二つの過激思想。どちらもある種の人たちにとってはお花畑か許しがたい悪だろうが、しかし。ホームレスがホームレスのままで幸福である社会を!今すぐ全てのホームレスに家と職とを与えよ!――どちらが体制的/革命的なのか。どちらのほうが「現実的」か。そして私はどちらを選ぶのか。
http://honz.jp/14850(本当は怖い昭和30年代 ~ALWAYS地獄の三丁目~) 結構話題になっているようですが、本ブログでも、1950年代の怖~~い一側面を切り取った官庁報告書を紹介したことがありましたので、この際またお出ししましょう。 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-97de.html(年少者の不当雇用慣行実態調査報告@婦人少年局) 旧労働省の婦人少年局というところは、むかしは非常に熱心に女性や子どもたちの労働実態の調査をやっていたのです。とりわけ、今ではほとんど忘れ去られているでしょうが、年少者の不当雇用慣行について、1950年代の半ばごろにその実態を暴いた報告書は、東北地方、九州地方、近畿地方、関東甲信越地方の4分冊として、刊行されています。 おそらく今では役所の中でも誰も知らないであろう
前回のメールマガジンで南京事件否認論について書いたところ、感想のメールをいただきました。南京事件の実在に対して否定的なご意見でした。私信であり、ちょっと公開して良いものかどうかわからないので、引用は控えますが、要点は「南京事件は一次資料が少ないから信用できない」ということだと思います。 ぼくは南京事件について議論するつもりはありませんが、以下、簡単にこれに反論してみたいと思います。というかまあね、南京事件を証明する一次資料は普通にあるよ、って話なんですが。 たとえば、ぼくの手元にある『南京事件資料集』。二冊組の分厚い本なのですが、ここに収録されているのはほとんどが南京事件の一次資料です。「1 アメリカ関係資料編」、「2 中国関係資料編」と分かれていますが、いずれにしろ南京事件の実在を示していることに変わりはありません。 というか、この資料集を読んでいると「実在したか、しないか」などというレ
サンデル教授は「これからの「正義」の話をしよう」の中で、アリストテレスの政治哲学の中心は以下の2つの観念であると書いています。 1. 正義は目的にかかわる。正しさを定義するには、問題となる社会的営みの「目的因テロス (目的・最終目標・本質)」を知らなければならない。 2. 正義は名誉にかかわる。ある営みの目的因について考える―あるいは論じる―ことは、少なくとも部分的には、その営みが称賛し、報いを与える美徳は何かを考え、論じることである。 ケイシーマーティンのゴルフカートの例では、足に障害があるケイシーマーティンにコース間の移動でカートを使うことを許可すべきか否かという論争を取り上げます。裁判になり、ゴルフ界の大御所も意見を求められます。 ジャック・ニコラウスやアーノルド・パーマーなどの大御所らはカートの使用禁止に賛成するのです。 なぜでしょうか? ゴルフがスポーツであると考え、その名誉に
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く