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経済と日本史に関するlittleumbrellasのブックマーク (3)

  • 武田知弘「織田信長のマネー革命―経済戦争としての戦国時代」 - あの日食べたバターライスの不味さを僕達はまだ知らない。(実写版)

    「織田信長のマネー革命」は信長の経済政策(金融だけじゃなく)について書かれている。一見、経済との関係が見えない行動についても経済の側面から書かれていて、なるほどそういう意図があったのかと思うことが(特に比叡山焼き討ちについて)あった。それと、信長が現在にも通じる経済システムを整備したということで、経済(特に通貨)のシステムがどのように成立するのかについても触れられている。 金融システム 金融に関しては信長が日で『初めて体系的な通貨制度』を作った。具体的には1569年の法令で『中央政権としては初めて金、銀を通貨として使うことを決めた』、『金と銀、銅銭の交換比率』を明確に定めた。これによって貨幣の安定化とともに『遠隔地の物流を促進した』。 非効率を嫌った 信長は中間搾取や非効率を嫌ったと考えられる。政策としては、枡の大きさの統一、関所の撤廃、石高制(『簡単に言えば、年貢を銅銭ではなく米で納め

    武田知弘「織田信長のマネー革命―経済戦争としての戦国時代」 - あの日食べたバターライスの不味さを僕達はまだ知らない。(実写版)
  • 高橋亀吉の実践経済学

    再掲載。実践マクロ経済学(Practical MacroeconomicsもしくはPragmatic economics)関連でしばらくいくつかネタを掲載予定 高橋亀吉の経済思想―その現代的意義― 1 「高橋亀吉の時代」の中で 不況や経済的な構造変化が訪れるたびに、時代は経済学者やエコノミストたちに助言を求めてきた。現代の日は90年代初頭以来の長期的な「大停滞」に直面しており、日々激しい経済論議がさまざまなメディアの中で戦わされている。エドモンド・バークがいったように現代は「経済学者の時代」でもある。しかも日は戦後の先進国経済の中で例外的にデフレに陥っている。この日のデフレ体験は、いわゆる「昭和恐慌」の時代として知られる1920年代から30年代はじめにかけての「失われた13年」以来のものとなる。稿の中でとりあげる高橋亀吉の経済思想はまさにこのデフレ不況の産物として現われ、鍛え抜かれ

    高橋亀吉の実践経済学
  • 『財政再建のために~リフレVS緊縮財政VS積極財政 in 江戸~』

    古今東西問わず、政府は野放図に支出を拡大し、その結果デフォルト(債務不履行)を宣言する羽目になることが多いです。しかし、一方では財政再建への努力も見られます。日でその例を振り返ってみることにします。 江戸以前は、時の政府(幕府や朝廷)がどのような経済政策を行ってきたか、あまり記録が残っていません。しかし、例えば、室町時代に将軍が変わるごとに徳政令が出されるなど、歳出を切る詰める努力、財政再建への努力はほとんどなかったことが伺えます。 時代は飛んで、江戸時代。4代将軍の家綱ごろまでは、江戸幕府も佐渡、石見など直営金山、銀山からの収入のもと、散々無駄遣いしほうだいだったようです。しかし、家綱の代、1657年明暦の大火が江戸を襲い、江戸は大火災に見舞われます。この復興費によって歳出が拡大します。また17世紀末期から、金山、銀山からの金銀が枯渇してきました。そのため、歳入が減少します。そこで、幕

    『財政再建のために~リフレVS緊縮財政VS積極財政 in 江戸~』
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