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障害と心理に関するkusukusunokiのブックマーク (14)

  • ジャズの巨匠K・ジャレット氏、脳卒中で復帰ほぼ不可能に

    音楽祭「ジャズ・ジュアン」で演奏するキース・ジャレット氏(2003年7月18日撮影、資料写真)。(c)JACQUES MUNCH / AFP 【10月22日 AFP】ジャズ・クラシック界を代表する世界的なピアニスト、キース・ジャレット(Keith Jarrett)氏(75)は21日、2度の脳卒中により体の一部がまひしており、公演活動に復帰できる可能性は低いことを明らかにした。ジャレット氏の容体公表を受け、音楽界には衝撃が広がっている。 ジャレット氏は米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)に対し、2018年に2度脳卒中を発症し、まひ状態となったと説明。「左半身の一部はまだまひしている」「つえを使って歩くことはできるが、ここまでくるのに長い時間、1年かそれ以上かかった」と語った。 現在は片手でしか演奏できず、「両手演奏のピアノ曲を聴くと、非常にもどかしく感じる」という。「

    ジャズの巨匠K・ジャレット氏、脳卒中で復帰ほぼ不可能に
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/10/22
    18年に2度脳卒中、つえを使って歩くことはできるようになったが「シューベルトや、何かソフトな演奏を聴いたりするだけでも、うんざりする。自分ではできないとわかっているから。そこまで回復する見込みもない」
  • 戦争でPTSDに…日本兵の苦しみ 「ふぬけ」と軽蔑した家族の後悔(西日本新聞) - Yahoo!ニュース

    戦争体験のトラウマ(心的外傷)の悲惨さはベトナム戦争から帰還した米兵の事例で注目されたが、日中戦争や太平洋戦争に従軍した日兵もまた、同様に苦しめられていた。精神障害の発症者は戦時中、千葉県の国府台陸軍病院を中心に収容され、戦後も偏見からほとんど顧みられることはなかった。戦後75年がたち、トラウマを抱えた元軍人らの家族が体験を語り合う活動も出ており、忘れられた戦争被害に光が当たりつつある。 【写真】自宅敷地内の交流館で「駄目人間とレッテルを貼り、俺は父の姿を見誤ったのではないか」と話す黒井秋夫さん ≪隣デ私ヲ殺ソウト相談シテイル声ガ聞コエマス。衛生兵ニ殺サレルヨリムシロ自決シマス≫ 九十九里浜に近い同県東金市の浅井病院に、精神障害を発症した日兵約8千人分の「病床日誌」が残る。戦闘の恐怖や部下を死なせた自責の念から追い詰められ、心が壊れていく様子が記されている。 初代院長の故浅井利勇氏は戦

    戦争でPTSDに…日本兵の苦しみ 「ふぬけ」と軽蔑した家族の後悔(西日本新聞) - Yahoo!ニュース
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/10/11
    精神障害の発症者は戦時中、国府台陸軍病院を中心に収容、入院した日本兵は1万453人。職員が隠し処分を免れた8千人分の病床日誌。傷痍軍人として保護を受けることをためらい公費で治療を受けた人は最多1978年度で1107人
  • 相模原殺傷公判:やまゆり園で「長期にわたる虐待の疑い」 神奈川県検証委が中間報告 | 毎日新聞

    入所者19人が殺害される事件が起きた相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」について、入所者への支援の実態を調査する神奈川県の検証委員会の中間報告が18日、公表された。要件を満たさないままの身体拘束や、長時間の居室施錠などの実態を挙げ、長期にわたる「虐待」の疑いを指摘した。事件を起こした植松聖死刑囚(30)への判決では、職員による入所者への不適切なふるまいなどが「重度障害者は不要な存在」と考えることにつながったと認定しており、園の支援のあり方が改めて注目される。【上東麻子/統合デジタル取材センター】 判決でも「職員の利用者への暴力」指摘 津久井やまゆり園は神奈川県立の施設で、社会福祉法人かながわ共同会が指定管理を受けて運営している。事件当時の入所者は約150人。昨年11月以降、津久井やまゆり園で入所者に対して、不適切な支援が行われていたとの情報が県に寄せられたことから、県が園に対してモニタ

    相模原殺傷公判:やまゆり園で「長期にわたる虐待の疑い」 神奈川県検証委が中間報告 | 毎日新聞
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/05/27
    18日公表。要件を満たさない身体拘束等、長期にわたる「虐待」の疑いを指摘。植松聖死刑囚への判決では、職員による入所者への不適切なふるまいなどが「重度障害者は不要な存在」と考えることにつながったと認定
  • アビガンを妄信する人が知らない不都合な真実

