来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
「剥ぐ」というのもメタファー。前回のエントリにコメントをいただいた。id:md2tak 2009/12/07 10:51 >まず、当初の「『男はケモノ』だから、女性は自衛をはかるべき」というときの「ケモノ」はメタファーではなく、ほぼ文字通りの意味で(literally)使われている。 これおかしくないですか?男が熊か狼にでも変身するということですか?そうですよ。男が動物に変身するところ見たことないの?たまには外に出た方がいいですよ。つーか、動物園の檻に入ってる熊や狼も、定時で仕事上がったら人間に戻る、動物園の職員ですよ。いまどき小学生でもそれくらい知っている。 冗談はこれくらいにしておくけれども、「男はケモノ」というメタファーの都合のいい使用法が、如実に表れているコメントだと思った。もちろん、男は動物に変身しない。しかし、「『男はケモノ』だから、女性は自衛をはかるべき」というメタファーを使
0.本文に入る前に 最初にお断りをします。この記事では、直接的な性暴力の被害経験の触れています。性暴力についての記述を読んだときに、気分が悪くなったり感情がセーブできなくなったりすることがあります。被害経験がある人はもちろん、そうでない人もご注意ください。(そうした記述を、身を守るために読まない、という選択もあるべきだと、私は思っています) 次に上記以外の理由で読む気がない人向けに、結論を書いておきます。 【結論】 性暴力において、被害者を出さないための、決定的な方策はいまだみつかっていない。他者と信頼関係を結ぼうとする中で、加害者は被害者に性暴力をふるう。加害者が性暴力という行為に至るメカニズムは、判明していない。他者とのつながりを求める限り、親密な関係におけるレイプは、防ぎきれない。だが多くの人々は、他者との親密な関係を拒絶することを、選ばないだろう。そこで、性暴力の危険性を認知しなが
とまあ、いつもの調子でいつもの如くロクに本も読まずに「ネットで真実が!」と喚きくさるネット阿呆守の方々を小馬鹿にし倒すエントリな訳ですが、その阿呆守連中の根底には「矮小なムラ意識」と「無意味な選民観」が「インテリに対するコンプレックス」という調味料で味付けされた結果でしかなく、ただの「憂さ晴らし」としてのものでしかないと認識している。ただ、この「矮小なムラ意識」と「無意味な選民観」だけしか心の拠り所がないというのは却って厄介な訳で。躁うつ病の安倍ちゃんが総理大臣職を放り投げようが、べらんめえオヤジ麻生が衆院選挙で大敗しようが、ウサンクサイケイ新聞こと産経が「下野なう」しようが、んなこたぁオイラ関係ナイモンネーとばかりにますますカルトと化してまあ面白いといや面白いんだけどこんな場末の毒吐きブログにも変なのが時折沸いたりして楽しいやら困っちゃうやらで。 まあ前置きが長くなりましたが、ちょっと抜
http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091205/1259974620 ここで反発している人たちは自分たちが被害者であると(無意識かもしれないが)認識しているように感じる。 アダルトメディアの規制問題にしても同様な認識を感じることがあるが、誤読というよりも視野狭窄で相手を理解しようとしないというか、(勝手に)悪意を見出して被害者意識で凝り固まってしまっているようだ。 大本になった「男はケモノ」の議論にしても最初は「男を性的に刺激すると危険だから自衛しろ」*1という曽野綾子氏の意見が元で、それが事実なら男の方を檻に入れろということだろう。 元々の曽野綾子氏の認識がおかしいのだから、結論が極論になるの当然だろう。なのに、結論部分だけに噛み付いて自分たちが不当に貶められていると捉えているように見える。 大体、「男を性的に刺激すると危険」というのは他の人も言ってい
書くことがまとまらなくてやや時期を外してしまった感はあるものの。 先日、綾戸智恵がテレビで、単身アメリカに渡るときにお母さんから言い渡された4ヶ条を紹介していた。その中のひとつに「レイプされそうになったらさせなさい」というのがあったのだが、これを聞いたときに、以前本で読んだ門野晴子さんの言葉を思い出した。 門野さんが娘さんに告げたという、「もしも運悪く、レイプされそうになるようなことがあったら、下手に抵抗しようなんて思わなくていい。とにかく生き延びることだけを考えろ。生きて帰って来さえすれば、あとはあたしが全力であんたを守ってやる」というもので、かなり前にライブラリーで立ち読みしただけなので(今その本を探してるんだけどまだ見つからない)もしかしたら全然違っているかもしれないが、私の中にはこういう言葉として残っているということで。 実はこの言葉をちょっと前にも思い出していて、それは例の沖縄の
