十歳の時に弟とセットで発達障害診断されたまだギリアラサー女性の増田です。 昨今の発達障害系エッセイマンガ読んでるともやもやするので文章にする。 かれこれ二十年ほど前、弟がいかにもなアスペ(今はASDか)だったので、母が大きい病院に連れて行ったら、何となくついていった私も 「お姉ちゃんのほうもガチめのアスペっぽいんで検査してください」 みたいなこと言われて検査したらバリバリ文句なしのアスペだった。 しかも「この先普通に進学できると思わないでください」とか言われるレベルだった。 だったけど、私は幸いというべきか ・感覚過敏じゃなくて感覚鈍麻(過敏の方がフォーカスされがちだけど鈍麻も少なからずいる) ・とにかくぼーっとしてる方のアスペ(注意力散漫)だったので、多動がなかった ・私の世代が比較的穏やかかつオタク(陰キャ)多めだったのでいじめにあわず、コミュニケーションの問題があまり目立たなかった
こちらを書いたものです。 https://anond.hatelabo.jp/20210104114710 皆様の温かいコメント大変身に沁みます。ありがとうございます。 嘘松というコメントもありますが、実際に起こった出来事です。以下コメントへの返信です。 アカジシアは薬の副作用で起こるのではないでしょうか?妻は統合失調症になった際に明らかに落ち着きがないように見えましたので、これをアカジシアと呼んでしまいました。通常アカジシアとは薬の副作用で起こるものなのですね。私の理解不足でした。申し訳ありません。病院の待合室で普段は行わない貧乏ゆすりとか立ち座りとか落ち着きないような動作があったのは事実です。 なぜ入院させないのか?妻は外国籍であり日本語が不自由なため、入院させるのは難しいと判断したからです。医師からも英語対応の病院はあまりないとの回答で、妻に合う病院を探す時間もないことから自分で見る
先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。 発症から入院までおよそ四半世紀程かかった。 ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。 そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族の同意により強制的な入院を行った。 「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、 自分の気持ちを整理する意味でもこれまでの経緯を書く。 母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。 興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。 日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、 一時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶があ
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