    新型コロナウイルスの「特効薬になるのではないか」として、抗ウイルス薬「アビガン」への期待が高まってきた。だが、副作用などへの懸念もあり、当に大丈夫かとの声も消えない。これに関連し、薬害を監視する民間団体「薬害オンブズパースン会議」は意見書を公表し、注意を促している。どこに問題があるのか。懸念は払拭できるのか。同会議メンバーの隈邦彦・江戸川大学教授(科学コミュニケーション・元NHK記者)に聞いた。 実態としては「承認されないはずの薬」 題に入る前に「アビガン」(一般名:ファビピラビル)をめぐる流れを整理しておこう。 この薬は、富山化学工業(現・富士フイルム富山化学)が開発し、2014年に新型インフルエンザ用として承認された。2017年には国として200万人分を備蓄することが決まっている。 コロナウイルスの感染拡大後は、この4月に成立した2019年度補正予算にアビガンの備蓄追加が盛り込ま

    アビガンを妄信する人が知らない不都合な真実
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/05/26
    催奇形性について詳細な説明(90日間の避妊指示)も、臨床試験参加者762人中7人が90日以内に妊娠。パンデミック時に妊娠確認とリスク説明する困難さ。子供はどうでもいいから自分の命を助けろと言われたときの倫理的問題
  • WEB特集 “さとくん”が19人を殺害するまで | NHKニュース

    「陽気で明るかった」「教師を目指していた」 昔の同級生や幼なじみに、ふと思いをはせることは誰にでもあると思います。『さとくん』もそんな風に友達に思い出される“普通の若者”でした。そんな彼が、どうして19人を殺害した『植松聖被告』になったのか。法廷で明らかにされた友人たちのことばから、その半生を追っていきます。(障害者殺傷事件取材班) 今から30年前の平成2年1月20日、小学校の教師の父親と、母親のもとに1人の男の子が生まれました。「聖」と書いて「さとし」と名付けられました。 その子はのちに事件の現場となる相模原市緑区の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の近くで育ち、幼稚園から中学校まで地元で通いました。 3年半前、19人が殺害され、26人が重軽傷を負った事件の裁判。証人尋問が行われた5回目の審理と、弁護士が同級生や元交際相手などの調書を読み上げた6回目と7回目の審理では、植松被告が事件を起

    WEB特集 “さとくん”が19人を殺害するまで | NHKニュース
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/01/25
    「職員が死んだ魚の目をして希望なく働いている」が「障害者はかわいい」「天職」と話していたが、施設で働き始めて2年「障害者はかわいそう。食べているごはんもひどくて人間として扱われていない」になり大麻常用
  • 「抑えられなかった…もう育てられない」発達障害の小6長男暴行―子供3人抱える47歳シングルマザー逮捕(北海道ニュースUHB) - Yahoo!ニュース

    小学校6年生の長男の腹を蹴ったとして北海道平取町の介護士の女(47)が、暴行の疑いで逮捕されました。女は長男含め子供3人を抱えるシングルマザーで、長男は発達障害でした。 警察によりますと、女は小学生の長男や長女、次女の計3人の子がいて、2020年1月12日午後8時40分ごろ、自宅で小学校6年生の長男の下腹部を2回蹴った疑いが持たれています。 女はこの日の日中、長男に洗濯物を干すよう頼み出かけましたが、長男はやり終えず洗濯物をベッドの下に隠しました。女が帰宅後、洗濯物を見つけ、さらに、ベッドの下にカビが生えたり、腐ったべ物が出てきたということです。 べ物は、女が仕事をしている間に、子供たちがべるために用意した事の一部で、長男が好き嫌いをして残したものとみられます。 長男にケガはなく、長女と次女にもケガはありません。 警察によりますと、長男は対人コミュニケーションの障害から生きづらさを

    「抑えられなかった…もう育てられない」発達障害の小6長男暴行―子供3人抱える47歳シングルマザー逮捕(北海道ニュースUHB) - Yahoo!ニュース
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/01/15
    北海道平取町(人口4,997人、札幌からも帯広からも車で約2時間)の介護士。長男に洗濯物を干すよう頼み出かけたが帰宅後腐った食べ物とベッドの下に。食べ物は仕事の間子供が食べるために用意した食事。長男は頻繁に家出
  • ボン・ジョヴィを公園で大声で歌う男性 曲が進むにつれ一緒に歌う人が増え、サビでは大合唱が起きる - amass

    ボン・ジョヴィ(Bon Jovi)の「Livin' on a Prayer」を公園で大声で歌う男性。最初は男性一人だけでしたが、曲が進むにつれ、少しずつ一緒に歌う人が増え、サビでは大合唱が起きます。この様子を撮影した映像が話題に。ボン・ジョヴィもツイッターで“素晴らしい”と紹介しています

