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レトリックに関するlotus3000のブックマーク (4)

  • 議論ゲームにおいて、問題提起側は無視されれば終わりである。- 巽京太郎のブログ

    0.議論ゲームという地獄~前回記事参照~ 1.「常識を疑え」という標語の危うさ 2.無視するという戦術 0.議論ゲームという地獄~前回記事参照~ 前回までの記事では、ネットの議論は公正な議論というよりも、社会的弱者・マイノリティ側が圧倒的に不利な議論ゲームになってしまう事について説明した。社会的弱者、マイノリティ側で議論を行おうとすると、どのような選択をしても地獄が待ち受けているという構造が存在する。 tatsumi-kyotaro.hatenablog.com tatsumi-kyotaro.hatenablog.com 今回の記事は、圧倒的不利な状況でもなんとか善戦する方法はないか、という疑問からスタートしよう。 前回までの議論ゲームの構造の説明を受けて、いくつか対抗策を思いついた人がいるかもしれない。 たとえば、議論ゲームで質問者側に立てばいいというものだ。前回の記事では、議論ゲーム

    議論ゲームにおいて、問題提起側は無視されれば終わりである。- 巽京太郎のブログ
  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ ※カテゴリは、「その他のお問い合わせ」を選択して下さい。

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  • 「文は短く」は俗説か?ー〈短文信仰〉を屠り、短文のレトリックと長文のロジックを取り戻すために

    語の作文教育から文章読に至るまで、〈短文信仰〉とでも言うべきものがある。 文章表現を主題とする書籍の多くが「文は短く」と主張する。 「われわれ新聞記者は、だから、入社以来、先輩たちから、文章はできるだけ短く書くように、といわれつづけてきた。短く書こうとすると、主語と述語が近づき、事実がはっきりしてくる。込み入った因果関係のある事件などの場合には、とくにこの心構えが大切である。」(猪狩章『イカリさんの文章教室』) 「短く、短く、短く。/とにかくそれを絶えず念頭に置いてほしい。そして、短い一文に、全力を傾けていくことである。/ひとつの文に、あいまいさを残さぬことである。/文章を短くすることによって、意味のつながりを明瞭にすることができる。」(馬場博治『読ませる文章の書き方』) 「平明な文章を志す場合は、より長い文章よりも、より短い文を心がけたほうがいい。/私は、新聞の短評を書いていたころ

  • 「あいつらウゼえ」と思うのは誰か - 誰かの妄想・はてなブログ版

    東浩紀 @hazuma 抗議は重要だが、あいつらウゼえと思われたら終わりというのは、性的マイノリティ云々以前の問題で、ぼくは結局はそれを指摘しているにすぎません。 12:43pm 日曜 7月 15 webから http://mobile.twitter.com/hazuma/status/224559947092983810 この場合「あいつらウゼえ」と思っているのは東氏自身ですよね? そして主語を「私」ではなく「世間」と置き換えるために、「ぼくは結局はそれを指摘しているにすぎません。」と逃げを打つ。まるで「私」ではない第三者がそう思っているように。 マイノリティによる抗議はいつの時代もどんな要求もマジョリティによって「あいつらウゼえ」と思われてきました。マジョリティ・マイノリティは、必ずしも絶対的な頭数で決められるものではなく、言わば声の大きさによります。頭数で劣勢なマイノリティは、声を

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