたので、個別的に祝賀会をやっていると幹事が疲れちゃうということで、「まとめてやる」という手荒な英断を私が下したのである。 その後、去年の夏の亀ちゃんの祝賀会も会ではやってなかったよね・・・ということを思い出して、現在妊娠6ヶ月の亀ちゃんご夫(いまは小林さん)も加えてまとめて4組の合同祝賀会というものを開催したのである。 集まった同門の諸君、その数 60。 仕切りはいつものように、谷口さん、谷尾さん、清恵さんの「事務方の大人の人たち」。あと東沢くんとおいちゃんがお手伝いをしてくれました。 会場は国分さんのご紹介(シャンペンの差し入れも〜)。 みなさん、どうもありがとう。 こういう団体行動をてきぱきとこなす、というのは実はたいへん武道的なことなの

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2011/08/14
    模倣、ミラーニューロン
  • 驚くことばかり - 内田樹の研究室

    岸和田だんじりエディターと神戸麻雀ガールのご結婚奉祝麻雀大会が開催された。 甲南麻雀連盟は発足以来15ヶ月の間に会員間で二組のカップルを送り出したことになる。 これは驚異的なマッチメイキング確率といわねばならぬ。 麻雀が人間のエロス的アクティヴィティを高めるという説に私は与しない。 むしろ麻雀の打牌の一手一手を通じてその人となりがはしなくも露呈するという事実が与って大きいのであろう。 とりわけ、負け方のうちにその人の人間的度量はあらわに示される。 先般申し上げたように、麻雀とは「自由と宿命」のゲームである。 自摸は宿命であり、打牌は自由である。 そして、麻雀において宿命は確率的にはほとんどつねに私たちを「敗者」への道へと誘う。 雀神さまが打ち手に微笑む確率は2割5分。 つまり、麻雀をしているかぎり、確率的に人生の4分の3は敗者として過ごさねばならないのである。 昨年の最高勝率の私でさえ3割

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2011/08/14
    模倣、ミラーニューロン
  • ついにロレンス・トーブさんに会う - 内田樹の研究室

    また東京出張。 多田塾研修会にプラス仕事が三つ。 研修会で多田先生と呼吸合わせをしているうちに「ミラーニューロン」が活性化してくる。 この訓練法が脳科学的に意味することが何となくわかってくる。 他者の体感との同調と、私自身の他者化である。 「他者の体感との同調」というのはご理解いただけるであろうが、「私自身の他者化」というのは聞き慣れない言葉である。 それをご説明しよう。 鏡像段階というのはラカンの有名な理説である。 人間の子どもはある時期鏡につよい関心を持つ。 もちろん子どもには鏡像という概念がないから、そこに映っているものが何であるかわからない。 けれども鏡の前で手足を動かしているうちに、自分の手足と鏡像がシンクロしていることに気づく。 どうして「シンクロしている」ことがわかるのか。 これはミラーニューロンの働きで説明ができる。 つまり、「何か」が動くのを見ていると、見ている人間の脳の

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2011/06/09
    模倣論。ミラーニューロンとラカンの鏡像段階。http://twilog.org/ja_bra_af_cu/date-101121/asc 20:33:15~
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