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翻訳に関するlittleumbrellasのブックマーク (1)

  • 「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題/関口涼子 - SYNODOS

    「シャルリー・エブド」誌襲撃事件の後、フランスと日のメディアによる報道を追っていて、この事件への反応や解釈が両国でまったく異なっていることに気がついた。 大まかに言えば、フランスの場合は、「シャルリー・エブド」の編集方針に賛成でない人、あるいは同誌を読んだことがない人でもほぼ全員が、同誌への抗議の手段として殺人という最大の暴力が行使されたことに激しく怒りを覚えたのに対し、日の場合には、「テロは良くないが」というただし書き付きで、「でも表現の自由と騒ぐのは西欧中心主義ではないか。表現の自由にも、他者の尊厳という制限が設けられるべきでは」と表明することが少なからず存在した。 ここではその点については触れない。それとは別に、取り急ぎ指摘するべき問題が一つあるからだ。 1月13日付読売新聞の夕刊、国際欄に出ていた記事のことだ。今日14日水曜日、襲撃事件後初めて発行される「シャルリー・エブド」最

    「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題/関口涼子 - SYNODOS
    littleumbrellas
    littleumbrellas 2015/01/15
    読売新聞の訳だと本来ある多様な解釈の余地がなくなるとのこと。翻訳の問題であるのと同時に一つの明確な答えがあるという勘違いや答えを出したがる病気(曖昧さへの不寛容)の問題でもある。
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