『文學界』で鴻巣、安藤礼二、江南が10点ずつ選んでいたが割と不満だったので自分の選んだのをあげておく。 車谷長吉「忌中」 勝目梓「小説家」 西村賢太「小銭をかぞえる」 大江健三郎「水死」 三木卓「k」 柳美里「JR上野駅公園口」 島本理生「夏の裁断」 今村夏子「あひる」 村田沙耶香「コンビニ人間」 宇佐見りん「推し、燃ゆ」 自分のはさすがに抜いた。
(時事通信配信) 大江健三郎氏が亡くなられた。かつて谷崎潤一郎が死んだ時、三島由紀夫は、「谷崎朝時代」が終わったと評したが、私には、その少し前から始まっていた「大江朝時代」が今終わったと言いたいところである。大江氏は、東大五月祭賞を受賞し、「東京大学新聞」に発表された「奇妙な仕事」を、文芸評論家の平野謙が文芸時評で取り上げることによって、一躍有望な新人としてデビューし、ほどなく「飼育」で芥川賞を受賞したが、私には「奇妙な仕事」こそが初期大江において最も斬新な作品だと感じられる。当時、東大仏文科に在学中で、卒業とともにいきなり多忙な人気作家生活に入った大江氏には、苦しい時期が断続的に襲ってきた。高校時代からの年長の親友だった伊丹十三の妹と結婚し、精神的な安定をみたのもつかの間、浅沼稲次郎暗殺を題材にした「政治少年死す」を発表して右翼の脅迫に遭い、さらに脳に障碍のある男児・光が生まれ、彼ととも
1967年7月12日、東京都江戸川区生 母は西村家三女。生家は祖父の代からの運送業。三つ上の姉がいた。 1977年4月2日 老人ホームで母方の祖母が死去 1978年9月 小学五年、父が強姦罪で七年の実刑、離婚した母と船橋に住む。 町田に転居。 1981年12月28日、横溝正史死去、ショックを受ける。 1982年 中学三年、二学期から不登校を始める。 1983年、中学卒業。素行不良。 鴬谷で一人暮らし。 1986年 板橋に住む。 1987年 伊勢佐木町に住む。 20歳 この年、姉が結婚か。 1988年5月 初めて田中英光全集を買う。 21歳 1991年「佳穂」と交際す。 24歳 1992年 姉が離婚か。暴力行為で現行犯逮捕される。 25歳 1993年秋 宇留野元一に手紙を書く。 26
福島 次郎(ふくしま じろう、1930年(昭和5年) - 2006年(平成18年)2月22日)は、熊本県出身の小説家。高校の国語教師。雑誌『詩と眞實』同人[1]。その同人誌に掲載した短編小説『バスタオル』(1996年)で第115回芥川賞候補になったほか[2]、三島由紀夫との同性愛関係を取り混ぜた自伝的な実名小説『三島由紀夫――剣と寒紅』(1998年)を刊行したことで一時ジャーナリズムを騒がせ、三島関連界隈で名を知られるようになった人物である[3][4]。 経歴・生涯[編集] 生い立ち[編集] 1930年(昭和5年)、私生児として熊本県熊本市に生まれた[5]。次郎の祖父は人力車夫、祖母は屋台で行商をし、その行商を手伝いながら貧乏に育った母は、20代になると庶民相手の青空賭博の元締めになり、下町の盛り場の姐御として派手な風体になった[5]。祖父も、近郷の農民相手の賭場を家の地下室で妾と共に開い
小谷野敦さんが「本の雑誌」2015年5月号に『芥川賞卒業宣言』を寄稿しました。『もてない男』(ちくま文庫、1999年)がヒットして批評家として一躍有名になり、のちに小説家として芥川賞に二度もノミネートされた(2011年「母子寮前」、2014年「ヌエのいた家」)、あの小谷野敦さんが、です。敦は「あつし」と読みます。「とん」と読ませていた時期もありますが、今はまた「あつし」です。 近年、批評家を兼ねた小説家として、これほど精力的に活動している書き手を私はほかに知りません。東浩紀さんが批評家でありながら三島由紀夫賞を受賞しているけれども、小谷野さんはもともと専門分野が比較文学。『久米正雄伝』『川端康成伝』『江藤淳と大江健三郎』(いずれも中央公論新社)といった、作家の評伝も続々と刊行している「文学研究のプロ」です。 ネット炎上も執筆活動の肥やし 「小谷野敦ってネットでよく揉めてる人?」程度の認識し
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喪失に向かう人と成熟を超える人 この世には、読んでどんなに愉快でもつまらない本と、どうにも不愉快だが実におもしろい本がある。読むべきなのは当然後者で、本書はその典型。 『江藤淳と大江健三郎――戦後日本の政治と文学』(小谷野敦 著 筑摩書房) 不愉快なのに、華がある。昭和の或る時期に文字どおり肩を組み、併走し、やがて対立していった大物2人の軌跡を交互に、詳細に描いて、おもしろ過ぎる。読みだしたらとまらない。 特に江藤の部分は、同じ著者の『現代文学論争』(筑摩選書)における役割以上に、陰影が濃い。つまり、著者の毒がよく効いている。 一方(本人に取材を敢行した)大江は健在の大作家で、長年小説を愛読した著者の嗜好もあって、江藤ほど容赦ない叙述ではない。評価すべき作品に絶賛も惜しまない。 とはいえ、駄作は駄作と言明する厳正さは見事で、その政治的立場に対しても手きびしい。酒癖の悪さ、或る種の女性観への