    ボン・ジョヴィを公園で大声で歌う男性 曲が進むにつれ一緒に歌う人が増え、サビでは大合唱が起きる - amass
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    kusukusunoki 2020/01/12
    公共空間で大声を上げる迷惑な男性、と排除せず一緒に歌うことで楽しい出来事に変容させ男性を孤立させない。優しいツッコミでボケの意味を変えてしまう。演劇の舞台を移しただけのものとは違うフラッシュモブ。
  • 相模原事件初公判にあたり | 木村英子 参議院議員(れいわ新選組)オフィシャルサイト

    令和2年1月8日 参議院議員 木村英子 このような残虐な事件がいつか起こると私は思っていました。なぜなら、私の家族は障がいをもった私をどうやって育てたらいいかわからず、施設にあずけ、幼い私は社会とは切り離された世界の中で虐待が横行する日常を余儀なくされていたからです。 小学生の頃にいた施設では、トイレや事など時間で決められており、機嫌が悪そうな職員にはトイレに連れて行って欲しいと言えず、機嫌の良い職員が通りかかるのを、我慢しながらじっと待ったりすることが何度もありました。また、消灯時間が来ても、私だけベッドに上げてもらえず、暗闇の中、冷たい床にうずくまって寝ることもありました。夜中に、トイレが我慢できず、職員を呼ぶと怒られることが怖くて、一人で廊下をはってトイレまで行こうとしましたが、結局間に合わず、おもらしをしてしまい、職員に折檻された上、「お仕置き」として狭い場所に閉じ込められたこと

    相模原事件初公判にあたり | 木村英子 参議院議員(れいわ新選組)オフィシャルサイト
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    kusukusunoki 2020/01/09
    "私の家族は障がいをもった私をどうやって育てたらいいかわからず、施設にあずけ、幼い私は社会とは切り離された世界の中で虐待が横行する日常を余儀なくされていた"。職員の機嫌でトイレも行けず漏らして折檻。
  • 「彼だから起こしたとは思っていない」 れいわ木村参院議員が語る相模原殺傷事件 | 毎日新聞

    相模原殺傷事件について語るれいわ新選組の木村英子参院議員=東京都千代田区の参院議員会館で2020年1月6日、藤井太郎撮影 「彼だから事件を起こしたとは思っていない」――。2016年、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で障害者19人が殺害され26人が負傷した事件について、重度の身体障害がある木村英子参院議員(54)=れいわ新選組=はそう語る。木村氏自身も19歳までの大半を施設で過ごし、職員から虐待やいじめを受けてきたという。8日に始まる植松聖被告の裁判員裁判を前に何を思うのか。入所施設がはらむ課題と障害者差別について聞いた。【聞き手・塩田彩/統合デジタル取材センター】 「私だったかもしれない」 ――相模原事件の発生を何で知りましたか。 ◆テレビのニュースで知りました。「ああ、起こってしまった」というのが最初の印象でした。ニュースを見て、自分が施設にいた時の光景や、虐待を受けた時の記憶が

    「彼だから起こしたとは思っていない」 れいわ木村参院議員が語る相模原殺傷事件 | 毎日新聞
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2020/01/08
    "決まった時間にご飯が来て、週2回くらいお風呂に入って、それ以外は入所者はほとんどベッドの上か狭いデイルーム~そんな生活を何十年"。流れ作業の職員。"希望が見えなくなる閉ざされた世界があるんです。本当に。"
  • [無いものの存在]_01: 右足を切断しました|青木彬

    既にお知らせをした方もいらっしゃいますが、実は右足を切断する手術をしました。 青木はなんか足が悪いらしいくらいの認識のかたがほとんどで、中にはそんなことも知らない人もいると思いますが、右足には人工関節が入っており、障害者手帳も発行される身体障害者です。 元々、12歳の誕生日に骨肉腫が見つかり約1年間の抗がん剤治療後、右足を人工関節にする手術をしていました。その後は数度の手術をしつつも再発はなく順調に生活していました。 2019年9月に夜道でつまずいたことで人工関節を入れた右足が激しく痛み、ちょっとヤバイと思い近所の病院に駆け込んで紹介状を書いてもらい、約7年ぶりに大学病院に行きました。 12歳の頃から仲の良かった医師に診察してもらったところ、つまずいたことは問題なかったのですが、数年前から感染症が進行しており、その影響で脆くなっていた大腿骨に人工関節が埋没し始めていて良い状態ではないとのこ

    [無いものの存在]_01: 右足を切断しました|青木彬
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2019/12/15
    12歳で骨肉腫から人工関節。"昔から切断自体にはまったく躊躇はありません~車椅子バスケをしていたから下肢切断の人は多く見ていたし、人工関節で運動するのは怪我のリスクなどがあるので切断のほうがのびのびできる"
  • 「自分の『普通』嗤われるの嫌」命絶った20歳の女性 届かなかった支援、母の苦悩 | 西日本新聞me

