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なぜ、文明国ドイツにヒトラー独裁政権は誕生したのか。『ヒトラーとナチ・ドイツ』を著した東京大学大学院総合文化研究科教授の石田勇治氏に、ヒトラー政権誕生の歴史から、わたしたちはどのような教訓を導き出すことができるのか、話を聞いた。 はじめは有権者の26%しかナチ党に投票していなかった ーーヴァイマル憲法という民主的憲法をもったドイツに、なぜ民主主義を否定する政権が誕生したのでしょうか? 「ヒトラーは選挙(民意)で首相になった」とよく言われますね。たしかにヒトラー率いるナチ党はヴァイマル共和国末期の経済的危機、社会的混乱に乗じて台頭し、1932年7月の国会選挙で第一党(得票率は37%)になりました。 しかしナチ党の勢いはここまででした。その年の11月の国会選挙で約200万票を失い、得票率も33%に下落します。地方選挙でも大敗を喫し、12月には党のあり方をめぐって分裂の危機に直面します。 経済は
1945年の終戦から70年が経った。 これだけの月日が経ってもなお、我々は、この戦争に端を発する問題と直面し続けている――慰安婦問題、韓国徴用工訴訟、閣僚による靖国神社参拝の是非…。 そこで、あの戦争がなぜ起こったのかを改めて考える。 今回のテーマは「昭和陸軍のキーパーソンたち」だ。 戦前・戦中の日本陸軍に対する一般的なイメージはこのようなものだろうか--中国や米国の力を過小評価し、精神論だけで戦争を遂行した侵略的な人々。しかし、その中には対英米協調路線を支持し、満州事変の拡大を一時的にであれ抑え込んだ人々がいた。前編では陸軍・宇垣派を振り返る。(司会は森 永輔・日経ビジネス副編集長) 今回は「陸軍」をテーマに川田稔先生(日本福祉大学教授)と井上寿一先生(学習院大学学長)にお話を伺います。最初のテーマは陸軍の「宇垣派」です。1937年に天皇から組閣を命じられることになる宇垣一成を中心にまと
20日の党首討論を聞いて耳を疑った。共産党の志位和夫委員長が、日本に降伏を求めた1945年7月のポツダム宣言を引用し、安倍晋三首相にこう迫った場面でのことだ。 「(宣言は)日本の戦争について、世界征服のための戦争だったと明瞭に判定している。宣言の認識を認めるのか認めないのか」 確かにポツダム宣言第6項には、志位氏の指摘のように「日本国民を欺瞞(ぎまん)しこれをして世界征服の挙にいづるの過誤を犯さしめたる者の権力および勢力は永久に除去せられざるべからず」とある。とはいえ、志位氏はこの認識が絶対だと本当に思っているのか。 「どこの国の政治家ですか」志位氏は討論後、記者団にまるでポツダム宣言が民主主義の聖典であるかのようにこう称揚もした。 「日本の戦後民主主義の原点中の原点がポツダム宣言だ」「ポツダム宣言は戦争認識の原点で、誰も否定できない」 だが、戦前の日本は果たして「世界征服」など目指してい
ドイツ、フランスの仲介により停戦合意へこぎつけたものの、いまだキナくさいウクライナ情勢。いったいロシアの真意はどこにあるのか? プーチン大統領の思惑とは? 2月28日に新刊『嘘だらけの日露近現代史』を上梓する憲政史研究者の倉山満氏に聞いた。 ――ストレートに質問しますが、ロシアはなぜウクライナに対してあれほど強気なのでしょうか? 「プーチン大統領にとって、ウクライナはあくまで自分たちの持ち物です。元KGBである彼の故郷はロシアではなくソ連邦。ウクライナを狙うのは、彼が旧ソ連を取り戻そうとする行為の一環なんです。プーチンは故郷であるソ連邦の歴史をムダにしたくないし、ソ連の崩壊が敗北だったとは決して認めたくない。例えばプーチンは、ガスプロムという天然ガスの企業を使って、ロシア人から搾取を続けています。かつてイギリスが東インド会社でやっていたような植民地化を自国で行っているわけです。この事実だけ
前回のコラム「なぜ道の駅は儲からなくても店を出せるのか」は、前々回のコラム「なぜ地方は補助金をもらっても衰退するのか」と同じくらいの反響を頂戴しました。ありがとうございます。引き続き、読者の皆さんに「地方創生のヒント」を差し上げられれば、本当にありがたいことです。 さて、今回のコラムは、二宮金次郎(尊徳、1787~1856)を採り上げたいと思います。なぜ、二宮金次郎なのでしょうか。実は、彼こそ江戸時代の後期から末期にかけ、地方創生を真剣に考えていた先駆者だったからです。 金次郎は、人口減少の栃木・真岡を救った地域再生のプロ 江戸時代(徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年から、大政奉還をする1867年まで)というと、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。実は、前期は急激な人口増加があったものの、日本は江戸中期以降となると、全国の人口がほぼ横ばいとなり、地域差こそあるものの、江戸時代後期
ベスト・アンド・ブライテスト(英: The Best and the Brightest)は、「最良の、最も聡明な人々」を意味し、1960年代のアメリカ合衆国のリンドン・ジョンソンとジョンソン政権において安全保障政策、とりわけベトナムへの軍事介入とベトナム戦争への発展・戦争の推進を主導した閣僚および大統領補佐官たちを指す。 内容[編集] 1972年、ニューヨーク・タイムズの記者デイヴィッド・ハルバースタムにより、同名の原著が出版された。ベトナム戦争を始めたケネディ政権と、それを継いだジョンソン政権において国防長官を務めたロバート・マクナマラを中心とした「最良の、最も聡明なはずの人々」が、いかにして政策を過ち、アメリカ合衆国をベトナム戦争の泥沼に引きずりこんでいったのか、ホワイトハウスの内情を克明に描いたドキュメンタリーである。 書誌情報[編集] 訳書[編集] デイヴィッド・ハルバースタム
進歩しない人間だからこそ、歴史に意味がある ―― 「経済学史」とはなにか 経済学者・若田部昌澄氏インタビュー 情報 #経済学#教養入門#経済学史 研究室の扉を開けてみると、そこは本の山、山、山。今回の「高校生のための教養入門」は経済学者の若田部昌澄先生に、ご専門の経済学史についてお話を伺いました。「経済学史は地味な学問です」と言い切る若田部先生。思想史の中でも独特の発展をとげた経済学史の魅力をご紹介します。(聞き手・構成/山本菜々子) ―― 今回の「高校生のための教養入門」は、「経済学史」の若田部昌澄先生にお話をうかがいます。今日はよろしくお願いします! よろしくお願いします。経済学史は非常に地味な学問なので、高校生に向けての企画なんて聞いたことがないですよ(笑)。 ―― 地味な学問なんですか!? 私の学生時代はそれなりに人気だったのですが、最近の経済学の中ではあんまりポピュラーじゃありま
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