曾野綾子の「世代」に注目しろ、との話を読んで、 でも、この戦後の時期に、数には出ない多くの、いわゆる「ぱんぱん」風ではない良家の女性たちが強姦されたと聞いたことがあるし、 それを噂ですら聞いたことがなかったらしい曾野綾子は思春期時代も今と同じく、鈍感な女だったとしか私は思わない。 もし「どんな時代」を「どういう人として生きたか」で考えるのなら、「女の嫉妬」で見た方がわかりやすい気がする、 「私が若い頃にはそんなきれいな服を着てみたくても、戦争のせいで「もの」がなかった、そもそもそんな「自由」がなかった」 戦争に「青春を奪われた世代」としての哀感、「自由」のなかった女性としてのあがき、それならば多少は共感できないでもない。 楽しく、美しく、「男の視線」をひく装いに身をやつせなかった「若さ」は、もうかえってくるものではないのだから。 幸いにして、私は「ワンレン・ボディコン」世代で、その手の「流
産経新聞に曾野綾子氏が書いたコラムが話題を読んでいるようです。全文は強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ - フランチェス子の日記で読めますので、未読の方はまずそちらをどうぞ。 あたしがこのコラムで気になったのは以下のくだりです。 ヨーロッパ在住の日本人が驚いているのは、日本の女子校が、どうして制服にあんな短いスカート丈を許すのか、ということである。あれでは男たちに手を出してください、といわんばかりですね、と彼らは言う。 太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。 それ、根底から間違ってますよ曾野綾子さん。 ミニスカートは1950年代に英国でマリー・クワントによって発明されました。クワントがミニスカートを作った目的は男性の誘惑ではなく、 税金対策(当時の英国では丈が短ければ『子供服
これ、ずっと、「女が好きな女=レズAVの登場人物みたいなエロエロの存在」という偏見のせいかと思っていたんですが、もっと根深い理由に思い当ったので、メモ。 創作物の中のレズビアンやバイセクシュアル女性が「24時間、女と見れば相手構わず欲情するセックスモンスター」みたいに描かれてしまいがちなのは、とどのつまり、「この社会の中では、女性は、女性相手に欲情している瞬間以外は自動的に異性愛者だと判断されてしまうから」なんじゃないでしょうか。 たとえばですね、 朝マックで朝食をとっているOLさん 自転車漕いで学校に向かう女子中学生 淡々と授業を受けてる女子高生 コンビニでレジを打つ女性アルバイトさん ……なんていう、特に誰に向かっても欲情を示していない状態にある女性は、たとえセクシュアリティについて何の表明もしていなかろうと、全員自動的に「異性愛者である」と判断されてしまいがちなわけですよ、この「人類
性犯罪と自衛についての散々ループしているお話について。 今回の火元はこちらの曽野綾子の記事らしい。 強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ - フランチェス子の日記 http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091129/1259458069 で、それを受けた下の記事だが、「また自衛厨か」と言いたくなるような内容でうんざり。 オタク入門中ブログ : 性犯罪的な意味のミニスカート論争はうんざり。 http://blog.livedoor.jp/entertheotaku/archives/51696237.html まずは、元記事を読んで 長いんだけどさ、要約すると、 私は好きなだけミニスカート履くし、一人で歩き回りたいんだよー。 ミニスカートに欲情する男?知るか! レイプは男が悪いんだから男が気をつけろ! ってことかしら。 という解釈をするあたりが、も
脱性器的快楽 それはアナルセックスのことではない。いや、「脱性器」だからそれも入るのかな? しかし"場所"が近過ぎるし性器的快楽の補助のような。どうなんだろ。 ‥‥のっけからそういう話ですみません。脱性器的快楽については、宮田さんの記事(07/11/23追記:現在閉鎖されてます)を参照して頂きたい。 宮田さんの議論の文脈では、脱性器的快楽とは、ペニスとヴァギナの関係以外の、特に女性同士の身体的、精神的快楽のこと。 私の言い方だと、なんかくっついているだけで気持ちいいの、みたいな。一緒にいろんなことするのが楽しいわね、みたいな。わかるわ女同士ですもの、みたいなものである。同性愛とまでは自覚されないが、横並びでゆるく繋がっているまったり心地よい感じ。 その脱性器的快楽に、女性達が大変魅せられているという話である。 こういう志向は古くは、昭和初期の少女小説に描かれた先生やお姉様への思慕、女学生間
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