    拡大 女性が残した遺書。生前、周囲から「普通じゃない」「変わってる」「常識外れ」などと言われ続けたといい、「笑顔で受け流すことに疲れた」と漏らしていたという(写真の一部を加工しています) 拡大 1月に自ら命を絶った女性が残した絵やスケッチブックを眺める母親。棚のや置物から絵は女性の部屋を描いたとみられ、外から押し寄せてくるカッターナイフ(苦痛)から女の子が逃げようとしているように見える=福岡市 ≪自分の中の「普通」がその社会の「普通」とズレていることを嗤(わら)われるのはもう嫌だった。突きつけられるのも嫌だった≫ 福岡市で1月、そんな遺書を残し、20歳の女性が命を絶った。対人関係の難しさや感覚過敏などを抱え、短大卒業を前に社会に出る不安を深めていたという。発達障害を疑っていた母親(49)は相談機関を頼ったが、支援にはつながらなかった。生きづらさを抱える人たちに、社会は向き合えているだろ

    「自分の『普通』嗤われるの嫌」命絶った20歳の女性 届かなかった支援、母の苦悩 | 西日本新聞me
    kusukusunoki
    kusukusunoki 2019/05/28
    専門医療機関「思春期は診断が難しい。20歳になったら来てください」20歳誕生日直後自宅で命を絶つ"自分の中の「普通」がその社会の「普通」とズレていることを嗤われるのはもう嫌だった。突きつけられるのも嫌だった"
  • WEB特集 “みんな大切な私の子どもたち” ボランティア27年間の旅路 | NHKニュース

    インドで、貧しい人たちや病気に苦しむ人たちのために生涯を尽くし、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ。 そのマザー・テレサが設立した施設で、27年間、無償で働き続けている日人女性がいます。彼女の名前は、渋谷りつ子さん(58)。オーストリアでピアノを学んでいた彼女が、すべてを捨てて、インドにとどまり続けるのはいったいなぜなのか。インド・コルカタで、その理由を聞きました。(国際放送局記者 白河真梨奈) インド・コルカタにある『死を待つ人の家』。 貧しく、路上で病気になっている人たちの最期をみとるために、1952年、マザーテレサが設立しました。 その後、障害者やハンセン病患者のための施設など、複数の施設が作られました。このうちの1つ、重い障害のある子どもたちが入所している「ダヤ・ダン・メディカルセンター」。 ここで27年間、ボランティアとして、無償で働き続けているのが、渋谷さんです。 毎年、

    WEB特集 “みんな大切な私の子どもたち” ボランティア27年間の旅路 | NHKニュース
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    kusukusunoki 2019/03/02
    7歳でピアノ留学の夢を持ち「お年玉やお小遣いはすべて留学資金に」し16歳で留学。28歳の帰国の途で寄った「死を待つ人の家」で衝撃、そのまま27年。マザーテレサに3度シスターに誘われたが宗教的な信念ではないと断る
  • https://www.artpedia.jp/2014/06/19/%E6%9C%88%E5%88%8A-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E4%BA%BA/

    https://www.artpedia.jp/2014/06/19/%E6%9C%88%E5%88%8A-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E4%BA%BA/
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    kusukusunoki 2018/08/20
    統合失調でひきこもり歴20年の息子さんの存在が、奥さんも亡くし孤独なつげ義春にとっては親孝行な存在だという。コメント欄に息子さんの小学生時代の友人があらわれている。
  • 【やまゆり2年】ダウン症の娘持つ社会学者、被告と面会し手紙(カナロコ by 神奈川新聞) - Yahoo!ニュース

    【やまゆり園事件取材班=石川泰大、川島秀宜】相模原市緑区の県立障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件から26日で2年。和光大学名誉教授(社会学)の最首悟さん(81)=横浜市旭区=が、植松聖被告(28)に手紙を書いた。重度の知的障害がある娘を持つ父親から、障害者への差別や偏見が根強く残る社会へ宛てたメッセージだ。 〈社会の現状に対する抗議でないとはいえません。世迷い言として無視するわけにはいきません。では、わたしはどうか。当のところ、わからないのです〉 7月中旬。早朝の薄暗い部屋にキーボードをたたく乾いた音が響く。パソコンの画面に次々と浮かび上がる文字。最首さんは手をつけずにいた手紙の返事にようやく取りかかった。 最首さんのもとに封書が届いたのは4月27日。丁寧に書かれた宛名。2枚の便箋の右下には、検閲済みの「〇」の判子(はんこ)が押されていた。封筒の裏側の差出人名

    【やまゆり2年】ダウン症の娘持つ社会学者、被告と面会し手紙(カナロコ by 神奈川新聞) - Yahoo!ニュース
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