発見された谷崎潤一郎の創作ノートの写真。手前の写真の冒頭に「春琴抄手記」の文字が見える(2日、東京都中央区の中央公論新社で)=杉本昌大 作家の谷崎潤一郎(1886~1965年)が、代表作「細雪(ささめゆき)」「春琴抄」など円熟期の作品の構想を記した創作ノートが、写真の形で発見された。 中央公論新社が2日、発表した。戦災で焼失したと考えられていたが、同社が来月から刊行する谷崎全集の編集過程で確認。編集委員を務める千葉俊二・早大教授は「谷崎の創作過程に肉薄できる一級資料」と語る。 写真は計255枚あり、印画紙に白黒反転の状態で焼き付けられていた。内容から、1933年2月~38年半ばのものと推測される。42年2、3月頃の新聞に包まれていたとされ、谷崎が戦時中、ノートの焼失を恐れ、写真で残したとみられる。写されたノートの文面からは、「春琴抄」の設定を箇条書きのように記すなど、実作品につながるエピソ
■柔らかく結ぶ、日常とその果て もしかすると、河野多惠子の作品を好きになるだろうに、まだ読んだことのないひとは、あんがい多いかもしれない。大きく案内板の出ている明らかな場所ではなく、手がかりのない入りくんだこまかな道を辿(たど)ったすえに発見した思いがけずひろびろと開けた場所、そんなところに河野多惠子の小説はひっそりと置かれているような気がするからだ。三十代でのデビュー作、『幼児狩り』から、その静謐(せいひつ)な作風は確立されていた。作品中では、嗜虐(しぎゃく)性や少年に対する偏愛が描かれているが、「嗜虐性」「偏愛」という言葉から受ける仰々しいものは小説にはまったくない。たんたんと日常を描写するその隙間に、それらの見慣れぬと思われる光景はするりとさしこまれる。見慣れぬと「思われる」と、書いた。見慣れていないと、ふつうは思うのだ。けれど、河野多惠子の小説を読んでいるうちに、ほんとうに見慣れぬ
中央公論新社 四六判上製・函入り 各巻約600ページ 予価 6,800円(税別) 今年は、文豪・谷崎潤一郎の没後50年を来年は、生誕130年を迎えます。 このタイミングに合わせて、中央公論新社は、決定版「谷崎潤一郎全集」(全26巻)を5月10日から刊行開始します。さらに、それに先駆けて4月8日には、歴代の谷崎潤一郎賞受賞作家を集めて鼎談イベントを開催。登場するのは、阿部和重氏、川上未映子氏、奥泉光氏の3氏です。いずれも谷崎作品に造詣が深い面々とあって、谷崎作品の魅力に触れるチャンスとなっています(お問合わせ:サンライズプロモーション0570-00-3337)。 谷崎と言えば、昨年11月25日に、妻・松子と、妻の妹・重子らと交わした未公開書簡288通が発見されたことも注目を集めました。松子と重子姉妹は、谷崎の代表作の1つ『細雪』で描かれた、豪商の美人4姉妹のモデルと言われています。 谷崎
石原慎太郎については、このCINRAの連載(※右記関連リンク参照)で散々書かせていただいたので、私見を述べることは何とか最小限に留めたいが、そうは問屋が卸さないかもしれない(誤用気味)。この連載回を書き終えた後、編集長から「他の回と比べて、ただの文句みたいな箇所も結構あったよね」と指摘されたのを思い出す。石原慎太郎という存在は、あらゆるちゃぶ台を根こそぎひっくり返すモンスターと言いましょうか、ちょっとだけかけようと思ったら蓋がとれてパスタにタバスコが丸ごと1本分かかっちゃったと言いましょうか、とにかく常にそういうストレスフルなアイコンなのであります。 「これから一年間も慎太郎の小説を読み続けるのかと思うと……ホントにもう想像するだにうんざり。いったい何の罰ゲームだよ」(豊崎由美)と宣言して始まる本書は、二人の批評家が、「とはいえ実は石原慎太郎の作品群に触れてこなかった」「文壇で正確な評価を
「書いてないと幸せじゃない。苦行なのにね。自分を調教して、マゾヒストに改造してきたのかも。30年かけて」=工藤菜穂撮影 「書くのは苦行。でも、読者を喜ばせるのは快楽なの」――。 山田詠美さん(55)がデビュー30年を迎えた。女性作家の表現の地平を切り開き、「常に挑戦的でありたい」と語る人に、書き続ける原動力と物語の力について聞いた。 節目の年の記念作として先月刊行した『賢者の愛』(中央公論新社)は、年の離れた男女が織りなす異形の愛が鮮烈な印象を残す長編。自身にとり「特別な存在」と話す、谷崎潤一郎『痴人の愛』に挑んだ野心作でもある。「他人にすれば地獄でしかないものが、2人には天国かもしれない。運命に翻弄される人間関係の光と影を描きたかった」 編集者の真由子は、親友の百合が初恋の人を奪い、子を身ごもったと知り、生まれた男の子の名付け親になる。暗い復讐(ふくしゅう)心を胸に秘めて。 <私は私のや
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