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労働と平等に関するlotus3000のブックマーク (2)

  • kuriggen’s diary

    80年代には続いてきた個別音楽史の流れがそれぞれ飽和によって繁栄を見ることになる。特にアメリカ黒人音楽の流れは続いてきた個別セクト性を失なわずにしてその最も優雅な繁栄を見ることになる。黒人音楽のセクト性とは何か。社会の中で疎外されていた人間的価値の流れがそこでは、人間同士の上下関係ヒエラルキーもまた鏡に映したように、部族的なユニットに回収され、生と性の享楽は激しくタイプがぶつかり合い、旺盛なる賛歌へと弁証法的な上昇を実現する、舞台的なストーリーへと完結されていく。 黒人音楽のセクト性とは未来的なものがそこでは原始的なものへの郷愁である。あるいはそこでは未来がないとも言える。徹底的に閉じた世界観でもある。部族的な階級関係のユニットにはそこでは進化がない。世界はキングとクィーンの中心から由来して放心円状に広がるものに過ぎない。故に階級闘争とは必須である。 80年代に黒人音楽が完成させた一大オペ

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    lotus3000
    lotus3000 2014/09/04
    『拝啓天皇陛下様』論
  • ジョン・ローマー教授の公開講義に出席 - 音楽友に、今日も安眠

    今日はもう1つ印象的な言葉を他の人からもらった。夕方、数理経済学者の吉原直毅氏が主催したジョン・ローマー教授の公開講義、題して「市場経済における平等の展望prospects for equality in market economies」が開催されたので行ってみたのだが、そこでのローマー氏の言葉である。以前の日記(下記リンク先参照)で取り上げた『マルクスの使いみち』でも中心的に論じられてたローマー氏は、イェール大学政治学部教授で、アナリティカル・マルキシズム研究の第一人者とされている。けっこう気さくそうなおじさんという印象だった。 公開講義の内容を私が理解した限りでまとめると、前半ではまず「市場社会主義」の所得分配モデル(ローマー氏はThe Proportional Solutionと呼ぶ)が検討され、例えそのモデルが実現したとしても、その結果は、アメリカにおける現実の所得分配状況よりも

    ジョン・ローマー教授の公開講義に出席 - 音楽友に、今日も安眠
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