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歴史や伝承に関するlotus3000のブックマーク (6)

  • 薩摩藩の暗黒史 ④徹底した廃仏毀釈 - 健康オタクの目移り

    薩摩藩の廃仏毀釈は、過激で徹底し、寺と僧侶が完全に消滅しました。実際に破壊したのは下級武士でしたが、多くの民衆もそれを容認して協力したそうです。 島津家一族の菩提寺を含む1616の寺が全廃され、2966人の僧侶が還俗しました。そのため、住んでいる地域を歩き回ると、寺跡の標識や破壊された石仏をよく見かけます。 含粒寺跡(島津家7代元久の長男が開山) 江戸幕府は1613年にキリシタン禁制を打ち出して、その取り締まりのために檀家制度(寺請制度)を実施しました。ところが薩摩藩では檀家制度をとらず、武士集団が牛耳る五人組制度が、厳しい監視・取り締まりをしました。そのため、庶民は寺との日頃の付き合いが疎遠となり、廃仏毀釈への民衆の抵抗が少なかったといいます。 島津斉彬は国学のイデオロギーを背景に、軍費財源の調達もねらって、廃仏毀釈運動を先頭に立って進めました。その結果、美術品や史料などの貴重な文化財が

  • 若者に魅力的な「焼け跡リセット論」は、歴史学的に見るとリスクが大きすぎる件 | おときた駿 公式サイト

    こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。 日はAMがオンラインサロンの勉強会、午後が政党主催の政治塾と、 座学が中心の日曜日となりました。安息日どこいった。 オンラインサロン勉強会のゲスト講師は、 気鋭の若手歴史学者の呉座勇一さん。私の海城高校の先輩にもあたります。 (在学中は面識ありませんでしたが…) 「政治の勉強会なのに、歴史学者??」 と思う方もいるかもしれませんが、 政治を語る上で歴史を学ぶことは欠かせませんし、 実際にこれが当に面白かった!!びっくりマーク2つ付けちゃうくらい。 「歴史から見る日的革命とは?」 をテーマに講演・ディスカッションをしていただいたのですが、 その中で一つフォーカスされたのが「焼け跡リセット論」。 これは、社会変革を成し遂げるためにはいったんすべてが崩壊して、 ゼロリセットをしてやり直す方が手っ取り早い、という理論です。 もちろ

    若者に魅力的な「焼け跡リセット論」は、歴史学的に見るとリスクが大きすぎる件 | おときた駿 公式サイト
  • 速水螺旋人先生と内田弘樹先生の「野火」評

    Хаями🍥Расэндзин @RASENJIN 内務班の地獄、指導部の地獄、銃後の地獄……戦争の地獄を描いた邦画は数ありますが、南方の密林を舞台とした、戦記などで読んできた敢えて言うならば「お馴染みの」地獄は戦後70年経ってようやく今作で垣間見ることができます。 2015-08-23 17:43:55

    速水螺旋人先生と内田弘樹先生の「野火」評
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「兵士は天皇のために死んだ」という建前が消えた戦後 -小沢郁郎『つらい真実 虚構の特攻隊神話』再読-

    小沢郁郎『つらい真実 虚構の特攻隊神話』を再読した。 これで何度目か。 すでに他のブログさんで取り上げられている( これとか、これ。あとはこれも )が、「特攻」を知る際、読んでおきたいの一つだ。 とりあえず、書いておきたいことだけ。 大西瀧治郎が発案したとされる海軍の特攻作戦だが、実際は、中沢佑作戦部長は、神雷部隊の編成に同意していた。 (この部隊は、特攻兵器「桜花」の専門部隊である。) そして、大西の特攻隊編成以前に、軍令部レベルで、体当たり戦術が海軍戦術として公式に採用されていた。 大西が「発案」というのは、正しくなかったのである(116頁)。 (もう少し詳しい話は、こちらのブログさんの記事をご参照あれ。) 戦前、海軍省は、天皇のために特攻隊員は献身して死んだ、というふうに書いた。 だが戦後になると、天皇のためとは言われなくなり、家族や同胞を含む民族のために死んだ、と言われるようにな

  • 600年の時を超えた憎悪 - himaginary’s diary

    「憎悪の地理学:戦間期のドイツの反ユダヤ主義は中世のユダヤ人大量虐殺に如何に影響されたか」と題された記事がvoxeuに掲載されていた(原題は「The geography of hate: How anti-Semitism in interwar Germany was influenced by the medieval mass murder of Jews」)。 その記事の内容は以下の表に集約される。 1349年の ユダヤ人迫害 1920年代の ユダヤ人迫害 なし あり 合計 なし 78 (98.7%) 196 (91.6%) 274 (93.5%) あり 1 (1.3%) 18 (8.4%) 19 (6.5%) 合計 79 214 293 即ち、1920年代にユダヤ人への迫害が行われた19の町のうち、18は14世紀にユダヤ人への迫害(黒死病の原因との疑いを掛けて虐殺)が記録された町

    600年の時を超えた憎悪 - himaginary’s diary
  • Hayek and Popper

    ◎ ここでは『現代思想』に掲載されたナオミ・モロドフスキーの論文の翻訳部分は(著作権の問題もありますから)割愛し、私自身がそれに加えた解説部分だけをご紹介します ポパーとハイエクという、現代自由主義を代表する二人の思想家は青年時代からの固い友情で結ばれていた仲であった。だが二人を結ぶ絆は、単なる友情にとどまらない、より強固な思想的なものである。ウィーン生まれのこの両者は、お互いの著作のなかで、繰り返し彼らの思想の親近性を強調している。ポパーの社会哲学上の主要作品である『歴史主義の貧困』がもともとハイエクの主宰するセミナーで最初に発表されたものであることは有名だし、また、彼の『推測と反駁』はハイエクに、逆にハイエクの『哲学・政治学・経済学研究』がポパーに捧げられた書物であることもすでに周知のとおりである。こうした理由から、しばしば「ハイエク=ポパー流の」という形容詞で一括され、その思想の同一

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