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nationalismとJ-Popに関するja_bra_af_cuのブックマーク (2)

  • ゆずと椎名林檎に学ぶべき「愛国ソング」の作法(増田 聡) @gendai_biz

    愛国ソングの誕生を振り返った前編に続き、「反リベラル」の動きが盛んとなって以降のポップミュージックの流れをたどる。桜ソングの流行、そしてW杯からの影響……こうして愛国ソングの30年を跡付けた先には、「排外主義なき愛国」をいかに実現するかという課題が見えてくる。 「反リベラル」なヤンキーポップ 90年代の歴史教科書論争、小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言SPECIAL・戦争論』(1998)のヒットにより準備されてきたサブカルチャー領域の右傾化動向は、2002年の日韓ワールドカップをきっかけに顕著になる。 この時期のサブカルチャーの右傾化動向については、倉橋耕平『歴史修正主義とサブカルチャー』が詳細に分析しているが、90年代から2000年代にかけての「右傾化」は、素朴な愛国心の発露というよりも、朝日新聞や岩波書店に象徴される「戦後リベラル」に対するサブカルチャー的な反抗であると考える方が理解し

    ゆずと椎名林檎に学ぶべき「愛国ソング」の作法(増田 聡) @gendai_biz
  • 『ニッポンの音楽』が描く“Jポップ葬送の「物語」”とは? 栗原裕一郎が佐々木敦新刊を読む

    「史観」という言葉がある。「唯物史観」であるとか「自虐史観」であるとか、音楽の場合だと「はっぴいえんど史観」であるとか、歴史に対するときに採られる見方や立場、価値判断のことだ。これが極端に偏ると、捏造に基づく偽史や、悪い意味での歴史修正主義に陥ったりするわけだが、無数にある史実のどれを選び、どう評価するかということだけでも、史観は自動的に生じてきてしまうものではある。学校の歴史教科書にも史観はあるし、たとえば、あらん限りの資料を渉猟し、できうる限りそれらをそのまま提示して、1968年という「政治の季節」を実証的に丸ごと描き出そうとした小熊英二の『1968』にだって史観は存在している。 結局、人それぞれに史観はあり、史観の数だけ歴史はあるわけで、主観と客観は史観の強弱のグラデーションでしかないということもできるだろう。 歴史を描こうとする者は、このグラデーションの幅のどこかに自分を置くことに

    『ニッポンの音楽』が描く“Jポップ葬送の「物語」”とは? 栗原裕一郎が佐々木敦新刊を読む
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